第8話 次世代コミュニケーションに必要なもの

俺(高梨 誠)は15年前の夏に自称天才中学生の四宮 香と出会ってから,彼女と共にタイムマシンを作り続けている個人経営の塾講師だ。当時高校二年生だった俺も今となっては32歳になり,中学三年生だった四宮は30歳の若さで有名大学の教授をしている。

ある高校の夏休み明けの始業式の日,俺たちはそこに現れた未来人とともに,タイムマシンを使って過去に戻った高校生を発見した。桜井 隆之介という彼の協力により俺と四宮のタイムマシン開発は大きく進み,そのお礼と研究に関する口止めを兼ねて,俺たちは高校三年生の彼と彼の想い人である広瀬 舞という女の子の受験勉強を手伝う約束をしたのだった。


彼らが俺の塾で勉強をし始めてから,およそ一ヶ月が過ぎた。俺が桜井くんと初めて会った時はまだまだ暑かったが,今はすっかり秋になり肌寒い日がしばらく続いていた。

季節が移り変わった一方で,受験勉強の面倒をみることになった高校生二人の成績がどう変わったかというと,それもまた良い方向に進み始めていた。彼らの努力が実り始め,志望する学科の合格ラインに順調に近づいていたのだ。


しかし,不安な要素もない訳ではなかった。伸びている教科とそうでない教科に大きな差があったのだ。細かく言えば理数系だけが大きく伸びており,それ以外も下がりはしないもののそれほど伸びてはいなかった。彼ら二人には四宮の教育方針のことも考えて,どの教科についても満遍なく教えていたつもりだったが,俺も四宮も学生の時は理数系だったために,無意識に偏りが生じていたのかもしれない。


俺はこれからの彼らの指導をどうしていこうかと悩んでいたが,彼らも自分たちの弱点は自分たち自身で克服しようと努力していた。

今日も台風が近づいているという予報のため授業を欠席する生徒が多い中で,彼らはいつも通りに授業を受けに来て,さらに現在は二人で居残って英語の勉強をしている。

早く帰って来ていた四宮もそんな彼らに感心して彼らの自習に付き合っており,俺たちは彼らの勉強をサポートするために台風の備え以上に万全な体制で見守っていた。

そして二人が休憩を入れた時,自分の成績表を見ていた広瀬さんが俺と四宮に話しかけた。


「やっぱり英語だけ点数伸びないんですよね。何かコツとか無いんですかね?」


俺は不安そうに質問してきた彼女たちを安心させるため,それまでの経験からの考えを答えた。


「問題に関しては慣れるしかないな。英語は結果が出るのに時間がかかるから仕方ない。単語を覚えないとどうにもならんし,数学や物理と違って覚えた単語が次の試験の問題に出る可能性は低いからな。」


そして彼らのやる気を出させるための言葉も付け足した。


「でも,英語に関しては数学や物理よりも直接これからの生活に役に立つものだから,勉強して損はないと思うぞ。」


「う~ん。」


俺は我ながら良いことを言ったんじゃないかと思っていたが,近くに座っていた四宮が何か思っているような唸り声を上げた。


「なんか文句ありそうだな,四宮。」


「文句ってわけじゃないけど。私の考えは高梨くんのとは少し違うかな。」


俺に気を使ってか,はっきりした言い方をしない彼女に俺は聞いた。


「何だ?お前の考えって。」


すると彼女は答えた。


「うん。今ってね,翻訳機が凄い勢いで発達している途中なの。相手が話してる間に翻訳機の画面に字幕が出たりするんだよ。だから,もしかしたら桜井くんたちが大人になる頃には英語を学ぶ必要はなくなってるかもしれないって私は思うな。外国語を勉強したり,通訳をしてもらわなくても,他の言葉を話す人と意思疎通ができるかもしれないよ。」


「へ~。」


それを聞いていた広瀬さんはそんな風に納得するような相槌を打ったが,桜井くんは先ほどの四宮と似たような呻り声を上げていた。


「う~ん。」


「桜井くんも何か文句あるのか?」


「いや,文句ではないんですけど,ちょっとだけ疑問があって。」


「何でもいいから早く言ってみろ。」


またしても四宮と同じような答え方をした彼に少し面倒くさくなった俺は,彼に早く言うように促した。


「外国語で僕が親しみ深いのはやっぱり外国映画なんですけど,それを見る方法としての字幕と吹き替えは,映画をよく見る人の中でもちょっとした派閥みたいなものがあるんですよ。」


