5話 信頼と選択
「クリューガーさん、こちらへ」
「……ああ」
少し緊張した面持ちでバルトさんの呼びかけに答える父さん。頑張れ父さん! 俺も側にいるから。
「まず、隣の宿の買い上げの資金は問題なくお貸しできます」
「ありがたい。そしてその宿の事なんだが……」
「どうしました?」
「『金の星亭』と『剣と穂先亭』、それぞれ経営の方針を変えようと思う」
「ほう……そりゃまたなんで」
バルトさんの軽い問いかけに、父さんは声を詰まらせた。そんな父さんの脇をつついて「客層」と小声で囁きかける。すると父さんはハッとして言葉を続けた。
「そ、それはだな……『金の星亭』に新しい客を呼び込むためだ」
「新しい客?」
「今の初心冒険者や稼ぎの少ない冒険者を相手にするんではなくて、もっと上のクラスの冒険者を相手に商売してみたいんだ」
「ほう、それはそれは……挑戦しますね」
「ああ、どうせ二軒経営するならやってやろうと思ってな。その為の人材を、ギルドから紹介して欲しい」
そこまで言って、父さんは大きく息を吸った。よし……よかった、なんか違っていたら俺がフォローに入ろうと思ったけど、父さんに俺の意図はちゃんと伝わっていたようだ。
「欲しいのは、厨房の人員と接客ができる人間を2名ずつ。一流のパーティの相手を出来る様な人間だ」
「分かりました。良い人材が見つかりましたらご連絡さしあげましょう」
バルトさんがにこやかに頷くの見届けて、俺達は商人ギルドを後にした。
「どうだ、ルカ」
「うん、父さんもやるね!」
「言うじゃないか。ほれっ」
「わっ」
僅かに得意げに頬の端を引き上げた父さんは、急に俺を抱き上げた。んもう、照れ臭いんだな。分かるぞ。俺とはコンパスが全然違うのでぐんぐん進む道を、俺は振り落とされないように父さんにしがみつきながら帰った。
「ここの間取りは取っ払って、広い部屋にした方がいいかもなぁ」
「ほう」
「上位ランクの連中は機密事項を扱うことも多い、同室で泊まれる所を好むんだ」
「へーっ」
数日後、うちへやってきたバスチャン親方が実際に建物を見ながら改装計画を細かく立てていた。壁紙のサンプルもいくつか持参して、ただ今母さんが目をキラキラさせながら見比べている。
「あとは……おお」
「親方、どうしたの?」
「隣は結構、庭が広いんだな」
うん、それは思った。庭はうちの倍くらいある。
「薪割なんかはこっちの裏庭で十分だろ? あっちの庭に物置小屋とかも建てられるぞ」
「うーん……」
物置……ずーっと気になって居たんだけど、うち物が多いんだよね。両親の冒険者時代の物とか、しまったままの置物とか訳の分からん物で溢れてる。で、屋根裏の一室は物置部屋になっているし、元ワインセラーの物置もある。物置小屋を建てたら、ソフィーと別部屋にできるかもしれないけど……。それって片付ければ良くない?
「どうせ建てるなら別な物がいいなー。ねぇ、父さん?」
「そうだな……獣舎はどうだ」
「!!」
父さん! 忘れて無かったんだ! 獣舎は要らないでしょ、それなら俺は風呂を作りたい!
「ぼくは、それよりお風呂がいい」
「風呂?」
「そう、親方なら作れるんじゃない? 木の大きいお風呂。父さんが手足を伸ばせるような」
「ほーう、そんなものお貴族様のとこにしかねーぞ?」
「そうなの? だったら余計に欲しい!」
貴族のような一時を『金の星亭』で……完璧じゃないか。何より俺の密かな野望が叶う! たっぷりのお湯で体を流したいもんなー。ところがそこに水を差したのは父さんだ。
「いや、やはり獣舎を……」
「父さん!」
「マクシミリアン、この庭全部ぶっつぶしちまう訳にはいかないし……。獣舎か風呂かどっちか一つだ」
あーもうー。父さん……ここは譲ってくれよ。
「上位のパーティなら
「うむ、必要だろ。一応」
そ、そうなんだ……いかん、分が悪くなってきた。でもお風呂は欲しい。
「お風呂、ちょっと小さくなってもいいから、両方ってのは?」
「そうすると獣舎が……一匹分ってのがいいとこかな」
「それで構わん」
え? いいの? 俺が驚いて父さんを見上げると、父さんは頷いた。
「一匹分あればタージェラがまたヘーレベルクに来た時泊まれるだろ?」
「父さん……」
ずっと気にしてたんだ。タージェラさんをちゃんと泊めてあげられなかった事。そっか……なら、決まりかな。
「バスチャン親方、両方でお願いします!」
「……おう! まかしとけ」
こうして『剣と穂先亭』の庭の一部には獣舎と風呂が設置される事になった。バスチャン親方は他にも色々宿の中を見回っている。その間に俺は厨房に向かった。
「母さん! 母さん聞いて!」
勝手に全部決めると怒られそうなので、厨房で壁紙を選んでいた母さんの所に向かうと……。母さんは厨房のテーブルに突っ伏していた。
「か、母さん! どうしたの?」
「ダメ……ルカ、母さん決められないわ。どれも素敵なんですもの」
「もう! えーっと。じゃあこれ。これにしよう」
「ダメよそんな適当に選んじゃ!」
えええ……。そんな事言われても困るんだけど。どれも素敵ってさっき言ったばっかりじゃないか。正直俺にはどれも同じ様に見えるし。呆然としている俺を助けてくれたのはユッテだった。
「ハンナさん、この細かい花柄の壁紙にしましょう。上品だし、華やかだし」
「そう……かしら」
「ええ。さ、お茶を淹れたんで休憩して下さい」
「そうするわ……」
ありがとう、ユッテ助かった。近頃女子力も上がってきたような気がするぞ。うん。――そう思った直後、すれ違いざまにユッテが呟いた。
「ルカ、一個貸しだな。高くつくぞ」
ちぇーっ、やっぱさっきのは取り消し! 無し無し!
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