#2

 やがて子どもの遊びのようにせわしなく季節が入れ替わり、日が出て日が沈み、海は満ち引きを繰り返した。すべては彼女の気まぐれを誘うための舞台装置のように、今の博人には思えた。

 あの日、彼女が博人を誘ったのは、間違いなく彼女一流の気まぐれだったはずだ。あるいは一度彼と寝て決着をつけ、彼を遠ざけようとしたのかもしれない。

 いずれにせよ、食事の後にホテルに誘い、ベッドへ導いたのは博人自身だ。しかしそれは、彼女の思惑を行動にしただけに過ぎない。そのとき彼は、完全に常軌を逸していた。いまでも彼女に何を喋ったのか、よく思い出せない。そして博人のペニスは勃起しなかった。

 彼女の身体は、何度も想像したのとまったくズレなく、素晴らしいものだったにもかかわらず、だ。


 ホテルを出て、彼女を自宅近くまで送っていき、彼らは別れた。

 酒を飲む気にすら、ならなかった。

 季節は秋。

 高くなった空に、銀色の月が浮かんでいた。

 携帯で、潮時表タイドグラフを確認した。今夜は小潮。真夜中過ぎに潮位は最も下がり、そこから朝にかけて大きく潮が動く。

 クルマで海を見に行った。

 何も考えることができぬまま、秋の宵闇にまぎれ、風に吹かれた。夜の海は、波音が遠く、穏やかに揺れていた。蕭々しょうしょうとした月の光は、乾いたこころを癒した。水平線を、の駐留軍の軍艦が航行してゆくのが見えた。そびえる艦橋。いかめしい主砲のシルエット。そんな艦影はしかし、秋の夜によく似合う風情をもって博人には写った。艦の輪郭を月光がなぞるように輝く様もまた、不思議と美しく思えた。


 そして、博人は、不思議と気持ちが晴れていくのを感じた。

 ―――もう、気張らなくていいのだ、と思った。

 彼女はもう、手に入らない。だからもう、シフトダウンしていいのだ。アクセルをゆるめて、スピードを落としていいのだ、と。

 そう思ったら、本当に気が楽になり、わだかまっていた思いが晴れていく気がした。長い夢からめたようなこころ持ちだった。


 博人は携帯を取り出して、彼女にメイルをした。

 内容は簡単な今日の礼と、侘びにした。別れ話をするような関係ではない。これきりだ、と思いながらも、最後の時まで澄まし顔で連絡をした。

 <送信>ボタンを押すと、長い片想いが終わった気がした。

 肩から力が抜け、肺の空気を根こそぎ入れ替えることができるようになった。


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