6話 相棒は天使
「キリ無いなぁ……」
「おにいちゃん、どうしたの?」
ソフィーが不思議そうに覗き込む。
「いや、掃除がさ。綺麗にしてもすぐに汚れるんだもの」
俺たちは今、食堂の掃除中だ。床を箒で掃いて、モップで水拭きする。毎日これでもか、と掃除するのだけれども、次の日にはまた汚れている。客室も同様だ。
「しょうがないよ、おきゃくさんドロドロだもん」
「やっぱりソフィーもそう思う?」
施設は綺麗に使って貰いたいのだが……元々ぼろいせいか客側にそんな配慮は見られない。
「綺麗にしてから上がれ、っていっても……無駄か」
エリアス少年たちのような初心冒険者ならともかく、素行の悪いくずれ冒険者にそう言っても反発するだろう。元々、面倒臭いことは嫌いな連中だし。
「ソフィーがいう? きれいにしてくださいって」
「うーん、それは悪くないけど。でもちょっと待って。もうちょっとなにか……」
昔の入れ歯洗浄剤のCMみたいに、ソフィーに「きたなーい」なんて言われたらみんな言うことを聞くかもしれないけど。こう、面倒が増えたと思われないような方法がいいよな。俺は頭を巡らせたが、特に上手い考えも思い浮かばずに夕食の時間になった。
「坊主! こっちにエールとなにかつまみをくれ!」
「はいはーい。つまみはどんな?」
「
「なら、ピクルスにしますか」
そうか、
「やあ、ルカ君」
「あ、エリアス……お兄ちゃん」
うはは、照れるな。声をかけたのは魔術士の少年、エリアスだ。彼らのパーティーはここを定宿にしている。『ルカ』が熱を出した一件以来、クリューガー一家とも親しくしている。
「なんか、弟ができたみたいだなぁ」
エリアスは俺の頭をなでた。でもね、中身は君の倍近く生きてるよ。でもまぁ俺の髪の毛はフワフワの巻き毛なので、どうぞ感触をお楽しみください。父さんも同じ感触だと思うけどね。
「おい坊主、こんなんがお兄ちゃんでいいのか?」
横からちゃちゃを入れるのは、剣士のレオポルトだ。
「レオポルトより、ルカ君のほうが手がかからないよ」
「そうね、それは言えるかも」
「同意」
「そりゃねぇよ」
同じパーティーの女性陣、弓士のカルラと斥候のヘルミーネにも言われてレオポルトはしょげかえる。レオポルトは、リーダーというよりムードメーカーだ。案外そういうところを判っていて、エリアスは彼をリーダーにしているのかもしれない。
「ところで、お兄ちゃんたちはなんでここを知ったの?」
「あ……それは……」
なんだか言いにくそうだ。大体想像がつくよ。
「うちが安いから?」
「まぁ……」
「ギルドでな、このへんで一番安い宿を教えてくれっていったらここを薦めてくれたんだ」
「レオポルト、黙って」
そうかギルドのお墨付きか。
「でもね、安いだけならずっとはいないよ」
「そうだぜ。俺等はもう、ちったぁ稼げるようになってきてる。なんだかんだ、おやっさんも女将さんも親切だしな。気に入ってんだよ」
「マクシミリアンさんも素敵だしね」
「同意」
父さんまだフラグが立ちっぱなしですよー。はぁ。
「ありがとう、これからもよろしくね」
俺は母さんの手鏡で練習した必殺のショタスマイルをかました。
「可愛いルカ君がいるってのも加えとこうか」
なぜかエリアスが堕ちた。解せぬ。
それぞれ夕食を終え、パラパラと酔客を残すのみとなると、皆それぞれ部屋へ帰っていく。そろそろ店じまいの時間だ。
「ハンナさん、洗面たらいに水をもらっていいですか?」
「こっちも」
そう、この宿には風呂が無い。というか普通、家に風呂は無い。皆、たらいの水で綺麗にするか夏場は川で汗を流したりする。厨房の母さんは水瓶から……ではなく軽く手首を振った。みるみるうちにたらいに水が貯まる。そういえば母さんは魔術士だった。