「それは知ってる。それにその気持ちも何となく分かる。大事に思うものならこだわりも強いだろうからな。」


同意こそしないものの,分からなくもない意見だったので俺はそんな肯定的な言葉を返した。そして彼も話を続ける。


「はい。ちなみに僕は,どちらかといえば吹き替え派なんです。字幕よりも理解できる情報量が多いから。」


「なるほどね。確かに文字よりも音声の方が情報量は多いよね。」


四宮がそう言って彼の意見に同意しかけたが,四宮が言い終わった途端,それを聞いた広瀬さんが会話に割り込んだ。


「ちょっと待ってください。でも吹き替えは俳優の演技である声が違う人のものになってますからね。気持ちが伝わってくるのは,やっぱり字幕の方だと思いますよ。」


どうやらその様子を見るに,彼女は字幕派のようだった。それに対する吹き替え派の桜井くんも,その意見への反論を口にした。


「いや,でも字幕版を見てる人は文字を追うのに精一杯で,肝心の画面を見れてないっていう研究結果もあるらしいよ。」


その反論を聞くと広瀬さんも更に反論を返す。それからしばらくの間,彼らは俺と四宮は完全に蚊帳の外で,二人で映画についての議論を始めた。


「でもさ,吹き替え版の場合は聞こえる声が画面に写ってる俳優じゃなくて,声優の声なわけでしょ?それって本当にその俳優の演技を見たって言える?声優次第で映画の印象とか変わっちゃうじゃない。」


「それを言うなら字幕だって,字幕の翻訳家次第で映画の印象変わるだろ。」


「それは吹き替えにも同じこと言えない?吹き替えだって翻訳家が訳してから声吹き替えてるんだから。変えてる部分が少ない分,より元々の映画に近いのは字幕だよ。」


「より手間をかけてるからこそ,より分かりやすく丁寧になってるとは考えられない?」


「日本語への手間をかければかけるほど,元の意味からは離れて行くとも考えられるよね?」


それまで俺たちは黙って彼らのやり取りを聞いていたが,話の途中だった四宮が我慢できなくなったのか彼らに話しかけた。


「ちょっと二人とも落ち着いて。桜井くんはこんな楽しそうな痴話喧嘩を私たちに見せるために映画の話を持ち出したのかな?」


それを言われた彼は,落ち着きを取り戻し彼女の質問を否定してから四宮への話を再開した。


「いや違いますよ。舞が譲らないから喧嘩みたいになりましたけど,実際のところ僕はどちらも一長一短あって,どちらがいいとは言えないと思っているんです。」


「そうでしょうね。でないとどちらか1つに統一されるでしょうから。ちなみに,さっき私が言った発達中の翻訳機っていうのは,映画の例で言うと字幕が多いかな。」


四宮は彼の話に合わせながら,話の軸を翻訳機に戻した。


「そうだと思いました。誰が吹き替えるんだって話ですもんね。」


桜井くんがそう返事をすると,四宮は翻訳機の説明を始めた。


「それもあるけど,一番の問題は別にあるでしょうね。もし音声として訳す場合,誰かが発した言葉を別の言語に訳した後,それがどう言う感情から出た言葉なのかを分析して,その状況に合うような音声を再生しなければならない。そんなことって言葉を発した本人でも不可能な芸当でしょ?他人や他人が作った機械ができることじゃないんだよ。せいぜい発せられた言葉の意味を自然な形で直訳して文字で表示するのが精一杯。それでも十分すごいけどね。」


「だとしたら尚更,僕にはその翻訳機がまともに使えるものになるとは思えないです。」


四宮は長々と説明したが,桜井くんはそう言った。意外にも良く受け取らなかったようだ。


「どうして?」


四宮は不思議そうに彼に尋ねた。


「会話って言葉の意味が分かればいいってものじゃないと思うんです。さっき映画について僕と舞が字幕か吹き替えかで喧嘩してたことを思い返してみると,僕たちは二人とも台詞の訳し方や言葉の意味はそんなに気にしてなかったですよね。実際のところ,ストーリーについては直訳でも意訳でも何となく合っていれば最低限楽しめるんですよ。僕たちはそれよりも俳優の演技や,監督が見せようとしている画面について気にしていた。きっと言葉に表れてないそれらも含めての映画だと思ってるからですよ。」


