来栖春のプログラミングは

 銀次郎は、キーボードを打ち続ける手は止めずに、揃った四人の卒業生たち――彼が、ポジション王、と名づけた彼らを、一瞬だけちらりと顔をあげて見た。


 自分が、いつも心にいだいていることを、あらためて思う。

 素子にはいつも言っている。口癖のように言っている。

 それは銀次郎の確固たる信念でもある――ひとつの、天才論。

 すなわち。



 ――天才は、王か奴隷か、どちらかのなかにしかいない。



 彼らはそれぞれに、ペーパーやデジタルデバイスを用いて作業をしている。ポジション国王の依城寿仁亜がペーパーを片手にほかの全員を気にしてあれこれと細やかな指揮を取り、ポジション帝王の金出佐見槻がデジタルペンデバイスをくるくると回しながらぶつぶつと呟いて攻めのプログラムをつくり上げていき、ポジション魔王の木枯木太が膝に置いたノートパソコンで黙々とベースシステムの構築に取りかかりポジション女王のジェシカ・アンジェリカが行っているのは一見ペーパーへのカラフルなアナログらくがきに見えるが、あれで彼女はプログラムのアレンジを構想しているのだった。


 銀次郎はすぐに視線を落として、自分のやるべき作業に戻った。あいつらがいれば、困難な問題にも立ち向かえるだろう。いままでにも何度も、困難な問題にはぶち当たってきたし、その都度、ときには彼らとともに、解決してきた。しかし今回の問題はどうも厄介だ――とはいえ、銀次郎のやることはひとつだった。Necoプログラムによる社会的不具合を解消すること。いつもの通りに、それだけだ。


 彼らには彼らの強みを生かしてやってほしいことがある。

 そして、そのおかげで銀次郎は――もっとも困難な仕事に、集中することができそうだった。


 もっとも困難な仕事。

 それは、来栖春からのプログラムを――受け取り続けることだ。


 ただでさえ異次元空間にいるらしい来栖春。そもそもが、次元を超えて現実世界にアクセスするということが、実際にできると知らなければ荒唐無稽にさえ思えることだ。しかし、彼はそれを実際にやってのけている。とても細く、いまにも切れそうな糸だが、でもたしかに、異次元空間からこちらにつないで見せている。



 銀次郎は、先ほどから目の前のモニターを縦のラインで区切り、二分割していた。

 左には、来栖春の構築しているらしいプログラムがどんどん流れ込んでいる。銀次郎はそれを読みつつ、来栖春のプログラムの次元的に脆弱と思われる箇所を発見し、補強していく。それと同時に、この通信が途切れないように、向こうからだけではなく、こちらからも向こうにアクセスできる可能性のあるプログラムを模索している――そしてそれはおそらく、彼が求めることでもあった。……来栖春は、自分のいる異次元空間に現実からアクセスしてもらいたがっている。銀次郎はそのように、彼の意図を読みとっていた。


 いまさら、自分がプログラムのチェック作業なんかするとは思わなかった。若いころ、学生のころならともかく、いまの自分はとにかくもうガンガンとプログラムをつくって、細かいチェックなどは他人にやらせる身だ。懐かしい、を通り越して、まるでごく初歩的な小学一年生の足し算やひらがなの書きとりを大人になって今更やらされているような、妙な苛立ちも感じる。

 しかし同時に、このチェック作業は自分ほどの実力者でないと到底つとまらないこともわかる――複雑怪奇で奇抜な来栖春のプログラムをチェックするのはただでさえ大変なのに、その上、異次元空間の概念まで突っ込まれては。



 ……ひとつミスすると、来栖春のプログラムは動かなくなる。

 それは、来栖春のつくるプログラムの宿命的にもつ、決定的な弱みだった。その決定的な強みをそのまま裏返したかのような弱みだ。

 そもそもが来栖春のプログラムは来栖春の独自の発想――来栖理論、と揶揄するかのように銀次郎がずっと呼んでいる独自のもので、できあがっている。よくよくチェックすればプログラム内部の相互関連は理解できるのだが、なにしろ独特すぎて――ある箇所を直せば、思いもしなかった他の箇所がドミノ倒しに動かなくなり、プログラム全体が破壊される、ということがよくあった。

 だから彼の在学中からすでに、下手にチェックを入れられなかった。院生にやらせるなんてもっての他、大学教員になっている後輩にだって危うくて任せられない。なにしろ銀次郎がみずからチェックして、チェックの得意な依城寿仁亜にもチェックを頼んで、しかもそのうえさらに慎重に吟味したうえで、どうにかチェック作業ができるといった次第なのだ――恥だと思って学生たちには絶対に言わないが、銀次郎は来栖春のプログラムのチェック作業があまりに厄介で、自身の師匠的存在である某大学の教授に相談したことがある。ちなみに、銀次郎がみずからの力不足を認めて他人に相談することなど、めったにない。こと、Necoプログラミングにかんしては。