客たちはたらいを持って暖炉に向かう。そろそろつけなくなると思うがまだ朝晩は冷えることがあるので暖炉には薪がくべてある。
それぞれ、備え付けの柄のついた金網に持っていた石をのせると、薪の火の中で炙る。そしてたらいに投げ込んだ。これは熱石といって
このほかに光石というのもあって、これは照明に使う。つけっぱなしでも火事の心配がないのが利点だ。魔法のあるこの世界、前世よりエコで便利なものもあるのだ。
俺は眠たくなってきた頭でそれをぼんやり見つめていたが、突然ひらめいた。
「ソフィー! ……ソフィー! いいこと思いついた!」
「なあに、おにいちゃん……」
俺よりさらに眠そうなソフィーに耳打ちする。
「どうかな?」
「おにいちゃん、あたまいい……!」
「明日、父さんに市場に連れて行ってもらおう。ソフィーも手伝ってね」
「うん! いいよ!」
*****
翌日、市場に連れて行って貰うと、目的の物を探す。
「えっと、これを……五つ、いや六つかな」
「ルカ、こんなにブラシを買ってどうするつもりだ?」
父さんが不思議そうに尋ねる。俺が荒物屋で選んだのは掃除用のたわしみたいな無骨なブラシだ。
「あとで説明するよ」
木桶も買うから、とちゃっかりまけさせて、俺たちは家に戻った。
そして夕暮れ時。
「いい? ソフィー、打ち合わせ通りに」
「わかったよ、おにいちゃん」
きりり、とソフィーが応答する。さあ、作戦開始だ。
向こうから見知った顔がやってきた。この間、父さんにたしなめられて小さくなっていた冒険者のゲルハルトだ。
「ん? 坊主、何してんだぁ? こんなところで」
そこそこ機嫌が良さそうだ。今日は上手いこといったらしい。好都合だ。
「おかえりなさい、ゲルハルトさん」
俺は湿らせた布を渡す。お手ふきだ。
「おお、すまねぇな。」
ゲルハルトはそれを受け取ると、手と顔と首筋をぬぐった。うんうん、解るぞ、解る。やりたくなるよね。
「すごい泥だらけですね。今日はどこまで?」
「調子がよくてなぁ。2層の奥まで行ってきた」
話しながら、俺はブラシでゲルハルトのおっさんのブーツの泥を落とす。
「どうした、どうしたぁ?そんなブラシなんか持って」
「いや、みんな泥だらけで帰ってくるのに部屋に入る前に落とせないでしょう? 今まで気づいてなかったな、と思って用意したんです。今日父さんと市場で買ってきたんです」
「そりゃありがてぇな。おい、おまえら!おまえらも靴の泥を落とせ」
ここでソフィーの出番だ。後ろに続くおっさんの仲間たちに可愛らしくおしぼりとブラシを渡していく。
「はい、どーじょ」
「ありがとうな、嬢ちゃん」
あどけないソフィーの仕草におっさんたちはデレデレだ。それにしてもソフィー、おまえ普段そんな舌足らずじゃないだろう。あざとい!恐ろしい子!
そんなことを毎日繰り返していると、いつの間にか宿に入る前にはブラシで泥を落とすのが客たちの不文律となった。おかげで俺等の掃除の手間は大幅に減った。
「……おにいちゃんはすごいねぇ」
感慨深げにソフィーが言う。
「ソフィーのおかげだよ。がんばったな」
「もっとがんばるよ。だからおにいちゃん」
「なんだい」
「ちょっとはあそんでね?」
「あ……そうだね。うん、いいよ」
俺の妹は、力強い相棒で天使だ。
そして……僕らの努力の裏で活躍していた人物を紹介しておこう。
「ちっちっちっ! ちゃあんと泥を落としてから入るのがマナーってもんだぜぇ」
夕刻になると入り口に陣取って、ゲルハルトのおっさんが毎日のように大声でふかしていた。
……悪い人では……ないんだよなぁ。
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