家族が、帰って

 ……ようやく、姉ちゃんと海が、帰ってくれた。

 玄関口まではさすがに見送った。あれこれ言い合うふたりは、僕と似ていて、でもとても似ていなくて――僕に対して僕が思っているよりは悪い感情を抱いていたのではないとわかったいまも、……なんでだろう。

 僕に対してちょっと戸惑いがちに、あるいは遠慮がちに、笑顔を浮かべてくれた、そんな実の姉と妹のことが、なんだかもっと遠く感じてしまったのは――ほんとうに、なぜなんだろう。


 結果的に、南美川さんとのことは、姉ちゃんだけが、……でも姉ちゃんは知っていることになって。

 早々に、どうにかしないと、結論を出さないと、……南美川さんを人間に戻すと決めないと、姉ちゃんはほんとうに家族権限の実力行使をしてきそうだ。


 姉ちゃんが、母さんには春はとりあえず元気にやってるみたい、入院は検査入院みたいなもんだったって言っとくよ、と言われてぼんやりうなずいたら――それでは納得していないようなので、すこし考えて、……母さんによろしく、と僕は言った。父さんにも、と。

 それは姉ちゃんにとって正解だったようで、すこしだけ笑みを柔らかくすると、海の手をそっと取って、ふたりは僕の家から去った。

 ……まさかとは思うけど、あのまま手をつないで帰るのだろうか。そんな――恋人どうしじゃあるまいし、とか思うけど、……いまは、最終的な家族のかたちというのもいろいろなものが許されているのだし、むかしはともかく、……いまは生まれついた家族においての兄弟姉妹とそのまま生涯家族になるというのもなんら変なことでも特殊なことでも、うん、わかってる、……わかってるのだけど。



 ……僕はやはり姉ちゃんとも海ともこれからという意味において家族になるということはないんだな、と思うと勝手に苦笑が漏れた。



 部屋に戻ると、南美川さんが待ち構えていた。おすわりをして、こちらを見上げている。心配そうに、尻尾をぱたりと振ってくれた。



「シュン、お疲れさま……って、えっ?」



 僕はそのままずるずるとしゃがみ込むと、南美川さんの小さな身体を全身で抱き留めた。……あたたかい。人間の素肌の部分が、とくに、ほんとうに。

 部屋のなかとはいえ、僕は服を着ていて、南美川さんは着ていない。だから南美川さんのほうが寒いはずなのに――どうしてこのひとの体温は、いまもこんなにあたたかいのだろう。



「……シュン……どうしたの……」



 南美川さんはおずおずと言って、僕の腕のなかでもぞりと身体を動かして、……でも僕がちょっと強めに抱きしめてしまっているから身動きが取れなかったのかもしれない、動くのをすっと諦めた気配がして、そのまま――肉球の真ん中のピンク色でいちばんふにふにしたところが、僕の顎に押し当てられた。



「どうしたの」

「わからない。わからないんだけど」



 嘘をついてるわけではない、……ほんとうに、わからない。



 なぜ、いまこんな気持ちなのか。

 ぐちゃぐちゃで、どろどろで、どうしようもない。

 いいじゃないか。姉は僕のことをあんがい心配してくれていて、評価してくれていて。妹は僕のことをあんがい好いてくれていて、手本にまでしてくれていたようだ。父さんのことは聞かなかったけど、すくなくとも母さんは、姉ちゃんを派遣する程度には僕のことをいまでも気遣ってくれているらしい。



 ……いいことじゃないか。僕なんかが。家族が、いたんだ。ほんとうは。僕のほうがどう思っていたって、……僕はたぶん、社会的にはひとりじゃなかったんだ。




「……それなのに……わからないな……」

「……なにが?」




 南美川さんをいっそう強く抱きしめた。




「――僕はひとりなんだなって思った」



 もう、僕は、……あの家族には、戻れない。

 親しく話す姉と妹に挟まれて、気を遣わずに自然体でいることは……もはや無理だと、悟ったのだ。




 気を遣われるたび、評価されるたび、ああよかったという安堵と、それとおなじくらいの失望が湧いてくる。いままではひとりきりだと思っていたからやってこれたのに、なんだかそれがちょっと崩されたような感覚さえあって。心配してくれることも、覚えていてくれることも、ありがたい。ほんとうに、ありがたいことなんだ。……それはこんな社会においてとてつもなく恵まれていることなんだ。

 でも。でも。――でも。




「……僕はそんなきれいな弟でも兄でも、息子でも、ない……」




 ただの、劣等者だ。

 ほんとうは人間未満に値する程度の人間なのに、……たまたま、運よく、あるいは悪く、人間でいる。それだけ。……それだけのこと。

 だいたい、それだって、母さんや父さんや、……姉ちゃんや海が支えてくれたから。僕は、いったいどれだけあの家族の社会評価ポイントの平均値を――押し下げたのか。




「家族がいるのは、ありがたい。気遣ってくれるのも、心配してくれるのも。……僕にはもったいないほど、ありがたい」



 ああ。でも。――それなのに。




「……僕のほんとうのすがたを知っているのはやっぱり南美川さんだけなんだよ……」




 抱きしめなおすと、南美川さんがうっと小さな声を上げた。ごめん。痛かったかな。でも、……もうすこしだけ。ごめん、……ごめんね。

 ああ。このままこのひとを、自分のものにしてしまえれば、いいのに。自分だけのものに。

 そうすれば、どんなにか――どんなにか。




 もちろん、できないって、わかっている。

 だから、ごめんね南美川さん。……その小さくて細い身体が潰れないように、これでもまだ力は加減しているから……。

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