第6話
「生徒会長、お預かりして頂いてたものを受け取りに──」
小柄なその女子生徒は小さな歩幅でこちらに近づいてくる。その途中で僕の存在に気づいて、目が合った。
なぜか彼女の顔が茹でられていくみたいに、どんどん紅く染まっていく。
「せせせ、先輩。な、何をされているんですか。こ、こんなところで」
スカートの裾をひっぱったり前髪を整えながら、ものすごい早口でまくし立ててきた。メガネの奥のつぶらな瞳が踊っている。
彼女、
とてもしっかり者で生徒会長とは違った生真面目さを持っている。
もっとも、生徒会長に関してはこの二時間でずいぶんイメージが変わってしまったけれど。
「ここで打ち合わせがあるから、先生を待ってるんだ」
「打ち合わせですか」村瀬は左手で前髪をおさえたまま言う。
特に乱れたりはしていなかったはずなのに、なぜそんなに前髪を気にしているのだろうか。
「あ、そういえば先輩、私聞きましたよ」
「何を?」
「先輩、今度映画になるんですよね?」目を輝かせて村瀬は言った。
「本当に? すごい」生徒会長がつづく。
噂というものは本人の預かり知らないところで、どんどん広まっていくものらしい。
「えっと、そうなの?」と、とぼけてみた。
「そうですよ。もうネットでみんな話題にしてますよ」
「そうなんだ」適当に話しをごまかした。
情報が一般公開されるまでは他言無用と制作会社の人に念入りに言われているので、まだ何も話すことはできないのだ。
「ところで村瀬はここに何の用できたんだ?」
ぴくんっと、ただでさえ伸びた背筋を更に硬直させる少女。
「えっとですね、私はここで預かってもらっていたものがあったので、それを受け取りにきたのですが……」
「へえ、何を預けてたんだ?」
興味があったわけではなく、世間話の感覚で訊いてみただけだった。
「えと、それは、その……」
村瀬は右手の人さし指と左手の人さし指をもじもじさせて、なんだか煮えきらない。
もしかして、男子には知られたくない類いの預けものだったのだろうか。
村瀬の隣で、ぽんっと生徒会長は手を鳴らした。
「ねえ、これってすごくいいタイミングなんじゃないかしら」
僕は首をかしげた。
「どういうことですか?」
「もちろんこれのことよ」
彼女の手にはスマートフォン。そこには『ゆうしゃとまおう』の画面が。
嫌な汗が滲んでくる。
「いや、さすがに今それをするのは」
村瀬の登場で場の空気が和み客観性が戻って、これまで自分たちがいかに異常なことをしていたのか痛感していたところなのに。
「何のことですか?」
村瀬のメガネの奥に好奇心が宿っている。
「いや、べつに──」
「私たちね、二人でゲームしてたの」僕の言葉を会長がかき消した。「さっきまでは二人でも大丈夫だったんだけど、どうしてもあと一人必要になって、村瀬さんさえよければ手伝ってもらえると助かるんだけどなあ」
当然といえば当然だが、どんなゲームをしているのか見当のつかない村瀬は少し困った顔をしたあとで「はい、私でよければよろしくお願いします」と生真面目に了承してしまった。
「じゃあ決まりね」
さっそく画面をタップしようとする生徒会長の腕を掴んで進行を阻止した。
「どうしたの? トイレ?」
「そうじゃないです」僕は顔を近づけて彼女に耳打ちをした。「さすがに村瀬を巻き込むのは何か違うと思うのですが」
僕はこのゲームをある種の秘め事のようなものだと考えていた。
あくまでここだけの、二人だけの秘め事。
だけど、プレイヤーを増やせばそうはいかなくなる。
とくに村瀬みたいに純粋な子を巻き込むようなまねだけは絶対に避けなくてはいけない。
それくらいは彼女もわかっているはずだと思いたかった。
ところが彼女は「どうして?」と憎いほど愛らしく首をかしげるのだった。
「いや、どうしてと言われましても」
そんな顔で見つめられると、間違っているのは自分のほうなのではと錯覚しそうになる。
僕はどこかに顔を埋めて絶叫したい衝動にかられた。
──今は、話しかけないでくれ──
心臓が、どくんと鼓動する。
もう二度と現れるはずはないと思っていた言葉が。鎖で縛り
僕は少し強く頭を振って、それをまきちらす。
「どうしたんですか先輩」心配そうな村瀬の声。
「猫みたいだったわよ」楽しそうな魔王の声。
ゆっくりと鼻から息を吸って、口から吐いた。そうすることで少しは落ち着くことができる。
「村瀬、申し訳ないけど、預けたものは後でまたとりにきてくれないかな」
「え?」
「今、生徒会長と色々話し合ってるところなんだ。それが終わってからでもいいかな」
「それはかまいませんけど。でも先輩たち、今ゲームをしてるって」
「そうよ。私たちはゲームをしてるの。村瀬さんも手伝ってよ」
「はい。もちろんです」
「それじゃあ、村瀬さんは村娘ね」
「はい──はい?」
勢いで返事をしたすぐ後で、きょとんとした顔になる。僕だって突然村娘になれと言われたら、そういう顔になるだろう。
生徒会長は画面をタップした。
『まおう の こうげき まおう は むらむすめ を りょうじょく した』
ドットの荒さも手伝って、何と書いてあるのか、よく読めなかった。
すこし経って、書いてある文字を理解して、どうせなら読めないままでいたかったと後悔が押しよせてきた。
できるだけ無難なイベントを望んでいたのに、それに抗うようなメッセージがやってきた。
このゲームは、とことん勇者に厳しい。
「わお」と魔王は驚きの声をあげる。
「どうしたんですか?」
ルールを知らない村瀬は生徒会長の反応に反応している。どうやらゲーム画面はまだ見ていないようだ。
「会長、とりあえずこれは無視して、次に進めませんか?」
どうせ何を選んでも次にやってくるイベントはランダムなのだ。無関係な生徒を巻き込んでまで律儀である必要はないだろう。
「そういうわけにはいかないわ」
相変わらず魔王様の言葉は予想を裏切らない。
「あの……ところで私はどうすればいいのでしょうか?」
スマートフォンを見て議論している二人の先輩を交互に見つめながら少女は困惑している。
「何もしなくていいのよ。あなたはそこで立っているだけで」
「はあ……」
生徒会長は村瀬のそばに寄って、右手を村瀬の左の頬にあてた。
「会長?」
つぶらな瞳で、少女は少女を見つめている。
生徒会長は左手を村瀬の右の頬にあてる。これで村瀬は顔の自由を奪われた。
ほぼ同時だった。
少女が少女に何をするのか僕が悟ったのと、少女がそれを行動に移したのは。
すっと魔王の顔が村娘の顔に接近して、魔王の唇が村娘のそこに接触した。
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