そしてふたたび広場に戻って

 そして、けっきょく。

 喧嘩にも仲裁にもなんら積極的な意義がないまま、結果的になんだったのかもよくわからなくなってしまった争いは全員の無駄な疲労感により終了し、つまり、単なる徒労に終わって。


 三人組は三人だけで話したいことがあるからとその場に残った。そこには、そもそもといえば話のきっかけになった植物人間もいるはずだ。

 ミサキさん、そして表さんと影さんは、ろくに言葉も交わさずに三人組と植物人間に背を向けた。ミサキさんは腹立たしそうにゴム手袋を芝生に叩きつける。芝生は、よく見ると、……だんだん透き通りはじめていた。


 僕も南美川さんに小さく合図をして、広場の中心部のほうへと戻りはじめた。


 そのようにして。

 気まずく黙り込んだまま広場に戻ったときには、すっかりあたりは暗くなりはじめていた。いまはまだ、青みがかってはいても目の前の人物の表情までもくっきり見える。でも、もうすこし暮れたら――目の前の人物の表情さえ、まともにわからなくなるだろう。


 なにせ、明かりすらない。現代人工知能文明において、信じられない状況だ。

 暗くなればほんらいともるはずの公園灯は、ひとつもともらない。

 そういうときにはひとびとはひとこと、ネコ、と親しく人工知能の名を呼べばよいはずなのだった。いついかなる状況でも人工知能はひとびとの生活に寄り添い、トラブルがあれば即座に対処する――だからいついかなる状況だって人工知能圏内に暮らすかぎり電気なんていう基礎インフラが崩壊することはありえなかったはずなのに、いま、その状況が、……起きてしまっている。


 ひとびとはスマホデバイスや生活ウェアラブルマシンの明かりを頼りにして、どうにか身を寄せあっているようだった。……かなり、寒くもなってきている。身体の芯まで震えて、凍える寒さだ――僕はコートを寄せた。南美川さんは、……さぞかし、寒いことだろう。ああ。あたためて、あげないと――。



「……ちょっと、公務員のかた。やっと来た」



 話しかけてきたのは、さきほど植物と同化した、たしか忍とか呼ばれていた子どもの――母親だった。ぶっきらぼうで、でも、……さきほどと違ってその声にすがる響きは少ない。ただ、不安で、しかたない、とりあえず話を聞きたい、すがりたい――そんな思いの感じられるようすだった。


 それなのに表さんはじろりと彼女を一瞥しただけで、すぐに制帽を脱いでさっさとどこかに歩き出してしまった。影さんはひとつ会釈をして、やっぱり制帽を脱いで裏さんを早足で追いかけていった。


 そのタイミングを見計らったかのように、ミサキさんは鼻を鳴らして彼らの後ろすがたを睨み、そしてこちらを振り向いて別人みたいな柔和なようすで「じゃあね、私もどこか寝床をさがさなくっちゃ、またねえ、社会人のかた」とか言って、どこかに行ってしまった。



 その女性はすこし呆然として立ち尽くしていた。それも、そうだろう。異常事態において、いちばん働くべき公務員が――彼女をほとんど無視して、さっさとどこかに行ってしまったのだ。そういえばあの上司さんとやらのすがたもまだ見えない。その人物について彼らはあれこれ思うところがあったようだけど、……僕からすれば、おなじに見える。


 そしてその女性は、それでも、われにかえったように。



「ああ。あなたでもいいわ、プログラマーだっけ、なんだっけ。とにかくこの状況の責任者のひとりよね」


 そういうわけでは、ないが――僕はとりあえず、あいまいにうなずいておいた。


「あのですね、やはり、うちの子の植物状態が止まりませんの」


 女性の顔は、げっそりとしていた。このたった数時間で……しかしもちろん起こったことを考えれば、無理もない。


「いまのところ、あの子は元気ですけれど、でも、すこしずつ皮膚が侵食されておりまして、このままだと、緑の部分が」


 ――増えてしまう、ということを言いたかったんだとは思うが、そこまで口にすることは、……この女性にとってはいまは無理なことだったのかも、しれない。


「それでですね。この状況の責任者のかたにおかれましては。この状況は、いったいいつ終わるのか教えてほしいんですの。そんなに、長くは続かないでしょう? こんな異常な事態。早くNecoインフラを復活させてくださいましね。お勤めぜひともがんばって。そうでなければ、うちの忍は」


 ……うちの子は。

 そうつぶやく女性に対して、僕は、言おうと――したのだけれど。



 ……りりりりん、りん。

 いちどめは小刻みに長く、にどめは確固として短く、その首輪の鈴の音が鳴った。

 いやだ、とか、だめ、という合図だ。

 いやだ、だめ、と伝えようとしている。

 いま、南美川さんはなんらかの意味で――僕を、止めようとしている。



 だから僕は。


「……そうですか」


 そんな、当たり障りのないことを、返して――。


「お願いいたしますね」


 その女性は、それでいったんほっとしたように、家族のいるブルーシートに戻っていた。



 たとえこの世界がほんとうはほんとうの世界ではないとしたって。いま、ここにいる僕たちにとっては、夜も、風も、冷たさも、ほんものだ。だからあの子どもが植物と同化していることもほんとうで、いまの女性が戻る先には、その意味での現実が待ちかまえているのだと――そう思ったら、気が遠くなる思いだ、……気が遠くなる思いしか、ない。

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