鏡姉妹

私には三つ年上の姉がいる

顔も性格もそっくりで、少しだけ姉の方が背が高い。

私服で出歩くと姉と間違えられ、声だけ聞かせると親でも聞き分けられない。

姉は優しくて成績優秀で、運動神経も抜群。

生徒会長で絵に描いたような優等生だった。

私はそんな姉が誇りで…悩みの種だった。


何をしても姉の影がチラつく。

学校では「先生と先輩達」が、家では「両親」が悪気なく姉と比べる。

「君のお姉さんは運動が得意でなんでもこなせる生徒だった。」

「お姉ちゃんは、成績が学年トップでとても優秀だった。」


そんな事を言われる毎日。

勉強を頑張っても姉には成績で勝てないし、人見知りで運動が苦手で不器用。

私は何をしても、何を頑張っても、姉より劣っている。



学校で廊下を歩くと、知らない顔の先輩達が話しかけてくる。

姉は有名人だったから妹の私を見ると話しかけてくる。


「うわっ凄いそっくり。」

「もしかして高木さんの妹さん?」


「は、はい…」


社交的な姉と違って内気な私はそれ以上の返事が出来ない。


「先輩そのものじゃん!」

「かわいー!」


取り囲んだ先輩達が、姉と私を比べた言葉を並べ立てる。

顔がそっくり。身長は少しだけ低い。声もそのまま。お姉ちゃんは凄い人だった。

色んな人から同じ言葉を言われる毎日。



先生からは

「お前のお姉さんはこの問題も解けていた」

「お姉さんと違って運動は苦手なのか」

と言われ、


親からは

「あともうちょっとでお姉ちゃんと同じ成績になれるから頑張って」

と言われる。


誇りに思っていた姉の話も、歳を重ねるごとに嫌いになっていった。

でも姉は何も悪い事をしていない。ただ、私が一方的にコンプレックスを感じているだけだ。

姉は好きだけれど、比べられるのは嫌い。姉に対する矛盾した感情が私を悩ませる。


…せめてランクを落としてでも姉と違う高校を選べばよかった。

姉と比べて全てが劣っている自分が恥ずかしい。

私は、姉の事を知らない人達がいる環境に身を置くべきだった。

…後悔した。



家に帰っても勉強をひたすら続けた。

悩みの種である姉に、悩みの勉強を教えてもらう。

勉強だけが唯一私の取り柄なんだ。

勉強が出来ると姉に褒められるのが今でも嬉しい。


姉は好き。大好き。でも他の人達は嫌い。

姉と私を比べないで。私の事で言っていいのは姉だけだ。

私は学年で順位は8位。…姉は1位。当然だ。

1番より上はない。


私は勝てない勝負をしなければならなかった。


「お姉ちゃんってさ…」


「何?」


「学校の成績って覚えてる?点数とかさ…」


「…覚えてるわけないよね」


茶化して言うと意外な答えが返ってきた


「698点だよ」


「…え?」


「698点が入学して最初のテストの点数」


「…覚えてるの?」


「数学のテストは暗算で答えしか書かなかったら、

 計算式も書かないと配点しないって言われちゃって…

 問題文に記載されてないって言いにいったんだけれど、却下されちゃって…

 だから698点」



うすら引いた。

まさか三年前のものを覚えてるだなんて露ほどにも思わなかった。

それに本当なら、一切のケアレスミスをしていない事になる。


全ての点数を把握してそう…


更に気持ちが沈む事を恐れてそれ以上は聞かなかった。

勉強だけでも頑張らないと…


姉がいなければこんな劣等感を持つ事も無かったのかな…

いつも考えてしまう邪な気持ちを振り払う。

…姉は素晴らしい人なんだ。



次の日、下駄箱に手紙が入っていた。

…いつものか。

トイレに入ってカッターで封を切って中身を見る。


「放課後の5時に教室で待っています。」


気が滅入る。きっといつものように告白だ。

大事であろう用事を私の事を一切考えず、手紙主の都合で時間と場所を指定している。字が汚ければ気も効かない人だ…


姉は私から見て、色眼鏡抜きにしても美人だ。

集合写真では顔が小さくて目立ち、目が大きく鼻筋がしっかりしている。

