その映像(4)南美川夫妻

 映像はそこでいったん、ぶつっ、と途切れた。

 数秒の砂嵐のあと、すぐに再開される。



 今度は罵声もなにもなく、静かだった。どことなく違和感を感じさせるくらいに。

 ベージュ色で統一された、小さな部屋。

 ふたりの男女――おそらくは南美川さん……たちの両親であろうひとたちが壁を背に立っている。


 ふたりとも黒ずくめの服装。南美川父のほうは、シルクハットにエレガントなスーツ。南美川母のほうは、なんというか……アニメ動画やソシャゲのシナリオで未亡人キャラがよく着ているみたいな、レースだらけだけど小ぢんまりとした印象のドレスだった。隣に夫がいる女性の服装に対して思う感想としては、変であるとは思うけど……。

 そして外見的特徴としては、南美川父は髭を小さくたくわえた紳士、南美川母はすこしふっくらとした色白な淑女。逆に言えば、それ以上のなにか強烈な印象とかは――なにも、なかった。


 にこやかで、穏やかで、まるでものわかりのいいおとなみたいな薄笑いを浮かべている。ふたりとも、だ。――違う人間で、顔つきはそう似てなくて、しかも男女のはずなのに、おんなじ表情をしているんだ。


 そして――峰岸狩理が裸のまま、両手をベージュのカーペットの床について、彼らを見上げていた。

 カーペットではあるけれど……南美川父と南美川母は、ちゃんと靴を履いている、つまりここは土足の場所であるはずなのに。

 けれどきっとこのときの峰岸くんにとっては、そんなことは、どうでもよかったのだろう。僕は、……僕には、わかる、ひとは衣服や尊厳を剥がれてなすすべもなく床に這いつくばるとき、床の感触など感じてはいてもどうにでもよくなる。――上位者の機嫌や様子のほうが、だいじに決まってるじゃないか、それは……。


 奇妙に、……ほんとうに奇妙に、僕は自分自身と峰岸くんを重ねている――こんなときにまで。


 でも、だったらだれが撮影しているんだ――そうは思ったけど、すぐに気がついた。

 カメラのぶれが、なくなっている。しかも床から見上げる格好になっているので、なにかしらのツールを使ってカメラを固定したのだろう。いくら二十年前とはいえ、その程度の技術はもはや日常生活レベルのものとして浸透していたはずだ。



 幼い日の峰岸くんの背中とお尻のまるみのある肌色が眩しい。



『……大変だったわねえ、狩理くうん』

 南美川母のほうが、まるであどけない少女のように言った。もうこのときには南美川さん――南美川幸奈という娘がいる、母だったろうに。なんというか、母であることを……まったく、感じさせない。

『ね。大変だったわね』

 峰岸くんの肩がぴくりと動いた。

『……大変だったわね、ってゆってるのよ?』

『返事をするんだ。峰岸狩理くん。いい子のお返事のしかたは、習わなかったのかな?』

『……ひゃ、は、はいっ!』

 南美川父の声は、宴会場のひとびととは違いあくまでも落ち着いていてゆったりとしていて、機嫌よく響く低音だった――だがそれなのに、有無を言わせぬ迫力があった。

『よし。いい子だ。……ねえ、お母さん、やっぱり賢くていい子みたいじゃないか』

『うん、お母さんもそう思うわ、お父さんっ』

『……この子はやっぱり良いかもねえ』

『良いと思うの、お父さんっ。……だってあの子だって、ナチュラルに発生させたとはいえ、お母さんとお父さんの遺伝子情報を、もってるわけですもの、たとえちょっとだけ、ええと、ううーん……』

『――ちょっとだけ不都合があったとしても、子どもは簡単に手放せない。大事にしなくちゃ、だから』

『そうそう、それよ、お父さん! 大事にしなくちゃ、だからいろんな可能性をね……』

『その通りだ、お母さん……』

 ナチュラルに発生――その言葉だけで僕は、……南美川さんのことだって、わかってしまった。

 けど、それ以外は――いったいなんの話をしているのだろう?



 南美川夫妻は顔を合わせて仲睦まじい男女らしくお互いの顔を指さした、そして同時に発言した、

 ――犯罪者の遺伝子は貴重だ、と。



 夫妻の様子はおどけてさえいた。



 僕はもういちど隣で煙草を吸っている、いまの、おとなの、……いまも南美川家にひとりの人間として出入りしている、この高校のクラスメイトの、当時は僕なんか眼中に入ってもいなかったであろう超上位者の、横顔を見てしまった。

 峰岸くんはなにも気にしていないみたいにまるでぜんぜん平気みたいに、煙草を吸っている。……平気なのかな、こんなの、ほんとうに、僕はそう思いながらかえってハラハラしてたけど――


 だが、

「……あ」

 小さく声を漏らしたとき、

 峰岸くんの吸っていた煙草の先端はボトリと床に落ち、ジュウ、と小さく自身の靴下を焼いたらしかった。

「……あー」

 峰岸くんはそれだけ言うと、とくになにもせず、自身の高級そうな靴下を見つめていた。

 そしてウイスキーのボトルを淡々と呷ると、すぐに次の煙草にライターで火をつけた。



 南美川真はとくになにも言わず、なにもせず、ただのんきにポリポリとスナック菓子ばかり食べている。




 ――おかしい。

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