#2

 一時間ほどでふたりとも汗をかいて行為を終え、もう一度、今度はひとりずつ、シャワーを浴びにゆく。先にバスルームから上がったさほ子が、ベッドサイドに座ってショーツをつけ、ブラジャーのストラップに肩を通す。

 ふと目が止まり、ドレッサーの鏡に写っている自分に気づく。

 二の腕も、脇の下も、まだまだ肉のたぷつきはない。髪のボリウムも、肌の張りも申し分ない。あの人のためでなく。自分が良しとする自分でいることが重要だと思う。そのレベルをクリアし続けることが、結果として、彼を繋ぎとめるのだ。

 下らない女性誌の提案する流行でなく。テレビが騒ぎ立てる、二流以下のスタイルでなく。自分自身が定める、狭く高いエリアの中に、自分を置きつづけることが重要だ。外見も。内面も。自分を愛せるようになってはじめて、誰かを愛せるのだから。

 ―――誰かに愛してもらえるのだから。

 シックな黒い、ヒップハングのタンガショーツ姿のまま、さほ子はしばし、自分の身体を点検する。その時の怜悧な視線を知る人は、恐らくどこにもいないだろう。


 バスルームからは、彼がまだシャワーを浴びている音がする。

 彼女は携帯を手にとり、カメラモードに機能を切り替える。

 そして、鏡に映った自分自身の姿を、数枚、デジタルカメラに写し取ってみる。奥のベッドが写らぬように注意して、腰のくびれとレースのついたヒップハングのショーツだけを巧みに切り取る。鏡と正面に向き合い、片手をショーツに差し込み、すこし画に表情をつける。何事かをほのめかすような雰囲気が生まれた瞬間に、彼女はシャッターを切った。


 脈絡もなく、博人のことが思い出された。

 地震の夜。

 重ねた手。そして、長い長い階段室で、ほんの一瞬、もたれた胸。彼の奥行きの深さを垣間見た一瞬。

 何かの拍子に、洞察力がはるか彼方まで届き、相手のすべてを理解するような瞬間が訪れることがある。手を重ねた一瞬。胸に抱かれた一瞬は、まさにそんな瞬間だったことが、いまはじめてわかった。

 そして博人には、何もかもを見透かされていたのかもしれない、と思った。自分があの時、そうだったように。


 恋人ではない。

 友だちでもない。

 不思議な男性だと思う。

 熱心に求愛するくせに、気持ちの盛り上がる一歩手前で、彼はいつもUターンする。既に成熟した男女として知り合ったのにもかかわらず、彼らはキスのひとつもすることなく、しかし会えば、半ば冗談のような愛の言葉を交しあう。

 携帯に取り込まれた自分自身のセクシーなショーツの写真を見ながら、メール画面を起動し、彼女は博人のメールアドレスを選択する。そして撮ったばかりの写真を添付する。


 タイトルを書くのが面倒になって空欄のまま、本文欄には次のようなとても古い歌の歌詞を引用した。




   君がみ胸に 抱かれて聞くは


   夢の船唄 鳥の唄


   水の蘇州そしゅうの 花散る春を


   惜しむか柳が すすり泣く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る