声も透き通っていて、私でさえその綺麗な声にたまにどきりとさせられる。


私は自分の顔を見ても美人だとか微塵も思わないが、

写真に写った私達は確かに同じ顔をしている。

きっとこいつも顔で私に好意を持っているんだろうな。

知らない手紙の相手を想像し、勝手に軽蔑する。


私と姉を比べたら、劣っている私が選ばれる事なんて絶対ない。

手紙を読んだだけだが、音姫を起動させトイレから出る。



授業を聞きながら考える。なんで姉は彼氏を作らないんだろう。

根が腐っている私と違って、姉は聖人だ。


月初めの日曜はボランティアに参加している。

困っている人がいたら我が身を削ってでも助けるような人だ。

出会いが無いわけじゃないし、事実モテている。

私みたいに…いや、そんなわけないか…



放課後呼び出された通り教室に戻る。誰もいない教室…いや1人いた。

私よりも下の人間だ。


「来てくれたんだ…」


「うん。どうしたの?

 こんな時間に呼び出して。」


わざとらしく、何も知らないフリをする。


「あ、あの…」


早く答えろ愚図が


思い出した。中学の時にも告白して来たやつだ。あの時から何も変わらない。

身長は相変わらず低いし、中肉で痩せたわけでもなく眉毛や髪も整えていない。

十人並みのそこらの虫だ。


私より成績が良かった7人の名前と顔は覚えてる。

虫の成績は知らないが、上位7名を抜いた271人は全て私以下のゴミ虫だ。

私に告白してきた有象無象のゴミの中で、こいつを覚えている事に無性に腹が立った。


「…好きです。付き合ってください。」


少しの沈黙の後、虫は人に告白をしてきた。

30分間無言を貫いていた中学生から少しは成長したようだ。

答えは決まっているが、自然に装うために一呼吸置く。

呼吸する間に、沸騰した頭も少し冷やす。


「あの、今は誰と付き合う気もなくて…ごめんなさい。」


項垂れる虫。

決まっている。虫と人が子孫繁栄できるハズがない。


「でも覚えてるよ。 中学の時からまた告白してくれてありがとう。

 …嬉しかったよ。」


オス相手に逆上でもされたら敵わない。

笑顔と共に多少聞こえの良い言葉でも付け加えておく。


「覚えてくれてたんだ!そ、そうなんだ。高木さんの事が好きなんだ。

 だから勉強も頑張って、高木さんの事が好きで偏差値の高いこの高校に来れた!」


頭に水虫でも湧いてるんじゃないのか


私より下な時点で話にならない。

多少でも浮かれさせる言葉を言ってしまった事に苛立つ。

全身に水虫が移るから近寄るな。

お前にとって特別でも、私にとっては群がる虫の1匹なんだ。


ムカつく。


虫にも腹が立つが、無駄なプライドで他人を格付けしている自分にも腹が立つ。

このプライドさえなければ姉より劣っていても何も考えずに済んだだろう。

ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく。



「あっ今日は遅かったねー。」


家に帰ると姉がソファーでくつろいでいた。


「…ただいま。」


「なんか疲れてるけど…何かあった?」


「ううん。何もないよ。ちょっと友達と遊んでたの。」


「へー新しい友達?楽しかった?」


「うん。楽しかったよ。」


姉は素敵だ。

眉目秀麗秀才で聖人君子。私なんかが妹でいいはずない。


「お姉ちゃん…ってさ」


「ん?なに?」


「…彼氏とか…作らないの?」


「どしたの急に。あー恋バナとかしてたんだ」


姉がにやけ、瞳が三日月型になる。

釣られて私も笑う。


「んー…まぁそんなとこ。」


「私も興味ない訳じゃなくて…

 何と無くで付き合いたくないかなーとか思ってるの

 んー…ただ、気になる人がいないわけじゃないよ?」


少しだけ饒舌になる姉が意外だった。

きっと姉が気になるならそれは素晴らしい人なのだろう


「へぇー良いなぁ。

 お姉ちゃんなら綺麗だし大丈夫だよ!」


「そんなんじゃないよ。

 それよりも水お願い。」


照れ隠しのように言葉を続ける。


「猫の水変えてなかったのー?