四宮は好きな映画について語る桜井くんの話を頷きながら聞き,一区切りついたところで話をまとめるように口を開いた。


「うん。なんとなく分かったよ。字幕を読んだり吹き替えの声を聞いたりしてる時点で,相手の表情や仕草や声色が分からない。だから,結局外国語は頭で理解しないといけないってことね。」


しかし,彼の話はまだ終わっておらず四宮がまとめた後も桜井くんはその話を続けた。


「そうなんですけど,僕の考えとしてはそれだけじゃまだ不十分なんです。言葉が分かるだけでは言葉に表れてないものについて理解できないから。映画の中で表現されている全てを理解するなら,それが生まれた国に暮らす人の日常とか文化とかの実情を知ることが必要なんじゃないかなって最近思い始めたんですよ。」


彼はさらに映画について語った。好きなことになると話が長くなるのは,この二人が似ている点の1つだと思う。ジャンルはいろいろあれど,オタクというものはみんなこうなのだろう。


「なるほど。」


四宮は特に口を挟まず,そう言って短い相槌を打った。自分にもそうだという自覚があるためか,もう少し話が続くのを予想していたのかもしれない。実際,四宮との付き合いが長い俺もそう思っていたし,案の定,彼の話はもう少しだけ続いた。


「それって実際は,言葉を勉強していくうちに無意識に勉強してたりする部分じゃないですか。翻訳機を使うと,言葉の意味は分かっても他の部分が分からないでしょう。だから外国語を勉強せずに翻訳機だけを使っても,相手の真意は読み取れないんじゃないかと僕は思うんです。会話の場面で言うならもっと相手の国のことを知らないと,言葉の以外の面で違和感が生まれてくるんじゃないですかね?」


本当に彼の話が一区切りつくと,四宮は思い出すようなような様子で再びそれまでの話をまとめ始めた。


「確かにそうだね。言葉なんてのは単なるコミュニケーション手段の一つで万能じゃないから,それだけじゃ伝わらないこともある。その補助としてジェスチャーを使うなり,その場に応じた曖昧な表現を使って相手に空気を読ませて分からせるって手段を使ったりするよね。でもその手段は国によってかなり異なるから,誤解を生まないためにも勉強する必要がある。」


自分で言った言葉を確認するように俯いて少し黙った後,彼女は頷きまた口を開いた。


「うん。私もその通りだと思うよ。」


四宮はそう言ってからの意見を肯定した。だが彼女がまとめた話を聞いて,俺自身にも少し異論があったため俺は彼らの会話に口を挟んだ。


「外国人に限ったことじゃないけどな。」


俺の言葉を聞いた四宮は微笑んでから桜井くんたちへの話を続けた。


「そうだね。高梨くんの言う通り。外国語じゃなくて同じ言葉を話す人でも,仲良くしたい人であれば相手の好きなことや嫌いなことを考慮して話すじゃない?どんな人だろうと相手のことを考えて話すことが,良好なコミュニケーションのきっかけだと思うよ。きっとそんな風に,人間にとって大事な感情っていうのはいつの時代も変わらないんでしょうね。」


四宮はそう言った直後,何か思いついたような笑顔を浮かべて彼らに質問した。


「二人はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』って知ってる?」


「はい。」


桜井くんはそう返事をして,隣に座っていた広瀬さんも頷いた。


「知ってるよね。何回も映画になってるし,それを元にした話も沢山あるからね。私が小さい頃あれを読んだ時には,彼ら二人が互いを思い合った末のあの結末にとても感動した。でもあの話って400年以上前に書かれた話なんだよ。最初に上演されてその時代の人々の心を奪った400年後の今,私を感動させた上にあなたたちにまでその物語は語り継がれてる。きっとさらに400年後も,『ロミオとジュリエット』ではないかもしれないけど,同じような話が人々の心を惹き続けるんだと思う。だから桜井くんの人の気持ちを深く理解したいっていう気持ちは,これから先も役に立つ大事なものだと思うよ。」


