デザインキッズのしんちゃんとばけちゃん

 わたしには、妹と弟がいる。五歳下で、彼らは二卵性のふたごだ。

 遺伝子の持ちぬしである男女、つまりいわゆる父母はわたしとおなじだから、わたしと似ているところはたしかにあった。

 けど、わたしよりもはるかに優秀な存在だった。……比べるのも、ほんとうはおこがましかったくらいに。



 なぜなら彼らは――デザインキッズだったからだ。

 そして、……わたしは、ナチュラルキッズだ。


 デザインキッズ。つまり、子どもが誕生する前に、遺伝子操作を施して、子どもの容姿や能力や特徴を「デザイン」して、自分たちの遺伝子においてもっとも自分たちが望む子どもを、人工的に創り出すこと。

 それに対して、旧時代、どころか古代から続く出産方法で生まれた子ども、つまり遺伝子操作をしないで生まれる子どもは、ナチュラルキッズと呼ばれるようになった。

 デザインキッズはコストが非常にかかるうえ、反対者もまだ根強いので、多数派とはいえない。それでもデザインキッズの割合が、ここ十年くらいで、じわじわと、しかし確実に増えつつある。デザイン費用をポンと払える富裕層を中心に。そのことは毎年の統計でもあきらかだったし、社会みんなの関心トピックでもあったから、いつもニュースでやっていた。

 けど、それはわたしがすくなくともニュースを理解できるようになってからのことだ。わたしが五歳のとき――つまり妹と弟がデザインされてたのであろう時代には、デザインキッズの子どもというのは、まだまだ、少数派だった。


 学校で、わたしはまじめに勉強したから、歴史のことくらいならすらすらと覚えている。

 デザインキッズもまた、ヒューマン・アニマル制度を提唱した高柱猫の直系の系譜の機関である、高柱研究所の発明だった。

 発明というのは、この場合においては技術的な意味ではない。たしかに技術の進歩も必要だった。でも技術的問題は、旧時代から現代への過渡期に、実用レベルにまでクリアされたことだった。

 発明というのは倫理的問題のほうだった。

 旧時代においては、遺伝子を操作して人間の能力や素質をいじることは、タブー視されていたという。だから、デザインキッズの存在を認めさせるには、その倫理的問題を解消する必要があった。

 高柱研究所にまたも彗星のごとくあらわれた、あの学者、兼、神秘宗教家――彼は、「祈るように」という説を提唱した。


「自然に逆らう。尤もです。けれども私たちは、人間の意識を麻酔という劇薬で奪い腹をメスという刃物で割いてまでも、手術という、人命救助をなすでしょう。つまりして僕が言いたいのは自然に逆らうってそんな悪いことなのか、ということです。だって、人が死にかけていたら、そのまま死なせないでしょう? きっとあなたは救急車を呼び、自然に逆らってでもそのいのちを守ろうとする。尊い。実に、尊いことであります。だからその尊さを、そう、人間の生誕という神秘にも敢えて応用致しましょう――祈るように、そう祈るように、人間の傲慢を恥じながら、それでも神に祈るように、自然に逆らい続けましょうよ」


 ……最初は、受け容れられなかった、らしくって。彼は、あまりにも、エモーショナルに語るから、って。たしかにね、目を潤ませて――と、そのようなことを教科書の資料欄に書かれてしまう、ほどなのだから。

 彼自身というよりは、一部の進歩主義的な政治家や科学者が、彼の言説を利用した。すばらしい姿勢だ、ましてや彼は宗教家である、これだ、これこそが新時代の倫理だ! ――と。

 政治家や、科学者。むろん彼らは優秀者であった。つまり、……優秀者にとって、デザインキッズはとても理にかなった夢でもあった。……の、かもしれない。



 きっと社会的地位もプライドも天のごとく高い両親は、中途半端に賢く中途半端に愛嬌のあったわたしに、わたしが幼児の時点で、すでに失望をしていたのだろう――幼いわたし本人に対しては、ただとてもよき父として母として、完璧な愛情を演じていたというのに。

 気づかなかった。ほんとうに、わたしは、気づかなかった――自分が、両親に失望されていたなんていうことを。笑っちゃうけど、わたしがそれに気がついたのは、わたしが人間として成長し、人間として高校を出て、大学を出て、就職先も決まって、さあこれからばりばり働いて社会貢献しちゃうぞっていう、そのタイミング――つまり、わたしのヒューマン・アニマル加工が決定されたあとのことだったのだから。


 両親がなぜ第一子であるわたしをナチュラルな方法で発生させ、妹と弟にはデザインを施したのか。

 尋ねてみたことはない。わたしにとってはそんなことは些末なことだと思っていた。わたしも妹も弟も、ひとしく両親の愛する子である、と。それこそ旧時代にナチュラルな出産方式しかなかったころにおける、自然分娩か帝王切開かどちらで産まれたかとかいう、それくらいの違いでしかないと思っていた。

 いや。むしろ。……いまとなってはほんとうに自分を嘲り倒したいけど、わたしは自分がナチュラルキッズなぶん、両親にとっていちばん近くて親しい子どもなのだ、とさえ思っていた。だって、……だって、パパもママも……そう、言っていた。パパとママから自然のままクリエイトされたのは、幸奈、……おまえだけなんだよと。

 だからパパとママはおまえに幸奈と名づけたんだ――って。



 いっぽうで、

 妹の名前は、しん

 弟の名前は、ばけ

 真と化のことを、変わった名前だとは思っていた――けどいまどきオンリーワンな名前なんて常識レベルの流行りだし、わたしは五歳からずっと、しんちゃん、ばけちゃん、ととくに疑問もいだかず呼び続けた。


 そう、いまなら、……当然わかる。

 わたしはきっと、幸福ではなく、運をためされて――しかしそれは、両親にとって幸運ではなかったのだ。

 ナチュラルなまま優秀な子どもが産まれるという、いまどきとても自慢できる「ナチュラルキッズ神話」は、南美川家では、発生しなかった。

 だから両親は、こんどこそとデザインキッズを注文したのだろう――それも、ふたりも。ふたごとして。


 愛想はいいけど、わたしの言葉でいちども心底笑わずに、薄く苦笑して、「姉さん自由だねえ」が口癖だった、妹、真。

 礼儀正しいけど、わたしに直接喋ることはほとんどなく、淡く微笑して、「真ちゃんに訊くよ」が口癖だった、弟、化。


 与えられていた名前の通りだ。

 真も化も、わたしなどよりずっとまことで、けていく、そんな人間になっていった。ゆっくりと、しかし確実に、頭角を現し、――デザインキッズの本領を見せていくことになったのだ。



 だから――わたしは、なんて愚かだったのだろう。

 そうだ、……五人家族だと思っていたのは、わたしだけだった。彼ら四人家族は、あのすてきな微笑みの裏で、ずっと、ずっと――なにも知らないでのびのびと家族の一員のようにしてふるまうわたしを、すでに人間未満として見ていたに、違いない……。

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