 餌もついでにあげとくね。」


「りっちゃんは作らないの?」


「彼氏?…良い人が現れたらかな?」


「りっちゃんは可愛いし、努力家だからきっと見てくれてる人いるよ!

 りっちゃんの彼氏になった人は絶対に良い人だから、私も仲良くなれると思う!」


「もーいないんだから、そんな照れるような事言わないでっ」


…私ができるハズがない。

告白する時に一目惚れなんて言う奴もいたけれど、姉と私は顔が同じなんだ。

全てにおいて姉より劣っている。


きっと付き合ったとしても、姉に会わせたら私の事なんかどうでも良くなる。

良いところのない私は、魅力で選ばれる事なんて無いんだ。


姉は好きだし尊敬しているけれど、彼氏が出来ても会わせたくない。



次の日の教室、机に頬杖を付きながら彼を目で追う。

最近は同じクラスの朝倉くんが気になってる。

私より成績が良くて運動も得意。言葉の端々から優しさが伝わってくる。


今は友達と笑いながら談笑してる。

もし付き合うなら彼のような人が良い…私より優れていて、優しくて…


お姉ちゃんの事を知らない人。


小中違う学校で私や姉との接点が一切ない。

毎日バレないように尾行しているが彼女の影もない。

理想の人だ。彼と付き合いたい。


優しいからきっと私をイラつかせないし、姉以外なら比べられても私は平気だ。

友達に向けている笑顔を私にも向けて欲しい。きっとデートでは私を引っ張ってくれる。記念日も祝ってくれるだろう。

…妄想だけでなく行動しなくちゃ。


私自身には自信はないが、姉の外見的魅力は信用している。

むしろ唯一の拠り所だ。これだけは姉妹の優劣はない。

姉と同じ髪型で同じ系統の服にしていれば間違いがない。

全く同じなら比べられない。


負けるのが怖いから、比較されないようにする。

そこに私はいない。姉がいて、初めて私は存在する。



放課後、図書室で読書している彼を見つける。

珍しく1人だ。


「アルジャーノンに花束を読んでる。」


「高木さん。話すの初めてだね。」


「そうだねっ。」


鏡の前で練習した笑顔を作る。

姉の笑顔を真似していて、私はこの顔が好きだ。

姉の笑った時の三日月みたいな瞳にはドキドキさせられる。


虫には見せなかった笑顔だ。


「私も読んだことがあって、とっても好きなんだ。

 読み終わったら感想聞きたいな。」


「あー…頑張るよ」


彼との会話は楽しかった。朝倉君は頭が良くて、読んだ事のある本も似ていた

彼が話せば私が答え、私が本を見せれば彼は楽しそうに語る。

やっぱり朝倉くんじゃないとダメだ。私は朝倉くんと付き合いたい。


あんな虫に好かれたくない。


「そう言えば高木さんってお姉さんいるでしょ?」


「えっ…」


背筋が凍る。

なんで朝倉君が姉の事を知っているんだろう。


「僕もボランティアやってて、たまに一緒になるよ。」


「そ、そうなんだ…」


「見た目がそっくりだから初めは君かなって思ってたんだけれど、

 なんか印象が違ったから…」


「そ、そうなんだ…よく言われる。」


そこから先の話は覚えていない。

どうしよう。姉と接点があったんだ。姉に私なんかが勝ち目なんかない。

姉の事を知らなくて、私より上の良い男子なんて知らない・・・

どうしよう、どうしよう…



日曜日になった。姉がボランティアに参加する。


どうしよう…朝倉君と姉が接点があったなんて…

本当はボランティアに参加して探りたかったが、

万が一姉に気持ちを悟られるのが嫌だった。


諦めたくない。


日々の妄想が膨らみ、妄想と共に膨らんだ期待を手放したくなかった。

勉強が手につかず、気が付けば夕方になっていた。


早足に階段を駆け上がる音が聞こえる。

この足音は…


「ねぇっりっちゃん!」


予想通り、姉が部屋に顔を覗かせる。

あの足音は良い事があった音だ。


「もーノックしてよー」


予想通り、視線を移すとにこやかな姉の顔が目に入った。

嫌な予感がする。


「…お姉ちゃん、何か良いことでもあったの?」


「私ねっ彼氏できたよ!」


一瞬固まるが、すぐに作り笑顔に変えてやる。