彼女は先生らしい優しい口調で彼の意見を受け入れ励ましたが,その後は口調を強めて注意するような言葉を彼にかけた。


「でもね!それと翻訳機の利用価値はまったく話が別だから!」


強めの口調を維持して四宮は話し続ける。


「翻訳機は相手の話す言葉を違う言葉に変換するだけの機械であって,相手の気持ちを知るような魔法の道具じゃないからね。映画の例で言えば字幕や吹き替えであって,あくまで最低限の意思疎通ができるようになるだけなの。他の言葉を使う人と知り合う機会は増やしてくれるけど,それだけ。もっと分かり合いたいって思う人に出会ったら,あなたの言う通り相手のことを考えて話し合ったりして,それなりの努力をしないと絶対無理だからね。いくら技術が進歩しても,それについては楽できないよ。」


そして彼女は再び優しい口調に戻して桜井くんに語り始める。


「でもその代わり,もしあなたが誰かのことをより理解できたと思った時,それはあなたがその人の事をしっかり考えたっていう証拠にもなる。その結果は,技術のおかげでも他の誰のおかげでもなく,あなた自身の努力の成果だってこと。そんな感じで全部自分の手柄だって思えば,そのために苦労することも悪くないと思わない?」


「自分の努力の結果が誰にも横取りされないって考えると,確かにいいかもしれませんね。」


桜井くんはそう言って四宮の考えに同意した。

人によってそれは当たり前のように思う考え方だが,彼らのような若者にとってはそうでないのかもしれない。残念なことに,彼らは生まれた時から将来が明るくないということを周りから散々聞かされて生きて来た世代だ。先に生きた人間の失敗を負担することが当たり前になっている彼らにとって,自分の努力が自分のものとして報われるというのは,なかなか良いと感じることなのだろう。

彼らのそんな状況を申し訳なくなった俺は何か元気付ける気の利いた言葉はないかと考え,思いついた言葉を四宮を含む三人に告げた。


「それって少し受験勉強に似てるかもな。」


「どういう意味?高梨くん。」


四宮がそう聞いてきたので俺は詳しく説明した。


「受験勉強にも同じこと言えないか?勉強に関して先生は分かりやすい考え方や効率のいい解き方を教えてやれるけど,それを理解するのは受験生自身がやるしかない。それを理解して結果が出るまでの道のりはきついかもしれないが,その代わりその結果は先生のおかげでも教材や技術のおかげでもなくて,受験生の実力と努力以外の何者のおかげでもないわけだろ?」


気休めかもしれないが,彼らが今やっていることに限っては俺たちはその結果を横取りしたりはしないということを伝えるため,俺は高校生の二人にそう言った。


「フフ,相変わらず高梨くんはいいこと言うじゃない。」


「まぁな。それより二人とも。休憩時間が少し長いんじゃないか?」


主に四宮と桜井くんの話が長かったため,いつもの休憩時間を大きく超えていたことを気にしていた俺は彼らにそう言った。


「え?あ!そうですね。」


広瀬さんは時計を見るとそう言って中断していた勉強を再開しようとした。


「私も長話しちゃってごめんね。最後に1つだけいい?」


しかし、まだ言いたいことがある様子の四宮が俺にそう聞いてきた。どうせ止めても何かしらの理由をつけて言うだろうから素直に話させた方が早いと考えた俺は,片手の手のひらを上にして,『どうぞ。』という意味のジェスチャーを四宮に見せた。それを理解した彼女は頷いて二人に話し始める。


「やっぱり英語が一番これから使う可能性は高いわけだから,今あなたたちが勉強するとしたら英語だと私も思う。でももしあなたたちが,日本語でも英語でもない言語を使う人と出会って,本気でその人に想いを伝えたいと思うことがあった時,その時に新しい言語を学ぶために英語の勉強が妨げになるのなら,英語の知識なんてすべて捨ててしまいなさい。」


