お手のように励まされて、

 僕は、ゆっくりと腰から両手を下ろして、だらんとさせた。

 廊下の向こうのドアのほうに顔を向ける。そして、おなじ方向を見ている南美川さんを見て、もういちど意味もなくドアのほうを見た。


 なるべく足音を立てないようにそろりそろりとカーペットの上を移動し、これまたなるべく音を立てないようにベッドに座り込んだ。そして天井を仰ぐとふうとひとつ、息を吐いた――と、南美川さんが三角の耳をこの上なくピンと直立させて、どこか威嚇するような雰囲気さえ纏って、言った。



「……え、なんで一段落して落ち着いちゃってるみたいになってるの、シュン」

「うん、いや、まあ、そのね……」

「チャイム、鳴ったよね? いま」


 ピン、ポーン。

 追い打ちのようにもういちど鳴りやがった。僕はますます、天井を仰ぐだけの芸術的彫像になりたくなる。


「……ほら。チャイムよ」

「そうだね、いまのはあるいは、おそらくはチャイムというものなんだと思う」

「……なにかの文学のオマージュ?」

「いや、パロディでさえない」


 ただの口から出まかせだ。


「もしかして、出たくないの?」

「南美川さんはチャイムが鳴ったら出たいほうのひとなの? ああ、まあ南美川さんはそうだろうね。僕とは違うからね」

「……出たくないのね」


 南美川さんは訳知り顔でひとつうなずいたあと、顔をぎゅっとしかめた。……ぱたん、と尻尾が思案するかたちに、揺れる。


「そんな余裕ある感じなのに、なんで……」

「無駄口を叩く余裕と人間を相手にする余裕は別物と申しましてね」

「こんどこそ、オマージュ?」

「いや」


 南美川さんは、なんだかんだ真面目なひとだ。


「実はね、南美川さん。実のところ僕は混乱をしている。だって僕の部屋のチャイムが鳴るんだよ? これは非常事態だ」

「……あの、前から思ってたけど、ちょっと言いにくかったこと、言っていい?」

「どうぞ?」

「シュン、ほんとに、お友達とかもひとりもいないの?」

「いません」


 いまさらすぎないですか南美川さん、それ。

 いっしょに暮らしはじめたときに説明しましたでしょ。


「じゃあ、あの……だれが来たのかしら?」

「見当もつきませんね」

「あの、あのね、ごめんね、こんなこと言いたくないんだけどね……さっき、だれかと連絡取ってたでしょう? そのひとじゃないの?」

「なんで言いたくないの? そんなことくらい」


 南美川さんは恥ずかしそうに両耳を柔らかくさせた。


「……なんか、ストーカーみたいだから……」

「……それこそ、いまさらすぎないですか?」


 いっしょに、暮らしているんですよ?



 ……ピン、ポーン。

 チャイムは、――急かしてくる。わかってる。わかってるよ。僕に用があるのだろう……社会の片隅にたったこれっぽっち許された僕の部屋に、居場所に、侵攻してくるほどの。それほどの用があるっていうんだろう?


 僕はさっきから南美川さんに妙なことをベラベラベラベラと、たしかに――これは、混乱している。

 非常に、マズい。口だけが回るときっていうのは、たいてい思考はマヒしてるんだ。精神状態といったら目も当てられない。どっくんどくんと心臓が鳴りすぎて、きっと血も足りず、呼吸さえも胸を突き刺す。




 ぐるぐると僕がいろんなことを考えていると、ポン、と膝にひとつ、肉球が置かれた。……お手、のように。



「チャイムは、お客さんなんだから、出なきゃだめ、シュン」

「いや、でもさ……」

「でもさ、じゃないのっ」



 肉球が、ふたつ。

 僕の膝の、上に。



「出るの。出るのよ」



 まるで年長のお姉ちゃんみたいに。



 至近距離で見上げてくる、その視線があまりに大きく見開かれて切実だったから――僕はたぶん、そうせざるをえない。

 たぶん、ほんとうは、わかっている。なんのためにってことはわからなくても――だれが来たのかは、わかっている。




 ……空姉ちゃん。

 だから、なおさら、その扉を開けるのは怖いっていうのに――。

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