#3

 さほ子は戸惑い、そしてこれもまた、想像だにしなかったことだが、その子ネズミに愛おしさを感じた。

 ベッドのヘッドボードにもたれ、博人はそのやり場のなさに、途方にくれていた。

 ゴメンね、と彼は言った。

「もう少し若かったら、きっと、立ち直れないくらい落ち込んでた」という彼の言葉は、彼女に対してというよりも、博人自身の面子を守るために自分を茶化しているのだ、と彼女は理解した。

「いいのよ」

 彼女は言って、彼の両脚の間に身をかがめた。

 フェラチオをするような姿勢をとりながら、その勃起しないペニスをまじまじと見つめ、指先でもてあそんだ。

「かわいい」

 知らずに口に出た、心からの言葉だった。かわいい、という言葉が濫用(らんよう)されている、と常日頃思っていた。語彙の少ない若い女性たちは、何もかもを、かわいいの一言で済ましている気がしていた。だからさほ子は、その言葉には特別な注意を払っていたはずだった。しかし、思わずに出てしまったその言葉は、腹から出た、自然な気持ちだった。可愛らしいな、と、彼女は思ったのだった。

 傷ついている彼に、塩を塗ることにならなければいいな、と言ってからさほ子は思った。

 乾いた笑いを博人は漏らした。

「救われるよ。そう言ってもらえると」

 強がりでもなく、卑下するでもなく。ただ素直にそう言えた博人に、さほ子はいつかと同じような好感をいだいた。いい男だな、と、彼女は思う。年の割りに、素直な男性だ、と。

「そう?」

「うん」

「だって本当に、可愛らしいんだもの」

 さほ子は、自分がどうしてこんなに甘えた声を出しているのか、と思った。

 あのね、と博人が言う。

「?」と彼女は小首を傾げて、続きを促す。

「恥かきついでに告白するけどさ」

「うん」

「何度もオナニーしたんだよ」

「オナ二ー?」

「うん」と博人はうなずいた。いまひとつ合点の行かないさほ子が尋ねる。

「あたしで?」

 ふんわりと、自分の唇に笑みが漏れるのを、彼女は抑えることができない。

「真夜中のベッドで、

 きみの名前を呼びながら、

 何度も小さく果てたよ」

「いまさら、愛の告白?」

 今度は博人が笑った。

「勃起しないおちんちんをいじられながら、女のひとを口説けるほど器用じゃないよ」

 彼女も笑った。

「けど、たぶんね」

「うん」

「勃起しないのは、そのせいなのかも」

 彼女はペニスから視線を上げて、窓の外を見る彼の目を見た。

 瞳の中に、ちいさな光が灯っていた。

「妄想と、リアルが、上手くつながらないんだ…」

「――――そう」

 と、しか、彼女には言いようがなかった。

 彼女はそのうなだれた小ネズミに、小さくくちづけした。

「いいのよ。気にしないで」

 もう一度、心からの言葉が出た。

「そんなこと、気にすることないんだから」

 それは、彼を慰めるためでなく、愛おしさから生まれた言葉であったことに、その時のさほ子は気がつかなかった。

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