先生らしく堂々と話す四宮はさらに彼らをまっすぐに見て話し続ける。


「もともと言葉っていうのは,将来のためにいやいや勉強するものじゃないからね。今の自分の気持ちを誰かに伝えるために生まれたものなの。だから,いつかの将来ではなくて今,誰かに伝えたい言葉を勉強しなさい。私は本音ではそれだけ理解できてれば十分だと思ってる。」


それを聞いた俺の心境は複雑だった。彼女の考えは悪くないと思うが,その言葉を鵜呑みにして彼らが英語を勉強しなくなっても困る。そんな心配する必要もないとは思ったが,念のため俺は彼らの前でその意見を否定する言葉を四宮にかけた。


「お前の助手としては素晴らしい意見として拍手したいところだが,受験勉強を教えてる講師としては同意できない意見だな。」


その言葉を聞いた彼女は当然といった様子で慌てることもなく,俺のほうを向いて言葉を返した。


「もちろん分かるに越したことはないよ。せっかく一生懸命勉強してるわけだしね。もしもの話。でも今がなければ未来もないからね。今が一番大事だよ。」


そう言った後、四宮は高校生二人の方に向き直りまとめの言葉をかけた。


「まぁ,これまでの努力を無駄にしないためにも,二人とももう少し頑張って。」


「「はい。」」


四宮の言葉に素直に答えた二人は,それから勉強を再開した。


そしてしばらく彼らの勉強を見ていると,窓を開けて外の様子を見ていた四宮が俺に言った。


「大分雨が強くなってきたね。」


四宮が言ったように,台風の影響を受けている外の様子は数時間前よりもかなり荒れていたようだ。少し前から室内にいても分かるぐらいの激しい雨音と,風によって窓が揺れる音が静かな教室に響いていた。

そして,彼女の言葉を聞いた桜井くんは,心配そうに隣に座っている広瀬さんに声をかけた。


「舞のお父さんは大丈夫なのか?今日はちょっと遅いけど。」


いつもなら今の時間に広瀬さんを迎えに来ている彼女の父親が今日は来ていないことを気にしていたようだ。


「そうだね。連絡してみようかな。」


聞かれた広瀬さんは自分の通学カバンからスマホを取り出しながらそう答えた。そしてスマホを操作して画面を見るなり,彼女は驚いた様子で桜井くんに言った。


「あ!お父さん,電車が止まってまだ家に帰れてないみたい。」


「やっぱりそうか。」


桜井くんは何となく予測していたようにそう答えた。


「高梨くん,二人を家まで送ってあげられる?」


高校生二人の会話を聞いて出かける準備をし始めていた俺に,四宮は確認するようにそう聞いてきた。


「もちろん。そうしようと思ってた。桜井くんは自転車だろうけど今日は置いて帰れ。二人とも俺が家まで送ってやる。」


四宮からの質問に答えた後,俺は普段自転車で来ている桜井くんと広瀬さんにそう言って,出かける準備を再開した。


「ありがとうございます。」


二人は俺に礼を言って帰る支度を始めた。そして俺は先に外に出て車に乗り,彼らが乗ってくるのを待った。


「人の家の車に乗るのって,昔からちょっと緊張するんですよね。」


「それ私も分かる。自分の家の車だとそんな事ないんだけどね。」


俺と四宮の車の後部座席に乗った二人は,仲良くそんな会話をしながらシートベルトを締めていた。


「俺も昔はそうだったな。」


彼らの話す内容に心当たりがあった俺はそう言ってその会話に加わりつつ,車を発進させた。


「やっぱりみんなそうなんですかね?」


そして激しい雨の音が響く走行中の車内で,広瀬さんが俺に聞こえるように少し大きな声で質問した。


「そうかもな。俺が今の君らと同じ高三だった頃はしょっちゅう四宮の家の車に乗ってて,初めの頃はその度に緊張してたもんだ。」


「どうしてそんなに四宮先生の家の車に乗ってたんですか?」


今度は桜井くんがそう質問してきたため,俺は答えた。


「四宮の家であいつに大学受験の勉強を教わってたからだよ。」


「え?四宮先生って高梨先生より年下じゃありませんでしたっけ?」


理由を聞いた彼は続けてそう聞いてきた。それはもっともな疑問だが,これまでいろんな人に散々説明して来た俺にとっては説明するのが面倒にも思う疑問だったため,なるべく短く簡単に答えた。


