エサの時間(5)その味
……真はしばらく楽しそうな表情の消えたシラけたみたいなままでわたしを見下ろしていた、やがてその顎を持ち上げわずかにぷくうっと頬を膨らませ、すこしだけ頬を赤く、わたしに、――似て、染めると、
こんどは歯ぎしりしてるみたいな顔をして――勢いよく、しゃがみこんだ。
……わたしは、胸を上げたまま顔も逸らさない、から。
真の顔、近くなっても、……見てるから。
真はわたしを奇妙に静かに見下ろしている。けらけら笑ったかと思えば、馬鹿にした顔をして、表情を消して、頬を紅くして、膨らませて、歯ぎしりみたいな顔、そしていまの、顔、そうよねこの子はほんとうに表情がくるくる変わるの――そっけなさを気取ったって、そこはやっぱりわたしの妹、ずっとそうやって、……思ってたのだから。
その静けさのまま真はぽっかり口を開く、そして言う、
「……あのさあ。そんなに、あの子がだいじ?」
馬鹿にしているふうでも、からかっているふうでもなかった。
ただその細いけどとても長めに調整してる眉の、右のほうを持ち上げて、ああ、なんだろう、あえて言うなら――文句を、言ってる?
……ううん。それは、あのころ、わたしがいちおうはこの人間のお姉ちゃん、だった、から……
とか、思って、……いたんだけど。
「アンタさあ。変わったよね」
「……そんなの、そうに決まってるじゃない、こんな身体にしたのは、だれだと思ってるのよ……」
「そうなんだけどお。そうじゃなくてさ」
真は、気がつけばわたしを見ながら目を細めていた。不意うちだ。懐かしい、妹、の、……顔。
「アンタそんなにヒトのこと優先しなかったのに。
ヒトに興味持ったり気に入ることはあっても、ぜんぶ自分の道具にしちゃってさ。自分のほうがつねに優先だったじゃない」
唐突にも思える、真の、突然の語り、
わたしは、……いぬで、その手には人犬用のペットフードの袋があると、いうのに。
「……あたしらだって狩理くんとかだって例外じゃなかったでしょおお。ねええ? ……アンタはたしかに優しい姉だったよ。ええ。
でもそれは、あたしがアンタの妹だからなんでしょ。自分のカワイイ妹。……それ以外のなんの価値もアンタはあたしに見いださなかった。そうでしょ?」
「……そうでしょ、って、言われても……」
そんなつもりはなかった――だが妹の目に、人間だったころのわたしはたしかにそう映っていたのだ。
自覚はなかった、けど、……狩理くんの、ほんとの気持ちだってなにも気づかなかったおバカなわたしだ。真だって、そしてほかの家族だって、本音のところではなにを思っていたかなんて――想像するのが怖いほど、きっとわたしには、……なにもわからないの。
「おいしいモノもいつも自分が食べようとしたよね。
家族でお祝いごとがあると、ケーキの大きな苺とか最後のひと切れとか、ぜんぶ、姉さんがとってった。
あたしも化も、狩理くんも、ゆずった。パパとママも、なんも言わなかった。
けど、――あたしたちはそのせいでワリを食ってた」
真の語りは、なんだか、どっか、――言われたくもない真実味に向かっているかのようで、
背の高いダイニングテーブルの下のここ、
わたしはまっすぐ真を見ているから、ほかの家族のことは気配だけしか感じ取ることができない、ほとんどなにも動いてないの、物音もあんまりしないし、でも布ずれの音とかため息とかで、すこしはわかる、だってため息は狩理くんが緊張しているときに漏らす癖だし、そうだよ、――この家族はいまたしかに静かに見守るかのようにして鑑賞、してる。
「……姉さんに取られた苺の数。すごかったな……。
あたし、……じつは苺って大好きなのよ。ねええ。……知ってたあ?」
「……そう、なの……?」
「そうよ、ほらあ、――知らない」
「だって、いつも、……わたしに、ゆずってくれたから……好きだなんて、いちども……」
「それはちっちゃいころ
苺くらい……ゆずったわよ。そうすりゃアンタご機嫌だった。…アンタに合わせてあたしたちがどんだけ我慢したと……思ってんのよっ」
