5話 コンシェルジュはじめました

「ぶぶぶ……っ」


 ユッテが右手を勢い良く挙げた。俺は魔法で出していた水をあわてて拡散させた。


「これはないわ。息が出来ないし、自分で顔洗った方が楽で手っ取り早い」

「そうみたいだね……」


 俺がユッテを実験台に試していたのは、魔法による自動洗顔サービスだ。せっかく魔法があるんだから、と空中に水の球を出してゆるく回転させ、そこにユッテに顔を突っ込んで貰った。


「そもそも、これを全身でやるとなったら素っ裸だろ? 頼むヤツ居るのか?」

「う……ぼくもやるの嫌だな」


 ユッテの指摘に俺は全裸のおっさん冒険者と向かい合う場面を想像した。仮に女の人でも……シュールだ。いいと思ったんだけどな、人間洗濯機。




 ――朝食のオプションは春を迎えて注文も増えてきたし、卵の調理方法がリクエスト出来るっていうのもウケている。ここで、何かもう一つ新基軸を……と思ったのだがこのところ全敗している。


 まずは現代の知識を生かして……というのに挑戦した。主に調味料だ。と言うのも、俺が食べたいものをなんとか作りたい、という気持ちがやっぱり押さえられないから。カレーにラーメン、牛丼に味噌汁。あああ。


 カレーは香辛料の塊で金銭的に手が出ない。配合を試行錯誤する余分なんて無い。芋と玉葱と人参はあるからそこさえクリア出来ればなんとかなるのに。味噌や醤油も豆ならあるが製法はさっぱりだ。なんせ出来上がったものしか知らないんだもの。


 そんな訳で唯一、出来そうだったマヨネーズ……これは材料が油と酢と卵だってなんとなく理解している。しかし残念ながらそれも頓挫している。


 というのも、市場で出回っている油がほとんど獣脂なのだ。ヘーレベルクの特産は迷宮ダンジョンの魔物だから、その余剰の脂が中心になるのは仕方ないとも言える。オリーブオイルもあったが薬か美容品がといった扱いで高価だった。試しに獣脂で作ってみたのだが、まず卵と混ぜた段階でダマになり、あげく酢を入れたら分離した。それでも恐る恐る食べてみたが、なんだか臭いし味はネットリくどいしでマヨネーズとはとても言えないものが出来上がった。


 ――そんな訳で、逆にこの世界ならではの魔法でなんとか……と思ったのだがこの体たらくである。俺のささやかなロマンである、風呂の設置に向けての一歩になればと思ったのだけど……。




 一方、商業ギルドを巻き込んで始めたユッテの売店の方は上手くいっている。今は少しずつ品目を増やした結果、宿でも料理目当てでもないお客さんが買い物に来るケースも出てきた。


「糸と針が売れるのは意外だね」

「うっかり切らすんだろうな。ほら、どんな回復魔法かけても服は元には戻らないし」


 回復魔法がどういう仕組みか知らないが、治るのは怪我や病気だけ。それも無制限ではなくて使い手の技量や状態にもよる。でなきゃ父さんの左手はまだくっついているはずだ。すべて元通り、なんて都合の良いことにはならないらしい。


「……小分けにして売ったらどうかな」

「小分けに?」

「服を繕うのに、糸を一巻きもいらないだろ?服の色だって色々あるんだし」


 必要なものを必要な時に必要なだけ。元々、コンビニはそういうモノだ。


「なら、長さで量り売りでもいいんじゃないか?」

「それじゃユッテの手間が増えるだけじゃないか。いいんだよ、ちょっとばかしの余分を売りつけるくらい」

「……お前は悪いヤツだな。でも賛成。確かに割には合わないな」


 俺たちが売っているのは、ただの商品ものじゃない。利便性だ。市場とのバッティングを避ける意味でも、便利な分お財布にはちょっとの負担を頂かないと。小分けにした糸が絡まないように、小枝にクルクル巻いてみる。うん、良い感じ。今度、大工のバスチャン親方にいらない木片を貰ってこようかな。


「じゃあ、勉強しようか」

「ああ。どんと来い」


 俺はソフィー手製の単語カードを取り出す。ユッテは文字自体はもう全部覚えてしまって、今は簡単な単語を勉強している。ソフィーの書き取りの勉強の復習がてら、紙切れに単語を書いてランダムに選んではユッテが答えるという方式をとっている。


