8話 家族
とうとう俺はろくに眠れないまま、朝を迎えた。腫れ上がったような頭を冷ますようにワシワシとたらいの水で顔を洗う。――少しスッキリした。そのままいつものようにバタバタと宿のお客さんの朝食の用意をしてようやくこちらの朝食の時間になった。
俺は厨房のテーブルで、両親とソフィーとユッテを前に宣言する。一晩中ベッドの中で考えた……自分なりの結論だ。
「父さん、母さん。今度のことはぼくが相談もせずにはじめたことだ。だから落とし前はぼくにつけさせて欲しい」
「ルカ……?」
「どんな結果になってもか」
父さんは、腕を組んでこちらを見る。俺の覚悟を見定めるように。
「うん。迷惑はかけないようにする」
俺は父さんの視線を真っ正面から受け止める。ユッテがそんな俺の袖を引っ張った。
「ルカ、あまり気負うなよ。あの紙きれをひっこめればそれですむ話だろ」
ユッテは一晩眠った後は気が晴れたのか、あっけらかんと答えた。それが世の不条理に対する彼女なりの対処なのかもしれない。でも。
「ユッテはそうかもしれないけど。……殴られたら、ぼくは殴りかえしたい」
俺のちょっと物騒な物言いに母さんがため息をついた。
「はぁ……誰に似たのかしらね」
「ハンナ、お前かな」
「まぁ!マクシミリアンったら! ……でも確かにそうね。人のこと言えないわね」
真っ先に犯人をとっちめようとしていた母さんに珍しく父さんがツッコミを入れていた。あれはちょっと怖かったな。まぁ、母さんみたいに物理的にどうこうしようって訳じゃない。
「そんな訳で、ユッテ。悪いけどこの件が片付くまでは
「……何をする気だよ」
「何が起きるか分からないからだよ」
「とは言っても、あたしにだって生活があるんだぞ」
ユッテは承服しかねる、という態度だった。俺だって進んでユッテの行動を制限したい訳じゃない。そんな平行線の空気の中、じれたように母さんが割り込んできた。
「ユッテちゃん。私たちから提案があるんだけど……」
「なんですか?」
「あのね――この宿で働かない? 住み込みで」
「えっ? ……本気ですか? あたしは孤児ですよ?」
驚いた顔をして彼女は母さんを見つめた。ユッテはこれまで孤児ということでまともな仕事を得られず、時には教会の炊き出しに並んでいた。
「ユッテちゃんのことなら、もうよく知っているつもりよ。……正直な、頑張り屋さん」
「……やめてください」
母さんの言葉に、みるみるユッテの頬が染まっていく。
「前から考えていたの。リタさんだけじゃ人手も足りなくなっているし、雇うならユッテちゃんがいいって」
「すまんな。こちらから言い出す機会をうかがっていた」
「あの……迷惑です……きっと迷惑、かけます」
「
ユッテはぶんぶんと首を振った。
「違うんです、そんなんじゃなくて……」
絞り出すように、ユッテは答えた。白くなる程、ぎゅっと自分の腕を掴んでいる。
「住んで貰うのは、私たちと同じ屋根裏になるけど。どうかしら?」
「ユッテおねえちゃんいっしょにすむの? なら家族だね!」
「家族」という言葉を聞いて、ユッテは目を丸くしてソフィーを見た。
「家族? あたしが……?」
「だっていっしょにすんで、はたらくんでしょ?」
ソフィーはにっこり笑って続けた。
「おねえちゃんができるなら、ソフィーうれしいな」
「ソフィー……」
真っ赤になったユッテの目からポロポロと涙が流れた。ユッテは人から拒絶されることには馴れていても、受け入れられることには馴れていない。ずっと突っ張って生きてきたのだ。溜まっていた澱が溢れるようにユッテの涙は止まらない。
「いいわね! ユッテちゃん、これで決まりで」
母さんがなかば強引にそんな彼女の手をとった。ここでユッテが嫌と言ってもきっと離さないだろう。ユッテは壊れたおもちゃのようにコクコクと頷いた。
「あの……! その……頑張ります……」
ユッテはなんとかそれだけ言うと、ギクシャクと家の裏庭に駆けだして行ってしまった。……少し一人にしてやろう。彼女にも整理する時間がいるだろうから。その後ろ姿を見送って、俺は両親に向き直った。
「……父さん、母さん。ありがとう」
「前から二人で話していたことだ。昨夜、言うなら今だと思ってな」
「私、援護射撃は得意なのよ」
少し得意そうな母さん。その輪の中にソフィーがぐいぐい身を乗り出した。
「おにいちゃん、ソフィーがんばったでしょ!」
「うんうん。ソフィーもよくやったよ」
クリューガー家人たらし選手権は間違いなくソフィーが優勝だ。俺はソフィーの頭をこれでもか、と撫でてやった。
「それでな、ルカ。最終決定はお前に任せるが……」
「うん、父さん。何もかも自分でやろうとしない、だっけ」
「そうだ。……それでどうするつもりだ?」
「父さん、あのね……」
俺は両親に俺の考えを話した。父さんが心配しなくても、思いっきり人に頼るつもりだ。正直、俺一人があがいたところで手に余る。子供だしな。その為にこれからあちこち行かなきゃならない。父さんは俺の話を聞いて、ただ頷いた。
「最悪の場合はいくらでも道はある。お前の好きなようにやってみろ」
一番心強い言葉を貰った。大丈夫。この宿とユッテは守ってみせる。出かける前に裏庭をのぞくと、ユッテはしゃがんでただぼうっと庭を眺めていた。
「ユッテ!」
「わっ……びっくりさせんな」
「ぼく、出かけるからうちのことよろしくね」
「ああ……うん、わかった」
「家族だもんね」
ユッテに笑いかけると、小石が飛んできた。当たりはしなかったけど。
「うわっ、危ないな!」
「ごめん! ありがとう! とっとと行け! ばーか!!」
「あはは。じゃ、行ってくる!」
ユッテの無茶苦茶な送り出しを背に俺は家を出た。
――今まで、目の前の
俺が、ルカがこの世界でどんな立ち位置にいるか。どう生きていくか。そんな視点が足りていなかった……そんな風に思う。どこか他人事のようだった。俺はルカの手助けをして、それでいいと思っていた。違うんだ。俺とルカは別人じゃない。この人生はずっと続くんだ。喜びも、苦労も共に。
今回は出し惜しみしない。俺のやれるだけのことをやって、最善の結果を必ず出してやる。
後戻りの出来ない車輪が、動き出した。
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