「そうだよ。でもあいつは高校入学時点で,高校の勉強終わらせてたからな。俺の方が出来てなかったんだ。」


「あぁ,そうだったんですか。なんかすいません。」


俺が面倒に思っていたのを察したのか,彼は俺に謝った。


「いいさ,もう慣れてる。」


彼にそう返事をした後,俺は次々と思い出される当時の記憶についてを彼らに語った。


「それで受験勉強をしに四宮の家に行く約束をしてたんだが,あいつの父親が何度も断ってるのに運転手付きの車を俺の家の前によこすんだよ。追い返すのも申し訳ないからあいつの家に行くたびにその車に乗って行ったけど,あの時は高級そうな車で緊張したな。」


昔の話を思い出して語ってしまうというのは,自分が年取ったなと思う箇所の一つだ。高校生ぐらいの年だと人によっては退屈で聞かない子もいるが,彼らはちゃんと聞いてくれており,広瀬さんはその後俺に尋ねた。


「運転手付きって,四宮先生の家の運転手って事ですか?」


「驚くよな。あいつは頭が良くて家柄も立派で,おまけに美人でみんなに優しい。人気者になる要素をこれでもかと集めたような人間なんだ。学生時代もみんなに好かれてた。」


彼女の質問に俺はそう答えた。四宮のことを褒めちぎったが,全て俺の本心であり事実である。


「四宮先生のお父さんと高梨先生は仲良いんですか?」


次に桜井くんがそう聞いてきた。


「仲良いって言うかは分からんが,嫌われてはないだろうな。高校生の時から親切にしてもらってる。」


「じゃあ,結婚すればいいんじゃないですか?」


俺が質問に答えると,彼は唐突にそんな提案をして来た。


「は?急に何だ?」


いきなり過ぎる彼の言葉に俺は驚いて聞き返した。


「結婚すると守るものができて,未来に向かってより頑張れるって言いますよ。先生たちみたいに信頼し合ってて,お父さんとの仲も良好なら結婚するのに苦労しないんじゃないですか?」


何を思って彼がそんなことを聞いたのかは分からないが,今さら高校生に結婚の話をするのは何だかとても恥ずかしく感じる。そのため俺は少し話題を逸らすため,彼らが興味を持ちそうな四宮のことを話した。


「確かに四宮の父親は反対しないだろうな。でも四宮本人があまり結婚したいと考えてないと思うぞ。結婚のシステム自体に疑問を持ってるらしい。」


「何ですか?それ。」


結婚について四宮が言っていたことを少しだけ話すと,思った通り広瀬さんが興味を持った様子で質問してきた。俺はそれを詳しく説明した。


「俺もよく分からんがあいつが言う話では,本当に信頼し合ってて何があってもお互いがそばに居続ける関係だという自信があるなら,わざわざ結婚して婚姻関係で相手を縛る必要なんて無いんじゃないか,みたいなことを言ってた。」


俺がそう話すと,桜井くんがそれについての意見を話し始めた。


「ちょっと分かるかもしれないです。結婚すると簡単には離婚できないですからね。もし一緒にいるのが嫌になった場合にはどうしても何か我慢しないといけない時間が発生しますし,嫌にならない自信がある人は婚姻関係の有無に関わらず一緒に過ごすでしょうからね。」


彼は四宮の意見に賛成の様子だったが,今度は広瀬さんが反対の意見を彼に述べ始めた。


「いや,私はそんな人こそ結婚した方がいいと思うな。人間って常に同じ気持ちで過ごしてるわけじゃないじゃない。機嫌が悪い時もあれば,体調が悪い時もあるよね。今の私と一年後の私,十年後の私はきっと違う気持ちだと思うし,誰だってそうでしょ。一緒にいるのがいい時もあれば,嫌な時があってもおかしくないじゃん。」


「だからこそ,嫌になった時に我慢しなきゃいけなくなるのは良くないだろ。」


広瀬さんの考えを聞いて,桜井くんはさらに反対する意見を述べた。そうして二人はまたしても喧嘩のように見える言い合いを始めたのだ。塾にいた時に続いて,俺がこんな光景を見るのは本日二度目である。四宮はこの二人がとても仲良しで相思相愛だと思っているらしいが,この様子を見ると俺には少しそれが疑わしく思った。