「……そ、れは、悪かった、けど」
わたしは、うつむいた、……人間のころのそのままの金髪が小さな束となってタラリと垂れる。
「けど……」
エサのお皿はいまもここにある、――けど、
「……そんなの、言ってくれなきゃ、わかんなかったじゃない……」
シュンは、シュンは、――シュンなら、
ちゃんと、伝えようとしてくれるの、……わたしのわからなかったこと、言ってくれなきゃきっと永遠に、わからなかったこと、
もちろん言わないことだってあるのだろう、――毎晩わたしの悪夢を見ていたこととか、でも、それはあのひとの、そうよ、優しさ、――思いやりだから、……だから、
「……知ってれば……そんなこと……」
真ちゃん――あなたにだって、いくらでも、苺をあげたの、……そう思っちゃうわたしはやっぱりどこまでもどこまでもいまこの期に及んでも、甘ったれ、ってことなのかな……。
「……でも、アンタは、ずっと知らなかったワケでしょ。知ろうとも、してなかったワケでしょ。だから……」
真はわたしの顎に手を入れて無理やり上を向かせた、ああ、わたしのされてとても嫌なことだ、最初にいた調教施設のオープンルームの施設長とかもよくこうした、わたしが嫌だってことをわかっていてそうしたのだ、だからわたしの口は小さくぱくりと滑稽なかたちに開いてしまう――
真はわたしの顎を持ち上げながら、勝利の愉悦と、――なにかのよくわからない強い後悔が混ざったような、とてもふしぎな表情をしていた、ああ、こういう顔見たことある、どこでだっけ、……ああ、そうか、視覚媒体の物語とかでよくある悪役の、顔だ、――すんごい悪役なのに心のどっかで泣いてるの、
「――だからアンタは一生クソマジいペットフード食って生きる羽目になったんだよっ」
けど、ね、真ちゃん、――いまのわたしじゃわたしの見てきた物語のようにあなたを助けることは、できない。
……帳消しには、できないの。そうね。そういうことなのよね。されたことっていうのはそう簡単に許せない、って――きっと、いじめもそう、この家族も結果的にそうなのかもしれなしい、わたしのいじめてきたひとたちもそう、とりわけ、……シュンはそう、
真はペットフードをザラザラとエサのお皿にぶちまける、
カンカンカンカンと軽快な音とともに茶色い小さな固形物が、弾む、
「ほら! 食えよ! ――四つん這いになって顔突っ込んで惨めに食えよっ!」
「……シュン、の、ぶんは……」
「うるさい!」
真は、金切り声で叫んだ。
わたしの頭を掴むと、無理やりエサ皿に顔を突っ込ませた。
……苦しい……でもとにかくわたしはそのクソマズいとかいってほんとに吐きたくなるほど臭いのキツい人犬用の固形型ペットフードを、口に含んでは呑み込んだ、
生きなきゃ、生きなきゃいけない、――シュンを守ってくれるひとなんていまここにはひとりもいない、わたししか、いない、
犬のわたししか――そうよ、生きなきゃいけない、
たとえこの状況とペットフードのあまりのマズさに涙が滲んで溢れても。死にたくなるほど、――惨めでも、よ。
……真は、ずっとわたしの顔を甲高く笑いながら押さえつけてたけど、
ダイニングテーブルでは人間の食事がはじまったみたいだった、
「いやはやお母さんよう。幸奈もかわいく育ったんじゃないかあい?」
「ふふ、ほんとうよねお父さん。苺の価値がわかるなんて、腐ってもわたしたちの遺伝子を受け継ぐ子どもよね!」
……腐っても、か。
いいよ、腐っても。
腐ったヤツから人間になれる。――なんて、そんな単純な法則なワケないことは知ってる。
そうならいいのに。そうなら、よかったのに。現実では――腐ったヤツは、ただただ人間未満になっていくのだ。
そういえば、……そうねこのペットフードの味は、――嘔吐物に似てゲキマズだわ。
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