六章 足跡は点々と

1話 冬のはじまり

 今日も起き抜けに窓を開けると、ひやっとした空気が部屋に流れ込んでくる。随分、気温が下がったなぁ……。


「ううーん……おにいちゃん寒いー。はやくしめてー」


 ソフィーは上掛けをかき寄せて冷気に身を縮めながら抗議してくる。うん、俺も寒いや。


「ごめん、ごめん。さ、早く着替えよ。今日も良い天気だよ」

「うん!」


 ソフィーは寝付きと寝起きの良さは抜群だ。勢いつけてベッドから飛び出した妹を見届けて、俺は厚手の下着を着込みシャツを着る。ワンピースから上手く頭を出せないでいるソフィーの着替えを手伝って、階下へと降りた。まだ人気のない静かな食堂で父さんが暖炉に火を入れている。……もうすぐ、冬がやって来る。


「おはよう、ルカ」

「父さんおはよう。寒くなってきたね」

「ああ。急に冷えたな。ルカ、今日出かける時はマフラーをしていけ」

「それはまだ早いんじゃないかなぁ」


 これからどんどん寒くなって行くっていうのに、今からマフラーをしてたらしんどくなりそうだ。パラパラと降りてきたお客さん達の朝食を用意しながら、俺も朝食を掻き込んだ。




「おはよう! ルカ」

「うん、おはよう」


 商学校の手前で、俺に声をかけたのはカールだ。そんなカールはグルグルにマフラーを巻いている。


「なんか凄いね。もこもこだ」

「今日は冷えるからって、無理矢理さぁ……カッコ悪いよ」

「あはははっ」


 カールは不満そうに口をとがらせながらマフラーを引っ張った。バザーの一件以来、クラスメイト達とも気安い会話ができるようになった。友人なんてアレクシスがいれば充分かとも思っていたけれども、やっぱりいた方が楽しいや。授業でよく分からなかった所も後から聞いたり出来るし。昼食も賑やかになった。


 昼食。そう、今日は昼食を家から持って来ていない。たまには市場の屋台で食べてみようと思って今日は用意して貰わなかったのだ。午前の授業を終えて、アレクシスと共に広場へと向かう。


「何を食べようかなぁ……アレクシス、おすすめはある?」

「行ったことは無いが、あっち側の肉の串焼きがうまいと最近人気だな。ちょっと並ぶぞ」

「並ぶ位なの? それじゃそこに行こう」


 アレクシスの先導で噂の店へと向かう。……あれ、この方向って……。やっぱりそうだ。フェリクスのパン屋のある方だ。だったら串焼きを買ったら、そこでパンを買って昼食にしよう。


「いらっしゃい!」


 目的の屋台では威勢の良いおっさんがモクモクと煙をあげながら串刺しの肉を焼いていた。香ばしい香りに俺の腹の虫がぐーと鳴る。列をなす人達の最後尾に俺とアレクシスは並んだ。


「いい匂いだねぇ。なんの串焼きなの?」

「一角兎だよ」

「ふうん……肉は普通なんだね」


 うちの食卓にもよくのぼるお肉だ。そんな話をしていると、ようやく順番が近づいて来た。店主のおっさんは網の上で肉を炙りながら、壺に入ったタレを塗りつけている。肉からたれたタレが炭火の上に落ちると、ジュウと音をあげ実に食欲をそそる匂いが立ち上る。ああ、美味しそう。


「坊ちゃんら、いくついるんだい」

「ふたつ下さい!」

「あいよ! 銅貨八枚だ」


 渡された肉串はずっしりしていて、ボリューム満点。これはお買い得だな。ほかほかと湯気を上げ、たっぷり塗られたタレでつやつやとしている。ああ、これをおかずにしようと思っていたのに、我慢できそうにないや。先にパンを買っておけば良かった。とりあえず一口味見、味見……。


「……んん!」

「美味いな」


 がぶっとかじりつくと、丁度良く火の通った赤身肉のしっかりした歯応えと肉の旨みが口に広がる。それにこのタレ……塩だれみたいなんだけど何かが違う。どっか懐かしい……これ、あれだ――醤油に似てるんだ。少し濃いめの味付けは……ああ、ビールが飲みたい。この体じゃ飲めないけど。


