社会評価ポイントの性質

 腕のなかで南美川さんが震える小刻みな振動を感じながら、地面の妙なぬかるみを感じながら、そして周囲のひとびとがあれやこれや言うのを耳にしながら、南美川さんを、ひたすらかばうように抱きしめていると――。



「借りられました。上司さま」



 カンちゃん――と呼ばれたあの人物が戻ってきて、その胸にはたしかにノートパソコン型のツールがいだかれていた。

 ご苦労さま、と中年の女性はやけに厳かに宣言するかのようにそう言った。



「見つかったみたいで、よかったわ。いちおう確認させてね。所有者の権利問題は。だいじょうぶなの」

「問題ございません、上司さま。非常事態に社会の役に立てることを喜ぶ模範的な社会人のかたでした」

「そう、まあ貴方に限ってそのあたりの甘さはないわよね。あとで施設として社会評価ポイントをそのかたに付与させていただかねばね。非常事態だから、潤沢に」

「はい、上司さま。たんまりと、というわけですね」

「形容は任せるわ」

「方法はID振り込みでよいそうです。たんまり振り込んで差し上げましょう。社会貢献は素晴らしいこと」

「住所も名前もばっちりというわけね」

「言わずもがな」

「社会人のかたの自主的な社会への貢献に感謝」

「感謝」



 聴いている僕は、なんとなく複雑な気持ちになる――もちろんツールを貸してもらえることは嬉しいし、ありがたいし、いまそうしてくれなければ困ることだ。しかし、このたった数分間のあいだに、……見ず知らずの他人にツールを貸すということが成立するという、そのもの、それは、……もしかしたら、貸したひとはいくらかラッキーと思っているのではないだろうか。だって、モノを貸しただけで社会評価ポイントを付与してもらえるんだ、潤沢に、たんまりと、それは、もしかしたらツールの所有者にとって――得をした、そう思えることでしかないんじゃないか、って、僕は、――どうしても。




 腕のなかで震える小さなこのひと。このひとは。ああ、このひとは。――そんな曖昧であやふやなもののために、人間の身体も権利も尊厳も奪われて人犬のすがたに――。





 そこまで考えて、頭のなかに響く声があった。

 ……うちら、仲間やもんね。

 そう言う言葉のぬしは、もちろん、三人組の、……つまり僕と同様南美川さんにいじめられたひとたちの、言葉で――。






 ……硬直した。

 僕の、気持ちといおうか、思考といおうか。

 ……たしかに社会評価ポイントは偶然の要素もある。今回このように非常事態で全体に対してなんらかの貢献をすれば、それで、稼げるものでもある。

 環境に左右される側面もあるだろう。たとえばそれはなにより僕が、母さんにかばってもらったから人間未満にならずに済んだように――。





 でも。……でも。

 南美川さんの場合は、どうなんだろう。

 どうやって、社会に貢献したんだろう?






 ――南美川さんにいじめられたんよ、うちら。





 そんなことを言ってやってきた三人組、……南美川さんになにをされたかはわからない、けど、……すくなくとも南美川さんは、高校を卒業してからは、あんまり変わっていなかったということになる。いじめを、虐げることを、繰り返していたのだ。

 僕がそのせいでなんにもなれずただ人権を奪われることだけを恐れてそれでもあんまりにも人が社会が怖くてひきこもるしかなかった、あの二年間も――。






 ……心の底が、冷えた気がした。

 社会評価ポイントを、……偶然に稼げたひとがいるといういまこの些細な事実に直面しただけで。






 そのように考えてしまうのならば。

 そういえば、僕は、南美川幸奈を、……そこまで知らない。


 ああ。どうしてだろう。なんで。このタイミングで。いや、こんな騒がしい事態になってしまったゆえか。僕は、そんなことを思って、胸のなかにいるこのひとの重みが大きさが存在そのものがなんだかひとつ、違うものに思えてきて――。






「社会人のかた。こちら、お渡しします。活用してくださいまし」




 カンちゃん、と呼ばれるそのひとがしゃがみ込んで、僕にその灰色のノートパソコン型デバイスを差し出した。

 僕はお礼を述べたつもりだったが、つい口のなかでもごもごしてしまって、ありがとうございます、そんな簡単な言葉さえ言えた気がしない――僕は座り込んだまま膝の上でデバイスを開き、キーボードがあることを確認する、カンちゃんと呼ばれたそのひとは立ち上がる、……よく見ると、こっちを見ている眼が緑だ、そして、南美川さんは――僕だけがよすがと言わんばかりに、僕の太腿のあたりに肉球を置いて、すがりつく。……すがりついてくるのだ。

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