第8話
「証拠なら、あるわよ」もう一度、念を押すように魔王は言う。
どこに? そもそも証拠って何だ?
「そんなもの、どこにあるって言うんです?」
村瀬が僕の想いを代弁してくれた。
「証拠は彼のカバンの中にあるわ」
と言って、床で寝そべっていた僕のカバンを指さした。
「何をバカなことを」思わず頭の中の言葉が口から出た。
「見てみればわかるわよ」
挑発的な声に、僕はカバンを拾ってファスナーを開いた。
中には筆記用具とスマートフォンがあるだけ。他には何もない。
「特に何も入っていませんが?」僕は言う。「それに僕は村瀬に酷いことしろなんて会長に頼んだ覚えもありません」
「どうかしら」彼女は笑う。「ねえ村瀬さん、彼は身の潔白に自信があるようだし、あなたもそれを信じているのよね?」
「当然です」村瀬は言いきる。
「じゃあ、一つだけ私のお願いを聞いてほしいの。それで何もなければ私はあなたに心からの謝罪をするわ」
「わかりました。何をすればいいんですか?」
「彼のカバンの中に彼のスマートフォンがあるでしょ。確か電源がオフになってるはずだから、まずは電源を入れてもらえるかしら」
村瀬は僕に目配せをしてきた。
僕はかまわないとうなずいて、スマートフォンを村瀬に預けた。
村瀬は携帯の電源を入れた。少しして画面に明かりが灯り、起動する。
「アルバムのアイコンをタップしてみて」
生徒会長の言葉に従って、村瀬は僕のスマートフォンを操作していく。かなり手慣れている。僕より扱いが上手いかもしれない。
アルバムはその名の通り、これまでに撮影した写真が収められている場所だ。特にやましいものは入っていないはずだが。
そこで記憶がよみがえる。
そもそも、なぜ僕がスマートフォンの電源をオフにしてカバンにしまっていたのか。
「ちょっとまってくれ、村瀬」
「え?」
タッチの差で間に合わなかった。
すでにアイコンはタップされ、中身が表示されている。
魔王が勝利の笑みを浮かべた。
「ねえ、村瀬さんそこに何枚か画像が出てくるでしょ。最後の三枚は、ついさっきここで撮影されたものよ。それが何だかわかる?」
村瀬は一枚の写真をタップして拡大させる。
生徒会長が母に送りつけた、あのブレたものだ。
「これは一体……」
村瀬は
「説明させてくれ村瀬、これは──」
「見ての通り、それは彼が私を襲っている証拠写真よ」
とんでもない言葉が割り込んできた。
「え?」
村瀬は僕を見た。その瞳にかすかな疑念の色が滲んでいる。
「違う。それは嘘だ。信じないでくれ。それは遊びだったんだ──」
その瞬間、後悔に襲われた。嘘ではないけれど、声に出すには
「……ひどい」
生徒会長がぽつりとこぼした。今にも泣きそうな目をしている。そしてこれが彼女の演技であることはいうまでもない。
「真剣だって言ってくれたのに、やっぱり遊びだったんだ」
拍手ものの演技力だ。この人はこんなところでのんきに生徒会長なんかやってないで、どこかミュージカルのオーディションでも受けにいけばいいのに。
さっきまで背中にはりついていた村瀬が僕から距離をとりはじめた。
「ちょっとまってくれ村瀬、この写真は──」
そこから言葉がつづかなかった。
この写真は生徒会長が提案したゲームをやっているところで、彼女が僕に噛みついてきて、それに驚いた僕が倒れてしまって、その上に彼女が落ちてきて、それを彼女が黙って撮影したものなんだ。
ああ、なんてことだ。
なんて嘘くさい真実なんだろう。
「村瀬さん。彼はね、私にこう言ったの。彼が私にやったことを私があなたやらないと、この写真を色んな人に送りつけるって」
「────なっ!」
とんでもないことを言ってくれる。
あれこれ筋が通ってないし、その写真をばらまいて僕にどんな得があるというのか。
ただの、男子生徒の上に女子生徒が被さっているブレた写真に。
だけど、曖昧なものというのは、どうしても人の想像力を刺激してしまう。
「……ひどい」
村瀬が小さくつぶやいた。信じていたものに裏切られた、そんな目をしている。残念ながらこっちは演技ではない。
「待ってくれ村瀬、会長の言葉を信じないでくれ」
僕は村瀬の肩を掴んだ。
ぱしん、と乾いた音が響く。
ハエを追い払うみたいに、村瀬が僕の手を払い退けた。
「さわらないで──ください」
うつむいたまま、僕を見ようともしない。
「先輩は私の命の恩人だし、尊敬もしてます。それは嘘じゃないです。でも今は……今は……」
心の中で静かに激しく葛藤しているようだった。
「すみません、今はとにかく……失礼します」
こんな状況でも礼儀正しく、村瀬は一礼をして足早に去っていこうとした。
「待って村瀬さん」
その背中を生徒会長が呼び止める。
「私はここで彼がこれ以上暴走しないように説得していたところなの。この問題はここだけで解決したいと思ってるわ。だからお願い、このことを誰か他の人に話したりしないでほしいの。それから……さっきはあなたに酷いことして本当にごめんなさい。謝罪するわ」