 来栖春のNecoプログラミングは、対話に特化しているといわれるNecoプログラミングの特徴、つまり、対話性を極端に煮詰めたようなスタイルだ。

 普通は、そんなスタイルにはならない。できないのではない、すくなくとも、理論上は。あまりにも非効率的で、そんなことをやろうとは思わないのだ。そんなことは、する意味もないと――銀次郎も、長いことそう思ってきたのだから。

 人工知能とおしゃべりをするみたいに、プログラミングをする――Necoにかぎらず大抵の人工知能プログラミングはそれが可能だし、Necoなら、なおさらにそれができる。だからその手法を取るのは悪くない、むしろNecoなら強みになるし、その手法を取るという程度のNecoプログラマーならそのへんにごろごろといる。

 だが普通はあくまでも模擬的なおしゃべりだ――おしゃべり、という形式を借りただけの定型文だ。いまどき、プログラム用のパソコンに向かってちょっと操作すれば、コードも関数もなんでもかんでも、望みのものをぱっと出してくれる。そういうパーツを、おしゃべりのように組み上げていく。それだけのことだ。

 暗記なんて無意味だ。それは旧時代の文化だ。銀次郎も、だから、ずっとずっと、そう思ってきたのだから。

 しかし、来栖春はどうやらそこが根本的に違ったらしい――彼はまるで赤ん坊が新しく言語を覚えるみたいに、Necoプログラミングに使うものはすべて暗記して、パソコンやキーボードなどのツールがいっさいなくとも、Necoプログラミングをできるようになってしまったのだ。


 単純に言語としてプログラミング言語を扱うという点では、たとえばジェシカ・アンジェリカにも才がある。だがアンジェリカは、プログラミングを行ったりアレンジをする際にすくなくともデジタルデバイスを必要とするし、逆に言えばそれがなければあそこまで高いクオリティのプログラミングとそのアレンジはできないはずだ。

 アンジェリカは言語というものの特性を熟知しているがゆえに、旧時代ならともかく、現代ではツールを用いない、単純な暗記型の言語習得など無意味だと言い切っている。つまり、旧時代のような頭に詰め込む暗記は、基本的にしないのだ。だっていまどきはなんでもパソコンが覚えてくれる、人間の脳にはもっと美しいものだけを入れておけばいいよね――それが、アンジェリカの言い分だし、銀次郎はその言い分にはとくに疑問もなく賛成だ。だからこそアンジェリカは、旧時代では原理的に不可能であったかもしれないスピードと精度でさまざまな語学やプログラミング言語を、習得しているのだし。


 しかし、実際には――言語能力に特化したジェシカ・アンジェリカでさえ、来栖春のようなプログラミングは不可能だろう。たとえ、かりにNecoプログラミングのすべてを暗記したとしても。

 彼のプログラミングには、独創性の占める割合が非常に多い。暗記はその特徴そのものというよりは、その特徴のベースなのだ。

 ほかの人間が思いもつかなかった方法でプログラミングをする。Necoという存在に語りかけるかのように。そしてNecoはそれに対応するように動く。

 まるで、ふたりで会話しているかのようだ――人間と人工知能が会話するなんてこと、ありえないのに。



 あのセンスは、来栖春の独自のものだ。なにがどうしてそうなったのか、Necoの第一人者である銀次郎にさえ、さっぱりだが。だから真似できるものではない――言語に特化したアンジェリカをはじめ、非常に優秀な、依城寿仁亜にも、木枯木太にも、金出佐見槻にも。



 暗記は無意味。アンジェリカのその考えは、ごく一般的で、かつスマートなものであるし――ほかのポジション王たちも、そのように理解しているはずだ。それもそのはず、銀次郎がまず彼らにそのように教えたのだし、彼らは彼らでもちろん鵜呑みにはしなかっただろうが、自分の頭でしっかり考えて、ああ暗記は無意味だねいまどき、と気づくはずだ――いや。もっと言うのであれば、そう気づくのはなにもポジション王のような特別なプログラマーたちだけでなくともよい。……平凡なプログラマーでさえそのことに気がついておくことが必要なのだと、銀次郎はずっとそう思ってきたし、Necoプログラミングの学問界においても業界においてもそれがスタンダードなのだし、そのことじたいは、いまもそうであると銀次郎は思っている。彼だけの考えというわけでなく、それは、当たり前のことなのだ。





 だからこそ――銀次郎は大学三年生、つまり新時代情報大学においては専攻を決定して専門課程に入るタイミングでの、Neco専攻を選んだ学生たちに課す最初の必修科目のひとつ、「Necoプログラミング入門」にて、「暗記は無意味である、Neco専攻を選択した学生諸君においては、最大限スマートに効率よくやっていくこと、また情報を活用していくことが、Necoプログラミングのマスターへの道であることを理解するように」というテーマで、毎年授業をおこなっているのだから。

 そして、それは、銀次郎が王たちと――そして来栖春を見出だした場でも、ある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る