忘却のかなた

でぶりん

姥捨て山

 都市鉱山というものがある。使われなくなった携帯電話,コンピューターなどから金などの希少金属を集めて再利用するのだ。都市に山を見つけて,バラ色の未来を描く人もいるが,火葬場から金歯を拾うのと何が違うのだろうか?骨をかき分けて探し出す行為の方に背筋が寒くなる。使えるだけ使い倒そうという意図だけが見えてくる。

 姥捨て山も大なり小なり老人の知恵などを再発見して,感謝して終わる流れがある。しかし,生きている現実に寄り添うわけではない。どうしても骨の髄までしゃぶり尽くそうとする心が透けて見える。捨てるには持ったいない,「まだ」使える。捨てさるのを先送りにしただけだ。本当に捨てられるに値する物になるまで待つ。捨てる者と捨てられる者との断絶の構図はかわらない。生きている人が感じている現実を味わおうともしない。

 山はどこにでもある。むしろ都市の方が多いのかもしれない。老人ホームが都心にも作られている。家族がおじいちゃん,おばあちゃんをお見舞いしやすいようにという建前は文字通りの意味だ。エデンの園とか名前がつけられている。おそろしい。朝飯前のことを朝飯前に片づける人は少ない。建てただけで実際にそこを訪れる人は少ない。他の人のお見舞いに来た人に食堂から手を振るおじいさん、おばあさんの姿を何度も目にした。私は姥捨て山に居るのか?何度も自問して月日を過ごした。

 隔離すればした者との時間と空間の連続性は失われる。あとは間によって忘却されるまで時を重ねるだけだ。ごくまれに面会して忘却の度合いを確かめに来る。

「おばあちゃん,わたしのこと覚えている?*ですよ!」

「やだなぁ,忘れちゃったの?仕方がないなぁ。」

本当に仕方がないと思っているのだろうか?諦めの中に安堵の表情が幽かに感じられる。物を捨てるときの郷愁に混じる恍惚感に似ている。

 時の連続性を維持しないで生きてきた軌跡だ。「リトル東京や中華街はよいものでしょう?」と暢気に言える人がうらめやしい。隔離された安全な地に住んでいて,たまに訪れるからこそ言える技だ。社会に隔離されてなお自分たちの身を守ってきた時間と空間の高みが山になっていることを意識しない。姥捨て山はどこにある?捨てるときしか見ないから,普段は見えていないだけだ。

 近江の病院に来て初めて,家族の生活の中にある病院という実感がもてた。仙台から近江まで南下して,実に6病院目である。仕事が終わるとじいちゃん,ばあちゃんの顔を見に来てご飯を呼ばれてから帰る。近江の方言で食べることを「呼ばれる」という。彼岸に捨てられずに,此岸から帰ってこいと呼ばれている気がする。実に気分がいい。

 こうして捨て幻想は追い払うことはできたが,生きている現実は先輩たちと一緒に生活してきて時空を共有して初めてえられた。姥捨てというと体力も気力も衰えていない人間を無理矢理置き去りにするという残酷さを感じていた。だが,ここではそんな残酷さは多くの人にはない。痛みを和らげる儀式の期間がライフステージにはある。

 目はかすみ,耳は遠く,歯もなくして自分の肉体で自分の体を作ることは難しくなってくる。あらゆる管が体につながれモニターされている。自分一人では自分の体をどうにもすることはできない。捨てられるよりもむしろ拾って頂いている。

樋口了一さんは「手紙」でこう歌っている。

「悲しいことではないんだ。旅立ちの前に,祝福の祈りを捧げてほしい。」

 昨日もSさんは病院を抜け出してどこかに行こうとしていた。自分の病室の前を何度も何度も通り過ぎて,私の部屋の一画もくまなく旅して,もう自分の居場所はここにはないと悟ったようだ。身体を捨てに行く?きちんとNさんがSさんを放さずつかまえて,寝床につかせてあげていた。また今日も繰り返すのだろう。朝には再起動する。コンピュータと同じだ。食堂で隣に座るCさんも,若いNさんを兵卒のように叱りつけて不機嫌だ。私は南方戦線を生き抜いた同志という記憶の中の居場所を与えられて「ぼん」と呼ばれているから安泰だ。

 捨てるといっても主語は明確ではない。自分のライフステージで捨てる方にも捨てられる方にも,その両方にもなれるだろう。山はどこにあってもよい。だが生きている現実だけは捨てないで最期まで肌身離さずに誰かが持っていたい。捨てるのは隔離して自分と関係ないものにしようとするいしの方だ。路傍のいし。姥捨て山はあなたの心の中にある。見えるものにするかどうかはあなたの心づもりだ。

「やっとおじいさんがいくのを許してくれた」

そう言って集中治療室に運ばれていったおばあさんがいた。捨てられたのではない。選びとられたのだ。

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