「……私はここで何も見ませんでしたし、誰とも会いませんでした」村瀬は背を向けたまま感情のない声で語った。「だから誰かに話すことなんて、何もありません。失礼します」
少女は生徒会室から去った。
「待ってくれよ村瀬」
慌ててその背中を追いかける。
あれだけのデタラメをなすりつけられて、黙っているわけにはいかない。
「ダメよ」
生徒会長がとめてくる。
「なんであんな嘘を教えたんですか。とにかく村瀬に本当のことを話してきます」
僕は扉に手をかけた。廊下の先にまだ村瀬の背中が確認できる。
「だったらレイプされたっていう」
凶悪な言葉が矢のように僕の背中に突き刺さる。
半分ほど開いた扉がそこでとまる。
僕は生徒会長に振り返った。「……今、何て言いました?」
「レイプされたって言う。
英会話のレッスンみたいに、一つ一つの言葉を美しい発音で丁寧につなげてくる。
「……冗談ですよね?」
これまでのことを見ていれば、冗談でないことくらいわかりきっているのに。
なんなんだこの人は。理由もなく悪意を撒き散らしては、人を恐怖に沈めていく。
ああそうか、そういえば彼女は今、魔王だった。
もう村瀬の背中は見えない。
僕はわざとらしくため息をついて、扉を閉めた。
生徒会長はご満悦な様子だった。
「少し、話しをしませんか?」
僕はパイプ椅子に腰をおろした。
「ええ、いいわよ。何をお話する?」
彼女は机の上に腰かけた。
「あなたの目的は何ですか?」
「私にはその質問の意味がよくわからないわ」
まともに答えてくれることは期待していなかったけど、こうもあっさりかわされると、怒りを通り越してせつなくなってくる。
「僕をからかいたいのはわかりますよ。でもさっきのはあんまりだ。村瀬は何の関係もないでしょ。どうしてあんな酷いことをしたんですか」
「きみは、とても優しい人なんだね」
「どういうことですか?」
彼女は机の上で脚を組み直した、脚線美の奥に目にするべきではないものを見てしまいそうで、僕は目を逸らす。
それを彼女に笑われた、気がした。
「私たちはゲームをしているだけだよ。きみが勇者で私は魔王。さっきの彼女は村娘」
「まだそんなことを……」
やってられないと、僕は天を
「あっ」と彼女は声を上げた。「ごめんなさい、やっぱり訂正させて。きみは酷い人だよ」
ほんの数秒で、僕の評価は一転してしまった。
「なぜです?」一応、訊いてみた。
「だって魔王が村娘を陵辱してるのに、きみは助けてあげなかったでしょ?」
「…………」言葉に詰まる。
「私ときみの力の差は歴然なのに。きみが間に入って力任せに私を彼女から引き離せば、彼女は傷つかずにすんだのに。目の前で村娘が魔王に襲われているのに、きみは指をくわえてそれを見ていただけ。違う?」
「それは……」
その通りである。でも、根本的な部分であらゆることが納得できない。
「かわいそうな村娘。勇者様に捧げたかった大切なはじめてのキスを魔王に奪われてしまって」
「へ?」僕は首をかしげた。
僕が知らないだけで、ゲームの中でそういう設定があったのだろうか。
生徒会長はやれやれと首を振る。
「やっぱり、きみって残酷」
そう言って彼女は画面に表示されている『ヒット』をタップした。
攻撃的な効果音が鳴り、村娘のグラフィックが点滅する。
『むらむすめ は しんだ』
メッセージと同時に村娘が画面から消滅した。
ドット製のキャラクターが一つ消えただけなのに、僕はそこに得体のしれない寒気を覚えた。
「だったら、こうしましょう」
「何がですか?」
「このゲームが終わったら、全てを話すよ。きみが知りたいこと、何でも」
その声と瞳は魔王のものではなく、僕がよく知っていた生徒会長のものだった。
やはり、ここまでの一連の行為には何か理由があるようだ。
だけど、すでに無関係な少女を一人、肉体的にも精神的にも傷つけてしまっている。
なんらかの真相がわかったところで、村瀬の傷が癒えるはずなんてない。
それとも、多少の犠牲はやむえないほどの何かがここに隠されていて、僕がそれにまだ気づいてないだけなのだろうか。
実は少し前から生徒会長について、一つの憶測が僕の中で
しかしそれは、あまりにも馬鹿げた妄想のようなものでもある。
とにかく、今は考えていてもしかたない。
「わかりました。ではつづきをはじめましょうか」
だから行動しよう。
絶対的なランダムがこのゲームのルール。
はじまりは突然だけど、終わりも突然。
いつそれがくるのかはわからない。だけど、つづけていればいつか必ず訪れる。
だから進めるしかない。
僕は画面をタップした。
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