日奈の家庭訪問

 陸上輸送課の上司とバド部の監督に昨夜のうちに了承を貰い、萱場は鹿児島行きの朝一番の飛行機に乗った。

 上司からも監督からも選手のマネジメントのことなのだから出張扱いにしてやろうかと言われたが、萱場はプライベートだからと公私のけじめをつけて休暇を取った。ちなみに彼の有給休暇はほぼフルで余っている。


「九州か・・・いいな。別の国みたいに広々してるな」


 空港で萱場はレンタカーを借りた。

 日奈が東京に出てくるまで通っていた高校女子バドミント界の覇者、聖悟女子高校は鹿児島市内にあるのだが、実家は枕崎だった。


 九州の最南端でカツオ漁も盛んな港である枕崎へ向けて快適なドライブのひと時、萱場は久し振りに心の休まる思いだった。

 彼は勤め人としての仕事や実業団アスリートとしてのストイックな生活を自ら好んではいたが、京浜近辺の内航タンカーの機関長だった父親に会いに港へ行っていた子供の頃の思い出がふと弛緩の一瞬を与えてくれることも意識していた。今日は現実の景色の中でそれを感じられる心地よさに心身ともにリラックスしている。


 枕崎市内に入り海の匂いがより強まったような気がした。肌寒さはあるが、萱場はドアウインドウを少し下ろしてその香りを存分に味わう。


 幹線道路から漁港が見える位置に来ると、二つの人影が目に着いた。


 兄と妹だろうか。兄は中学生、妹の方は小学生か。


「ん?」


 萱場はおもむろにハンドルを岸壁の方向へ切った。


 萱場の車がふたりに近づくと、妹の方が、ぴょん、という感じで手を振って来る。


「タイスケさーん!」


 狭い街ということなのか、それにしても着いた途端に出くわすとは。


「日奈、大丈夫だったか?」


 萱場は車から降りてふたりの元に歩いて行く。

 兄、と思っていた男の子の方は日奈よりも背が高いけれども顔は幼かった。


「ええと。お兄ちゃん、じゃないよな?」

「冗談よしてよ、タイスケさん。こんなガキンちょ」

「ガキじゃねえよ」


 ほら、ご挨拶しなさい、と日奈に促されて男の子がぶっきらぼうに言った。


「佐倉 恵陽けいよう

「いとこなんですよ。ほら、名前だけ言うんじゃなくって、なんかあるでしょ?」

「日奈がいつもお世話になってます」


 生意気な、と日奈が恵陽を軽く小突いた。


「萱場 泰助です。よろしく」

「タイスケさん、疲れたでしょう。案内しますからウチまで乗っけてってください」

「2、3日会わないだけじゃ物言いは変わらないもんだな。恵陽くんもどうぞ」

「こんな生意気なガキンちょに、『くん』付けなんてしなくていいよ」

「なんだとー、チビのくせに」

「へっへー。わたしの方が恵陽よりもバドミントン強いもんねー」

「お? 恵陽くんもバドミントンやってるのか」


 こくっ、と頷く彼に日奈が補足する。


「今、中2で一応キャプテン」

「ほー。一度手合わせしたいもんだな」

「萱場さん、なんでこいつを強くしたんだよ?」

「うん?」

「ちょっと前まで俺の方が強かったのに。男なのに立場がねえよ」

「でもな、俺が日奈と会った時はもう強かったぞ。日奈自身の努力だろう」

「あ、タイスケさん、たまにいいこと言う」

「いつも、だろ」


 日奈の実家は港から車で2分とかからなかった。タイスケさんだよー、と日奈が玄関で元気に言うと、父親が駆けて出てきた。


「萱場コーチ、本当にこんな遠いところまでお越しくださってありがとうございます。さ、どうぞ」

「失礼します」


 普段からもお客はここに通しているのだろう。台所のテーブルは接客にも耐えうる立派なもので、萱場と父親が向かい合って座る。

 日奈がコーヒーを淹れ、大振りのシュークリームを給仕した。そのまま日奈も恵陽もテーブルに着く。


「おばあちゃんは今は?」

「近くの総合病院に入院させました。今朝は女房が付き添ってます」

「それで、ご容態は」

「はい。あらかたお電話した通りです。圧迫骨折の方は大したことはなかったんですが、やはり介護が必要になるようです」

「そうですか・・・」


 腰椎の圧迫骨折そのものは自然治癒するし、少しリハビリすれば歩けるようになるはずだった。ところが、そもそも転んだ原因が、難病指定されている神経系の病気だったのだ。


「左半身が小刻みに震えるようになってるんです。結果、骨折が治っても普通に歩くことはできないでしょう。茶碗を持ったりするのも難しいようです。地域包括支援センターのケアマネージャーさんを紹介してもらって、介護プランを立てている所です」

「具体的には?」

「実は、病気の性質上、幻覚が見えたり幻聴があったりするようです。認知症になる可能性も高いらしい。何より怖いのがまた転倒するリスクです。わたしは勤め人ですから日中の介護はまず無理です。女房もパートと家事があり目を配るにも限界があります。現実的には施設に入所するか・・・」

「だからわたしがウチに戻っておばあちゃんを看るって!」

「日奈! せっかく萱場コーチや皆さんのご指導のお陰でオリンピックが決まったんだぞ。現実的に考えたらばあちゃんは施設に入れるしかないだろう」

「だって、ばあちゃんずっと前からウチを離れるのは嫌だって言ってたじゃない。かわいそうだよ」

「だからって、期待してくださってる皆さんにご迷惑をおかけするようなことはできん。お前だってもうそれぐらい判断できる年だろう」

「判断できる年だからこうしてちゃんと考えて言ってるんだよ。タイスケさんや東城トランスポートの先輩たちには申し訳ないけどオリンピックは諦めてばあちゃんの介護をする! だってわたし、一人娘の跡取りだから・・・」

「まったく頑固なやつだ・・・萱場コーチ、どうか日奈をこのまま東京へ連れて帰ってください。そうしてオリンピックまで鍛錬してやってください」


 萱場はこの真剣な親子を見て羨ましいと思っていた。

 萱場が中学生の時に亡くなった萱場の父親からは死ぬ間際の一週間ほどで色々な人生訓を聞くことができた。だが、日奈とその父親のようにここまで必死でぶつかり合うような経験は結局持てなかったのだ。


 萱場が言葉を繋ごうとした時、声を発したのは思いがけない恵陽だった。


「俺がばあちゃんを看る」

「恵陽?」

「日奈ねえちゃん、要はおばちゃんが家事をしたり買い物したりする時間をつくってやればいいんだろう。この間ケアマネの杉野さんが言ってたじゃないか、日中だけならヘルパーさんの訪問介護でなんとかなるって。そんなら放課後は俺が学校から真っ直ぐここに来てばあちゃんを看てやる」

「恵陽、何言ってんの? 部活は?」

「いい。辞める」

「だって、あんたキャプテンでしょ? それにバドミントンあんなに好きじゃない」

「いい。日奈ねえちゃんの方が俺より強いからちゃんとオリンピック行ってこいよ」

「だって・・・」


 萱場が静かに口を開いた。


「恵陽くん。1試合やってみるか」


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