俺が黙ってそんなことを考えている間にも二人の言い合いは続いており,次は広瀬さんが意見を言う番になっていた。


「それはそうだけど,いっときの感情で喧嘩したりして離れ離れになって,その関係性が無くなるのは悲しいじゃない。冷静になって考えれば元の関係に戻れるかもしれない。そのためにも簡単に解消できない婚姻関係で時間を作るっていうのも,私はいいと思うけど。」


「そう考えるとそうかも。ゆっくり時間かけて考えて,それでもダメなら別れればいい話だな。」


それまでは反対意見の言い合いだった二人だが,広瀬さんの意見を聞いた桜井くんは納得したようにそう言って,二人の口論は自然に終わった。

前言撤回である。それまでの口喧嘩の様子とその自然な終わり方を聞いた俺は,彼らがやはり仲良しで相思相愛なのだと感じた。彼らは日常的に今のような口論を繰り返していて,それによってお互いの考えを知ろうとしているのだろう。それが彼らにとってのコミュニケーションのあり方なのだ。これからはそれをなるべく邪魔をしないでおこうと考えた。

そんなことを思っていた矢先,彼女との口喧嘩を終えた桜井くんが俺に言った。


「高梨先生,やっぱり結婚した方がいいですよ。」


二人で話し合って下した結論は,最初と変わらなかったようである。


「結局そうなるのか。そこまで言うなら考えとくよ。」


この状況であまりそういうことを話したくない俺は,その場をしのぐためにそう答え結婚についての話題を終えた。

そしてとりとめのない会話をしながら車を進めていくうちに,俺たちは桜井くんの家の前に着いた。


「桜井くん,着いたぞ。」


「はい,ありがとうございます。」


彼はそう答えてドアを開けた。


「また明日ね。」


広瀬さんは車から出ようとする彼にそう言って,見送った。


「うん。また明日。」


桜井くんはそう答えて出て行き,激しい雨の降る中を走って自分の家に入って行った。

それを確認した俺は広瀬さんに案内されながら,彼女の家に向かって車を走らせた。


「高梨先生。」


桜井くんの家を出発してからは特に話すこともない俺たちはお互い無言だったが,しばらくすると広瀬さんが話しかけてきた。


「何だ?」


俺が聞くと彼女は話し始めた。


「さっきの話なんですけど,本当に四宮先生って結婚したくないと思ってるんですか?」


「まだ続けるのか?その話。」


なるべく話したくない話題なのでなるべく避けようと思い,俺は彼女にそう聞いた。


「私が納得いくまで続けますよ。」


しかし広瀬さんはそう答え,やめるつもりがない様子だった。そのため俺は観念して結婚についての話を聞くことにした。


「何が納得できないんだ?」


「だから,四宮先生が結婚したくないのかなってことですよ。だって『ロミオとジュリエット』が好きなんですよ?絶対結婚したいでしょう。」


「ハハハ。それは偏見だろ。別に『ロミオとジュリエット』が好きでも結婚したくない人もいるかもしれない。」


俺は彼女の子供らしい思い込みについ笑ってしまった。


「はい。でも普通そう思いません?」


だが広瀬さんにそう改めて聞かれると,彼女の思い込み通りのような気もした。そんな話を最近四宮とした覚えが無いため本音は分からないが,もし今結婚を申し込んだら四宮は喜んで受け入れてくれそうな気がする。