「これは?」

「麦」

「じゃあ、これ」

「屋根……かな」


 ユッテが迷ったのは……うん、ソフィーの字が汚いせいだ。後で書き直しだな。


「教会から本が持ち出せたら良いんだけどね」

「高価なものだから仕方ないよ。それに冒険者ギルドの本なら少し読めるようになったぞ」

「そっか、ユッテはギルド員だからあそこの本が読めるんだ。いいな」

「全部見た訳じゃないが、大して目新しい内容ではないけどな。荷物持ちポーターなら常識なことばかりだ」


 それが知りたいんだよね。あと、二階にある父さんいわく「小難しい本」とやらも見てみたい。教会にある本は絵本や寓話、神話の類いが多い上に、もうほとんどを読んでしまった。


 ユッテにギルドタグが発行されてる以上、俺でも冒険者ギルドに登録することは可能といえば可能なんだ。ただ、両親……特に父さんの反応が怖くて実行には移せていない。本が見たい、ってだけで納得してくれるだろうか。相談くらいはしてみるか。


「ねぇ、ユッテ。そんな常識ばかりなのに、なんで冒険者は荷物持ちポーターから情報を買うの?」

「字が読めないヤツも居るし、あっちこっちの本に書いてあるのを調べるのが面倒なんだろ?」


 あそこに置いてあるのは、系統だったガイド本じゃないってことか。なら荷物持ちポーターに小銭を握らせて欲しい情報を貰った方が早いって訳ね。ちょっと不親切だな。冒険者ギルドにとっては、無料で読める本を置いただけでも大サービスなのかもしれないけど。


「……思いついた!」

「うわ、また悪い顔してる。今度はなんだよ」

「冒険者ギルドがやらないなら、ぼくらがやろう」


 知っておいて当然の常識なら、俺たちでまとめてしまおう。長々としたのは読む方もうんざりだろうからパンフレット程度でいいか。なんせ、どうせ手書きになるもの。コピー機なんてないからな。もしくはそんな魔法……も聞いたことがない。あったらもっと本は手に入りやすいだろう。


「ユッテの知っていることをさ、簡単にまとめて売り物にしようよ」

「あたしより、ルカの父ちゃんの方がよく知ってるんじゃないか?」

「父さんは……あんまり話したがらないんだよね。あと、たまに話しても内容がよく分からない」


 父さんは、迷宮ダンジョンに行ったことのある前提で話すからな。前にお客で来たタージェラさんとは楽しそうに話していたけど、俺にたまに迷宮ダンジョンの話をしてもアレとかソレとかが多くて理解に苦しむ。勉強できる人が必ずしも良い教師とはならないのがよく分かる。


「さあ、迷宮ダンジョンのこと、もっと教えてよ。これだけは知っておけ、っていう」

「そうだなぁ……基本的な構造は前に話したろ? うーん、必要な装備とか?」

「いいね! まずはどんな服装が探索に適しているか教えてよ」

「肌が出ない方がいいな。まず、迷宮ダンジョンの一層は岩場だから引っかけてつまらない怪我をする……」


 俺はユッテから、迷宮ダンジョンについての基本的な知識を聞き出して、メモをする。最低限必要な装備、食料や出てくる魔物の区分、荷物を持つ際の工夫など。


「まぁ、これくらいは最低限知っておいて欲しいってところかな」

「うん……これでまとめてみよう」

「あと、荷物持ちポーターはなるべく雇えって書いといてくれ」

「ちゃっかりしているな」


 俺はユッテの情報を元に紙の裏表1枚に収まるように文章をまとめた。タイトルは『迷宮ダンジョン探索 安全の手引き』とした。売価は銀貨2枚。うちの宿屋の代金の倍だが、ずっと使えるんだ。手間もかかっているしこれくらいでいいだろう。


「これ以上を知りたければ、ユッテか他の荷物持ちポーターに聞けってことだね」

「もしくは自分で調べるかだけど」

「そんなもん、最初からやる人はやっているだろ……『迷宮ダンジョンの各種ご相談承ります』、っとこんなんでいいか」



 こうしてユッテの売店の看板に新たな文言が加えられた。うまくいけばいいな。

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