コンプレックス・イズ・ワースト

 南美川さんは、真顔でまっすぐ僕を見つめていた。



「……シュン、疲れるでしょう」

「なにが?」

「おうちに、ひとがいて」



 ひと――自分自身を人犬だと捉えてしまっているはずの南美川さんが、そんな言葉を使った。



「それも、わたしが、……ずっと、いて」

「いや、そんなことないよ。邪魔なんて思ったことは――」



 そして今度もすぐに、自分の失言に気がついた。

 怒られるかと思った、泣かれると思った……でも南美川さんは、静かに微笑んだだけだった。

 三角の耳は、……すこし垂れてしまったけれど。



「……わたし、そこまで、言ってないのに」

「……ごめん」

「でも、いいの。わかるの。……あなたはおうちに自分以外のだれかがいると、疲れるひとね」



 なんの話だろう――そう思ったけど、南美川さんは穏やかな顔をしているのだ。

 さきほど泣いた涙の跡こそ頬のあたりに残っていれど――。



「わたしはね、そんなことなかったけど。……もともとのおうちでも、パパとママといるのも、真ちゃんと化ちゃんと過ごすのも好きだったし、学校でも、用もないのにだらだら残って友達とおしゃべりしてたし、狩理くんには、……いつもぴったりくっついていたし。わたしは、だれかといるのが、……好きだった。遅い時間になって、自分の部屋にいて勉強したりくつろいでるときでも、ボイスもテキストもフルに駆使して、だれかとチャットを繰り返してた……そして疲れ果てたら寝落ちするの。起きたらまた、たくさんきているテキストチャットにおはようって返す。それが、習慣。それが、日常。そんな毎日を送っていたのよ」



 すごいでしょう、と南美川さんは苦笑する。……まるで、なにかを自慢でもするかのように。



「でも、ね、シュン。あなたは、そうではないのでしょう?」



 いや――そう言って首を横に振ろうと思ったけれど、……やはりあからさまな嘘というのは、こういうときにつけないものだ。と、いうよりは。僕は、固まってしまってつけなくなってしまう。鈍いんだ。もっと、スムーズに。なんてことないかのように。嘘が、つけたら――僕の人生はもうちょっとは、シンプルで優れたものになっただろうに。シンプル・イズ・ベストではなく、コンプレックス・イズ・ワーストな僕の、人生……。




 ふふ、と南美川さんは笑った。




「ごまかすのも、取り繕うのも、……相手を騙すのも。あなたは、相変わらず下手なのね……」

「ごめん……」

「だから、そこは謝らなくったっていいのに。謝罪の安売りになっちゃうわよ」



 謝罪の安売り。――その通りだ。

 でも、……でもね南美川さん、安売りでも赤字覚悟でもセールでもなんであっても、……あのときの僕にはひたすらに謝り続ける以外のなにができたっていうのか……。



 ――いや。ああ。だから、違う。

 それは、高校のときの話だ。



 後頭部の髪の毛を掴んだ。いま、南美川さんに言われた。……疲れている? 僕が? でも、なにに?



「あのねシュン、聞いて。わたしね、わかったのよ。やっとね。いまになって」



 なにが、と僕が問いかけられそうな余地もない。このひとは、――きらきらした瞳で見上げるように披露宴の動画のあるあたりを、見つめている。まるで、遠く遠くの銀河体系ぎんがたいけいでも見つめるかのように――。



「ひとは、だれかと生きてたいひとばかりではないんだ、ってこと」



 いつのまにか自然にフルモニター再生となった動画のなかの披露宴はずいぶん進行していて、スーツの正装の社会的に強そうな男性が、穏やかな微笑みをもってして新郎新婦の門出を祝うスピーチをしている。……南美川さんとは、年代も性別も顔立ちもぜんぜん違うし、まったく、関係ないひとのはずなのに……その表情は、いまの南美川さんとどこか、被る。




「ひとりでいても平気、――ううん、むしろひとりで生きたいひともいるんだ、って」



 続きの言葉は頭に、いや心に直接届く。



 ……そのことが、あのときのわたしにはわからなかったの。……おばかさんね。



 響く。――響いて、届いてくる。




「ごめんね、シュン。……あのときのわたしにはあなたがぜんぜん理解できなかった。……わたしが、優秀で、あなたが、劣等だから、そんなところはひとつもないって、思い込んでいたのだけれど」




 だから、いじめちゃったの――そうつぶやく南美川さんを、……たとえ完全にゆるし切ることはできなくても、これ以上、……これ以上、――苦しめていいわけはあるのだろうか?

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