まだ朝倉くんと決まった訳ではない。


「えっ本当?」


早い…そんなすぐに出来るものなのか

いや、姉なら告白すれば百発百中。

告白してくる男もたくさんいるだろう。


「うん。

 この前、りっちゃんが言ってた彼氏の話があってから、なんとなくね。」


「そうなんだ。」


「りっちゃんは知ってる人かもしれない。」


「えっ?」


やはり嫌な予感がする。


「朝倉くんって言うんだ。」


「朝倉くん…」


「あれ、りっちゃんと同じクラスって聞いてたんだけど違った?」


「あ、うん…し、知ってるよ。」


私が図書館で話している間に姉はもっと先まで進展していたんだ。

「気になる人がいる」姉が言っていて引っかかっていた言葉を思い出す。

私が言わなければ、まだ付き合わなかったのかもしれない…


「それよりもご飯作ったから下で食べ…きゃっ!」


ショックで足元が見えず、階段を踏み外す。


「危ない!」


「きゃっ」


咄嗟に姉が私の手を掴んでくれたけれど、一緒に転げ落ちてしまった


「あ、いた…」


「お姉ちゃん大丈夫!?

 私なんか庇ってっ!」


「いったー…大丈夫…大したことないから

 りっちゃんよそ見しちゃってたね」


「うん…ごめん

 助けてくれてありがとう…」


姉が朝倉くんと付き合った。

あんな良い人なんだもの。

当然かもしれない。


それよりも今は姉が私を庇ったのが嬉しかった。

私より優れた姉が、私なんかを助けてくれた。

そうだ姉はいつでも変わらず優しいんだ。


「ごめんねお姉ちゃん。私を庇ってくれて。嬉しいよ。」


「きゃっ!

 …もー、りっちゃんったら大げさなんだから」


三日月の瞳を見せないように、姉を抱きしめる。


嬉しくて笑みが止まらない。



階段の怪我は幸い、2人とも軽い打撲で済み、怪我はまるで無かったかのようだった。

姉は変わらず優しいままだった。

こんな素晴らしい姉なんだ。朝倉くんの事は諦めよう。

数ヶ月の短い恋だったな…


いや、ただの憧れだったのかもしれない。

お姉ちゃんと朝倉君は似てる。

きっと劣等感を感じない人を求めてたのかもしれない。


やっぱり私が変わらなくちゃ



次の日曜は2人で買い物を楽しんだ。

劣等感はあるけれど、やっぱり素晴らしい尊敬する姉なんだ。

私なんかが変な事を考えちゃダメなんだ。


「あー楽しかった!もう暗くなるし、電車で帰ろっか

 今日買ったお姉ちゃんの服が着たくなったら、借りて良いからねっ」


「ありがとー。その服可愛いと思ってたから嬉しい」


「りっちゃん。もうすぐ特急が来るから危ないし、こっち寄ろっ」


「うん。…きゃっ!」


急いで歩いているおじさんにぶつかってしまった。


「あっ…」


踏み止まろうとするが、履き慣れてない靴でバランスを崩す。

このままだと線路に落ちちゃう…


「りっちゃん!」


姉が咄嗟に私の手を掴む。嬉しい。また助けてくれた。

やっぱりお姉ちゃんは私のような虫なんかにも優しいんだね

自分が怪我してしまうかもしれないのに、階段から一緒に落ちてくれた

今も轢かれるかもしれないのに私の腕を掴んでくれた


…お姉ちゃんが轢かれる?


…もし、もしもだよ?

この手を思いっきり引いたら、線路内に落ちちゃうのかな。

このタイミングだったら電車に轢かれるかな。


狂気が私の脳に入り込む。


お姉ちゃんがいなくなれば私が劣等感を感じることもない。

きっと朝倉くんだって私と付き合ってくれる。

お姉ちゃんよりも出来損ないかもしれないけれど、料理も出来るし読書の趣味もあう。


いやだ。朝倉くんの事は諦めたはずなのに。

姉への劣等感は私のただの勝手な妄想だって終わらせたハズなのに。

こんな事考えたくない。お姉ちゃんの事大好きなのに。愛してるのに。


お姉ちゃんを殺したら、私がお姉ちゃんになれるかな。


いやだ。


殺さなくちゃ。


いやだ…


お姉ちゃんがいなければ、比べる人もいない。

そっくりなんだし私だって大好きなお姉ちゃんにきっとなれる。

朝倉君も私と付き合ってくれる。


いやだ!!