俺は今思ったことを素直に彼女に話した。


「確かにそうだが,思い込みで決めつけるのは良くないぞ。正直俺も,四宮が本当は結婚したいかどうかなんて分からない。」


「だからお互い理解するために話し合う必要があるんですよね?」


塾で四宮が言ったことに感化されて言ったのだろうが,俺はその言葉を聞いてハッとした。しかし,彼女は俺が返事をする前に話を再開した。


「先生たちが私たちみたいに何かに関して言い合うところを私は見たことないですもん。私は四宮先生が遠慮しているんじゃないかって思います。」


「君らみたいに喧嘩しながらか?」


口喧嘩みたいな言い合いを日常的に繰り返している彼女だからこその意見だと思い,俺はそう聞いた。


「え?えぇ,そうですね。喧嘩してるわけではないですけど。」


予想外の質問だったのか,彼女は少し困ったようにそう答え,そして少し間を空けて言った。


「すいません。ちょっと出しゃばってしまったかもしれません。」


「いやいいよ。ありがとう,考えてみるよ。」


彼女から言われたことに思い当たることがいくつかあった俺はそう答えた。桜井くんに言った時にはその場しのぎで同じことを言ったが,今度は本気で考えようと思いそう答えたのだ。

その言葉で彼女との会話は終わり,数分車を走らせているうちに彼女が住むマンションの前に着いた。


「ここでいいか?」


「はい。ありがとうございました。」


彼女はそう答えると,車を降りてその中に入って行った。


広瀬さんを家まで送った後,俺は一人で家路に着いた。そしてその途中,激しい雨音を聞きながら広瀬さんたちに言われたことを思い返した。


これまで俺は何度か四宮との結婚について考えたことがあるが,すべて実行しなかった。

タイムマシンで過去が改変されれば,彼女は俺と出会わない全く別の人生を歩むかもしれない。そう考えると,大事なプロポーズを俺が今の四宮にしていいものなのかと思い,遠慮して思い止まったのだ。今考えると完全に俺の考え過ぎであり,自分勝手な思考だったと思う。


だがタイムマシンはほぼ完成しており,四宮は新しい組織づくりのためにいろいろ考えて動いている。さすがに今のこの状況で結婚しようとは思ってない。これからタイムマシンのデータを取り,人体実験ができるまでおそらく半年もかからないだろう。それまでに俺は先生の過去を改変するかしないかを決めなければいけないが,それはその間四宮と話して決めようと思う。


四宮がタイムマシンを作らなくとも,のちに別の誰かがその理論を見つけて作るかもしれない。だがタイムマシンを使ってこれからの技術を規制しすぎないルールを作るという目的は,おそらく彼女しか目指さないものであろう。タイムマシンを作るのが四宮でなければ,この世界の技術の進歩は遅れ,人類にとって大きな損失になるかもしれない。

しかしこれまで長い間四宮と過ごしてきた俺は,人類にとってどうだという基準で決断する気は無い。そんな重い責任を彼女に背負わせるべきかどうか。彼女が何を望んでいるか,どうすれば彼女にとって最良の結果になるのか,それを考えて決めようと思う。

ただしその結果は全て俺の責任であり,四宮のせいにするつもりはない。どちらを選んでも苦しい犠牲を強いることになる問題だ。最終的には俺が決めるべきだと思う。


そんなことを思いながら,俺は四宮が先に帰っている家に戻った。四宮は自分の部屋にこもって調べ物をしているようだったため,邪魔をしないよう俺が一人でお茶を飲んでいると,しばらくして部屋から出てきた彼女が話しかけてきた。


「お帰りなさい,高梨くん。さっき桜井くんたちが言ってたことが気になって調べてみたんだけど。」


楽しそうにそう話しかけてきたので何を言ってくるのかと思ったが,俺が聞くまでもなく彼女は同じ調子で話し続けた。


「どちらかというと外国じゃ吹き替えが主流らしいよ。日本ほど字幕はないところが多いみたい。不思議だよね。結局映画の内容によって字幕と吹き替えを選ぶのが一番いいと思うな。」


俺が高校生二人に結婚について質問責めにされた上,これから真剣にお前のことを考えようとしていた時に,当のお前はそんなことを調べていたのか!と言おうと考えたが,彼女は車内での会話を聞いていなかったのだから言っても仕方がないことに気づき止めた。それに何に対しても全力で今を楽しむ彼女と過ごす日常が,やはり俺にとっては楽しいことに改めて気づいた。


どうすれば四宮のためになるのか,その答えを出す期日はおそらく三月一日。その日に俺と四宮が何をするか,何ができるかによって,きっと未来は大きく変わる。

もうすぐ無くなるかもしれないこの日常を俺は高校生の二人を見習って,彼女を理解しながら楽しんで過ごそうと思う。


つづく

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