「おじさん!!」

「なんだい坊や」

「このタレ、なんの調味料を使ってるんですか?」

「そりゃあ内緒だなぁ」


 そうだよね、簡単には教えてくれないよね。俺が肩を落とすと、おっさんは声をひそめて囁いた。


「……これはな、南のフォアムで作った特別な調味料を混ぜて作っているんだ。なかなか手に入らないんだぞ」

「そうなんですか……ありがとうございます」

「美味そうに食ってくれたからな」


 にっとおっさんは笑うと俺の頭をポンポンとなでた。子供のおかげで企業秘密を簡単に手に入れてしまったぞ。フォアムっていうと、エリアス達が向かった海のある地方だ。そっちの調味料か……クラウディアに相談してみようかな。


「ルカ、他になに食べたい?」

「えっ。あ……この先に友達のいるパン屋があるんだ。そこ行こう」

「そうか、さすがにこれだけじゃ腹が一杯ならない」


 ペロリと平らげたアレクシスが指を舐めながら聞いてきたので、フェリクスの店へと足を運んだ。


「こんにちわー」


 立派な店構えにずらりとパンが並ぶ店先。大声を張り上げると奥からフェリクスがひょこっと顔を出した。


「おお!! ルカじゃないか! 久し振りだなぁ。元気してたかよ」

「うん、元気元気」


 白い前掛けに身を包んだフェリクスは少し大人びて見えた。


「こんにちは」

「あ……こんにちは、オレはフェリクスです」

「俺はアレクシス。ルカの友人だ」


 アレクシスが手を差し出すと、おずおずとフェリクスはその手をとった。


「ルカ、ちゃんと友達ができたんだな」

「フェリクス……うん、他にも友達ができたよ」

「そうか、良かった。心配してたんたぞ」

「あー……そっか、ごめんね」


 フェリクスは商学校に進んだ俺の事をそれなりに気にかけていたようだ。なんだかバタバタしていたから、顔を出すのも忘れていた。申し訳ない事したな。


「フェリクスはどう? 修行は順調?」

「うん……ルカ、ちょっと待ってくれるか」


 一瞬、浮かない顔をしたフェリクスはいったん奥に引っ込むといくつかのパンを持ってやってきた。


「これ、やるから食ってみてくれ」

「えっ、パンを買いに来たんだよ。悪いよ」

「いいんだ、ほら」


 フェリクスが押しつけたパンを俺とアレクシスは手に取って、二つに割って口に運ぶ。うん、おいしい。


「おいしいよ」

「……そうか。じゃあ次はこれを」


 もう一つ、似たようなパンを渡される。こちらも食べてみる。……ふわっとしている。さっきのは今のと比べて生地がべたっと重たかった。小麦の香りもなんだか豊かに思える。


「これ……」

「こっちがうちの親父が作ったパンだ」

「フェリクス……」

「まだまだだな、オレ」


 分かってるけどな、と良いながらフェリクスは肩をすくめた。まだまだ一人前への道は遠い……か。よし、少し元気づけてやろう。


「フェリクス、このアレクシスはね、元冒険者なんだよ」

「へ? そうなのか!」

「あー、まあそうだけど」


 途端にフェリクスの目が輝きだす。アレクシスの片袖をひっつかむと噛みつくようにまくし立てた。


「なぁなぁ、迷宮ダンジョンの話聞かせてくれよ!」

「へ? 迷宮ダンジョンの?」

「オレ、いつか冒険者用の美味い携帯食を作るのが夢なんだ。参考にさせてくれ」

「かまわない……けど」


 了承しつつもアレクシスの目が泳ぎだした。いけない、今は学校の昼休みだっけ。午後の授業がはじまっちゃう。

 訳を話してようやく解放して貰った俺達は、また来るように強く強く念を押されてようやく学校に戻ることが出来た。まぁ、元気でやってて良かった。フェリクスのこれからも続く修行の日々を、俺も応援しなくっちゃな。


「じゃーなー! また来いよー!」


 振り返ると、フェリクスはまだ俺達に手を振っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る