長年積もってきた劣等感と憧れが私を支配する。

私の意思とは関係なく腕が動いていた。

姉は私を通りすぎ、線路へ飛び込もうとしていた


やった。やってしまった。どうしよう。私じゃない。

私の意思ではどうにも出来ない、劣弱な心が腕を動かした。

ゆっくりと時間が進む。


ごめんなさい。大丈夫だよね?こんな事で死んだりしないよね?

私は姉から目が離せなかった。


やだ 死んでほしくない。なんでこんな事をしたの?

腕を引くのは一瞬だった。

その結果が出るまでは一生かかるかと思う位、長く感じた。


こんな妹でごめんなさい。お願いします。死ぬなら私が死にます。

放り出された姉の顔が変わる。その表情はわたしの予想と異なっていた。


…笑った?

その瞳は三日月の形をしていた。


その刹那。姉の姿が消え、電車が姉を隠すように視界を占領する。

少しだけ沈黙が訪れ、すぐに静かさに反比例した周りの絶叫がホームにこだまする。


息が出来ない。体も動かない。意識だけが鮮明だ。

何度も姉の最期が頭の中で再生される。何度も何度も。

最期を見せつけられるたびにこの惨状が、本当に起きた事だと認識させてくれる。


「きゃああああぁああああぁ!!」


やっと声が出せた。


「お姉ちゃんを助けないと…」


足がもつれながらも走り出す。


「お姉ちゃんの体を集めないと。全部集めたらきっと大丈夫。」


右足を見つけた


「きっとくっつく。集めないと。まだ大丈夫。」


すぐ隣に左手があった


「お姉ちゃんは死んでないし殺されてもいない。」


壁際には左足


「大丈夫。きっと大丈夫だから…」


また息が出来なくなって徐々に意識が遠くなる。


「お姉ちゃんを助けないと…」


姉達を抱きながら視界が暗くなっていく…。



「律!律!」


気がついたらベッドの上だった。

何か大事な事をしていた気がするけれど思い出せない

お姉ちゃんはどこに行ったんだろう


「お母さん…お姉ちゃんは…?」


「お姉ちゃんは…お姉ちゃんは…」


泣き崩れる母。理解した。


「ごめんなさい。私が助けてあげられなくて…」


「違う!律は何も悪くない!事故だったの!」


「私が全部集めていたら大丈夫だったのにごめんなさい。」


「律…何を言ってるの…?」


「集めようときたんだけどね。出来なかった。

 足とか集まったのに…右手が見つからなくて、それで…」


「もういい!もういいから!」


母は勘違いをしている。私が助けてあげられなかったんだ。

脳裏に最期の光景が思い浮かぶ。


姉は笑っていた。


…あれ?そうだ私が殺したんだった。


なんで、殺そうとしたんだろう。

そっか比べられるのが嫌だったから。

姉がいなければ、私が姉の代わりになれるから。


「どうしたの律…?」


もう姉と優劣を比べられる事もないんだ。

大好きなお姉ちゃんに私はなれた。きっと朝倉くんも私を選んでくれる。


「ふふふふ…」


瞳が三日月に変わる。



姉は検死に出されて、その後通夜だ。

周りが数年は引きずるだろうけれど、これから新たに出会う人達には初めから姉は存在しない。


そっか。もっと早くから殺しておけば良かった。

これから劣等感を感じる事もないんだ。私が絶対選ばれるんだ。



私は大きな怪我もなく、直ぐに自宅に帰れた。

ぶつかった男性が事故の原因にきっとなるだろう。

私達どちらにぶつかったかなんて覚えてないだろうし、見分けもつかない。


「…今日はよく寝れそうだ。」



次の日の朝、母が口を開く。


「お母さんね…朝起きたら布団の上にお姉ちゃんがいたの

 笑いながら私は大丈夫って…」


何を言い出すんだろう。


「きっとお母さん達を心配して来てくれたんだと思う…

 本当にお姉ちゃんって優しい人だったわ…」


そんな事あるはずがない。都合の良い幻覚に決まってる。


「僕も詩織に会ったよ。

 布団の上で笑ってた。」


次の日、父まで幻覚が見えたらしい。


そんな事あるはずがない。

もし本当なら私の元へ真っ先に呪いにきてる。

