おはなししましょ(4)ふたりの、はじめて

 ……わたしはふるふると頭を振った、

 いまは、わたしの反省会の時間じゃない。……わたしの反省なんて、きっと永遠の時間があったって終わってはくれないわ。

 そうじゃ、なくて――いま目の前にいるこのひとのことを。


 なぜだかなんて仕組みはわからないけど、

 なぜか、……わたしと出会っていじめられていたときの心に戻ってしまっている、そんな、あなたと、



 ……ほんとうは再会できるはずもなかったのだから――

 そう思えば、訊きたいことだって、……たくさんあるでしょう? わたし。


 そうよ、……そうよ。

 調教施設でだってあなたのことを考えていた。あまりにもそれは、……ひどい意味においてのことで、わたしはあなたに拾い上げるかのように救ってもらってからずうっとずうっと目をそむけていたけど――



 ……ねえ、シュン。人間になりたかった?



 そう訊いて、……もうきっとにどと会えるはずもなかった、当時のいじめっ子に、……なんどもなんどもそう尋ねて、

 わたしは――自分の気持ちを慰めて、いたんだ……。


 もう会えるなんて思っていなかった。

 もうにどと、会えないと――ううん。そもそも、会えないことが前提だったから、……わたしはわたしが最大に見下せた唯一の、……あなたを、気がついたらこころのなかに、……飼って、いたのよ……。



 けど、けど、……わたし。

 言葉としてはおなじでも、こんどは、……きちんとほんとうの意味でこのひとに問えるでしょう?



 ねえ、シュン。

 人間に、なりたかったの?

 ほんとうは、人間になりたかったの? って――。




 ……けども、けどもそれはもうちょっとおはなしと、……このひとの安心感が、ちゃんと、整ってからのことなのよ。

 それに、わたし――シュンとおはなししたいっていう気持ちが、あるのよ、そのことは、ほんとうなのよ、



 ……はなせなかったあなたの、ことを。

 ほんらいは知ることもできなかったであろう、あなたのことを、もっと、もっと、もっと、知りたい、教えて――ほしいのよ。




「……わたしで、よければ、あなたのはじめてになるわ」


 それは、シュンがおはなしできるのわたしがはじめてとか、……そうゆったから、言ってくれたから、……それに対しての言葉、だったんだけど。

 そして、そのまま、……またシュンの家族のおはなしに戻ろうって、思ったんだけど。たくさん、たくさん、――おはなし聴かせて、って。


 でも、――シュンがあんまりにも驚いた顔でわたしを見たので、……あ、ってその意味がわたし、わかっちゃって、……くすってわたしは笑っちゃった。

「……変な意味じゃ、ないもの。なに、考えたの?」

「あ、……ああ、そうですよねそりゃ、そんなの、……そうですよね、あの、僕、……ごめんなさいっ」

「いいのよ。……でも、わたし、犬なのよ?」

「……たしかに、人犬みたいですけど……」

「みたい、じゃないの。わたし、――いぬなの。ほら……」


 わたしはシュンの首もとにすがるみたいに両方の前足を這わせて、

 人間のときの素肌の胸も、……当たっちゃったけど、わたし、犬だし、

 ……犬はそういう対象にならないよねって思ってる、から、


 でもシュンはなぜか不自然なほど顔をそむけた。……なんで?

 見たく、ないのかな? わたしの顔が近いから……怖がって、いるのかな……。


「……ね。なんで、そっち、向いてるの?」

「……なんでって、いや、……なんでって……」

「こっち、向いてよ」

「ええ……?」


 シュンは心底嫌そうな声を上げた。あれ。……珍しい。


「こっち、よっ」

 わたしはシュンのほっぺたにぺとんと前足の肉球を押し当てて、無理やりその顔を正面から除き込んだ。

 シュンの、お顔、あれ、……さっきよりもっと、また、赤くなっちゃってる……お熱、高くなっちゃった?


「……わたしの、尻尾。見える?」

「……しっぽ……」

「ほら……」


 わたしは、柴犬モデルの金色のまんまるい尻尾を、ひょこひょこ、ひょこひょこ、左右に振ってみた。

 けど、シュンはあんまり、見てくれない。


「……見てよお」

「……なん、か、いまの南美川さんが、……僕の知ってる南美川さんじゃ、ないって、そりゃっ、夢だから、……そうなんですけど、わかってきたん、ですけどっ、……だから僕は南美川さんにいじめられてますけどいまここにいるあなたのことは、――信じますけどっ!」


 ……あ、

 そう思ったらわたしは、……ぱたん、と尻尾を振るのを、思わずやめてしまった。


 あ、……シュンが、……おとなのときのシュンみたいだ、

 なにか、言うときの――でもこのひとはいま十七歳のはずなんだ、



 十七歳のシュンが顔も、目も赤くして、泣きそうなのに怒ってる顔で、見てる、あれ、……あれ、この顔は、当時もいまも、わたしは、――知らない、


 近い顔は再会してたからしていたけれど、

 こんなにはっきりとした表情じゃ、なかったの、



 十七歳のシュンはもっと弱々しかったし、

 おとなのシュンは、こう、もっと、――余裕があった、はずなの……。



 ……もちろん顔のつくりと髪の毛の長さはおとなの、二十五歳のシュンで、



「……信じてますけどでも僕のこと、襲ってるわけじゃないんです、よね?」

「……え?」

「さっきも、……なんか、しようとしたじゃ、ないですか、……よく覚えて、ないですけど」


 覚えていないと言うわりにはなんだかほんとうに恥ずかしそうな顔をしている、さっきって、たぶん、あのことだろう、……わたしがシュンの制服のズボンを口でくわえて脱がそうとしてあげたときの……。


「……あの、ときは、……僕、またいじめられるんだって思った、からっ。

 でも、でも、……いまのあなたはなにか変だ、

 ……僕に、……食べさせるし、マズかった、けど、……栄養だとかなんとか、言って、

 それに、それに、僕の、はなしなんか、聴いてくれる、……なにもおもしろくないのに姉ちゃんと海の話なんて」


 ……そんなこと、ない、そう思ったけれど――言葉で言ってもしかたない気がした。


「……だからあなたは僕をいじめたい、わけじゃない。そうなん――ですよね?

 なんでだろう、……人犬みたいになって、あの、……怒らないでくださいね、ふるまいも、……犬みたいだって、思います、たしかに、でも、でも、あなたは南美川幸奈さんなんですっ――」



 わたしはついにたまらなくなって、シュンの上半身のごくごく一部に覆い被さる格好で、前足も後ろ足もなんなら尻尾もピンと伸ばして、

 ……ふれられるかぎり、このひとのおおきな身体のひろい面積にふれられるようにと、そうやって、そうやって、――わたしはこのひとに自分のちいさな全身で抱きついて、いた。



「……そうよ。わたしは、南美川幸奈なの。

 人犬よ。犬になったの。でも。ほんとうは、……南美川幸奈っていう名前なのよ」


 わたしはきゅっとシュンのブレザーの裾をつかむ、……うまく、つかめない。この手では。肉球からちょこんとはみ出ているだけの小さな爪では――。



「あなたには、……どうして、わかるの?」



 そうよ。……どうして?



 最初も、そのあともずっと思ったけれど、

 どうして、どうして、あなただけは――わたしを一匹の柴犬モデルの人犬ではなく、

 ひとりの、人間、――南美川幸奈って見てくるの?

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