背中越しのVサイン

#1

 ウェストラインがキュッと絞り込まれたトレンチコート。

 黒いタートルネック。

 反ったまつ毛と、厚い唇。

 ウェストのベルトをリボンのように締めて、年若いガールフレンドは今日も素敵だ、と博人は思う。

 旧市街の市庁舎近く。レトロモダンな建物が並ぶ官庁街で彼女と合流した。

 それから路面電車に乗り、町外れの運河に面した、煉瓦造りの可愛らしいホテルで、彼女と博人はゆっくりとセックスをした。


 出逢ったのは、きょ年の暮れのパーティー。

 派手好きな主催者の仕込みは、新市街のホテルのイベントスペースを借りて行われた。ベイスにいる駐留軍のジャズバンドが入り、こぎれいななりをしたゲストが、それぞれにカクテルグラスを持って、にこやかに談笑していた。

 入り口のドアの脇でひとり、不機嫌そうな顔を浮かべていたひとが、嫌でも目についた。まるでムーミン谷のミーみたいに。重い赤ワイン色のドレス。白いデコルテの肌が、鮮やかなコントラストだった。そしてなにより、その印象的な愚図り顔。

 特に下心などなく声をかけてみると、その不機嫌そうな顔にぱっと華やかな笑顔がひろがった。

 年若い彼女は、この集まりにも知人が少なく、またパーティーという席での振る舞い方も良くわかっていなかったのだ、と話してみて知った。博人は本来親切な人間だったから、あかるいおしゃべりで彼女の心をほぐし、そして笑わせた。彼自身にしてみても、こんなに年若い女性と話しをする機会など早々あるものではなかったから、とても新鮮な気持ちで会話を続けることができた。


 不思議だ、と彼は思った。

 三〇代を終えようとしている自分は、二〇代も半ばの女性をこんな風に笑わせることなど、できるわけがないと思っていた。彼女達が好む音楽や、流行のことなど何ひとつ知らない自分。仕事上の接点もないので、共通の話題など、何ひとつとしてなかった。彼自身はホステスのいる酒場に通うような習慣もなかったので、本当に、年若い女性は彼にとっては全くの謎だった。

 しかし。

 初めて会ったパーティー会場で彼女を笑わせた後、とても気軽な気持ちで、彼女を食事に誘うことができた。

 クリスマスが開けて、大晦日になる直前の日々の中で、彼は彼女とはじめてデートをした。心の中でひそやかな緊張を持って望んだデートだったけれど、彼はその時も、彼女を上手くエスコートすることができた。

 結局相性なのだ、と昔から多くの人がいう真実に、彼もたどり着いた、というわけだ。

 ゆっくりした食事のあいだ、彼はリラックスして彼女と話すことができた。年若い彼女もまた、彼の話に興味を持ち、そしてまた、自分の話しを多く語った。彼らは自然と引き合った。冬になると雪が降るように。雪が積もれば子ども達が雪だるまをこしらえるように自然に、彼らはセックスをした。

「まるで映画みたい」と、最初のセックスの後、年若い彼女は言った。視線を絡めるだけでストーリーが始まり、出会いの偶然は必然だったのだと、ふたりして信じた。


 運河沿いのホテル。

 ラジエター・ヒータがやさしく温めてくれる小粋なお部屋での、あまやかな時間。

 博人はその年若い彼女の、張りのある肌をとても愛おしく思っていた。自分と同年齢の女性たちの、しっとりとした深みのある肌も素敵だったけれど、こんなに若い女性のはち切れそうな肌もまた、自分を奮い立たせるのだと思った。

 何度かの性交渉の後、彼は自分がこの年若い女性を性的に満足させているという事実に気がついた。彼自身はそんなにセックスの経験が豊富なわけでも、また技術に明るいわけもなかったけれど、それでも成熟したひとりのオスとして、この若い彼女の十二分に性的に満たすことができるのだ、という発見をした。

 それは、なんというか、意外な発見だった。

 自分自身がそういう歳になったのだ、ということもあろうし、また、然るべきパートナーとならば、そういう気持ちを持つことができるのだ、ということもまた、新たに気づかされたことだった。まるでファンタジーのようだった。それはいつも、思いがけないギフトのように、自分を変えてくれる。それは、モノトーンの日常に光をあて、鮮やかに目を見開かせてくれる。真冬の最中の恋だったけれど、彼の心は春のように時めいていた。

 セックスが終わってシャワーを浴び、服を着てトレンチコートのベルトを結び直すと、年若い彼女はリラックスした表情で部屋を出る。

 博人がその手を取って、小さな古いホテルを出て歩く時、彼は彼女のことをとても愛おしく、誇らしく思った。こんなに素敵な女性が、自分に恋をしてくれているという事実が、彼に思いもかけない歓びをもたらしてくれた。


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