きっと母の話を聞いたから、そんなものが見えたんだ。


嫌な気分になってその日は何も食べなかった。



次の日…

布団に重さを感じて目がさめる。


「猫かな…?」


目を開けると姉が立っていた。


「ひっ!」


本当に現れた。幻覚なのかわからない

姉らしき者がかがみ込み、顔が目と鼻の先に来る。姉の両手が、私の首に向かう。


殺される…!動けない…!助けて…殺されるっ!

姉の顔から視線が外せない。


ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


両手は首には向かわず、首を経由して背中に回る。

いつも感じている姉の優しさ、暖かさを感じた。


「大丈夫。安心して良いよ。私の事は気にしないで。決して落ち込まないで。

 これからも見守っています。」


震えは止まっていた。


「…お姉ちゃん。怒らないの?ねぇ…答えて…?

 ごめんなさい。私…私…!ねぇお願い!消えないで!」


お姉ちゃんが消えた。

…はじめから誰もいなかったように


何でお姉ちゃんを殺したんだろう。再び問いかける。

最期まで笑顔で…私の事を心配してくれた大好きなお姉ちゃん。


もう、私を褒めてくれない…?


「おえぇ…」


何も食べていない、胃液だけが口から漏れ出る。

…喉と舌が痛い。


「うっおぇぇ…はぁっ…あぁぁ…」


震えが戻ってきた。駅の時のように息が出来なくなる。


「ヒューヒュー」


息を吐き出しても吸い込めない。

意識だけがはっきり鮮明なまま、視界がぼやけ始める。


「ヒューヒュー…ゲホッゲホッ

 はあっ!はぁ…はぁ…」


今…自分で首を絞めてた…?


「うっおえぇ…」


なんで自分で…首を…

なんで…自殺しようと…していたの…?


「うっあっ…

 お姉ちゃんごめんなさい…」


罪悪感に殺される。何故かそう確信できた

私は部屋を飛び出した


「死にたくないっ死にたくない…っ

 誰か…!助けて…!

 きゃあ…あぁあぁっ!」


階段を踏み外しても、もうお姉ちゃんは庇ってくれない。


「痛いっ…痛いっ…!」


両手が首に向かうのを堪えながら、廊下を渡る。

平衡感覚が失われ、視界が歪んで真っ直ぐ歩けない。

右に、左に、壁に体を叩きつけながら歩く。


「ど、どうしたの律!」


「お母さんっ!」


自分の首を締める事を恐れるように、両手は母の服を強く掴む。

誰かに打ち明けて軽くしないと、私は自らの罪に殺されてしまう。


「お母さん…!私が…おえっ… はぁー!はぁー!」


「どうしたの?大丈夫よ落ち着いて」


「私が…私が…!えほっ!

 私がお姉ちゃんをっ!殺したの!」


「何を…言ってるの?」


「私のせいで…!お姉ちゃんは…死んじゃったの!

 私のせいで…!私のせいで…っ!私が殺し…!」


「大丈夫よ!貴方は何も悪くない!

 …悪い夢でも見て混乱してるだけよ。」


「違うの…!私が落とした…!私がっ殺したの…!」


「違うの!…大丈夫。大丈夫よ」


違う私は錯乱してない。

姉も母も私の罪を赦してくれない。

強く握りしめた両手から痛みと出血を感じる。


私が殺した事を認めてくれる人が欲しい。

誰か…!私の事を…!


…いた。


私の行為を知って、罪を認めてくれている人が。

母を突き飛ばし、床に落ちた手鏡を手に取る。


鏡の向こうにはお姉ちゃんがいた。


「お姉ちゃん…ごめんね…

 私が…あんな事したから…」


大きく息を吸い込んだ


「アンタのせいでっ!私はアンタのせいで死んだ!」


「…律?」


「ごめなさいっ!お姉ちゃんごめんなさいっ!」


「私より愚図でノロマで出来の最悪なアンタが死ねば良かったのに!


「ごめなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」



鏡にいた姉の瞳は三日月のかたちをしていた。

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