172話 怪僧ジハド
この四角く仕切られた大理石の間には、色とりどりの薔薇が咲き乱れ、その中央には乳香の混じった白色の湯の揺蕩(たゆた)う、一人用の湯船が設(しつら)えられていた。
そこにて優雅に湯を浴(あ)むのは、身の丈160センチあるかないかのズングリムックリとした毛深い中年男であった。
彼の周りには、魚鱗のごとききらびやかな光沢を放つ、誠、目も綾(あや)な真紅のドレスを纏った美しい女達が十名ほど立っていた。
それらは皆一様にカンテラと純白のタオルとを手にしており、中には真っ赤な葡萄酒の入った、繊細な硝子(ガラス)細工の酒差しを手にした者もいた。
そして、それらの下女らしき者達には、なんの個性・独自性も許されていないようで、全員が全員、恐ろしく色素に乏しい頭髪を長めのおかっぱにさせられ、その襟足、そして前髪とは真横にフッツリと切り揃えられていた。
そして、その額の上にはピンクの花弁(はなびら)の薔薇冠を被っていた。
またそれらは皆、例外なく薄紅色の瞳を持ており、総てが可憐であどけない''幼女''であった。
「ふぁあぁ……死ぬほど退屈だのう。どれ、苺(イチゴ)。なにか心踊るような話の一つでもないものかのう?」
湯船の中年太りが、カリッと赤い団子っ鼻の頭を掻いて、手近の女児に言った。
これに陶磁器のごとき肌の女児は、血の気に乏しい小さな口元に子供らしい幼い指をあて
「うーん、そうね……。今からじゃあもう遅いかも知れないけど、ラグナの闘技でも観に行ったら?」
断じて下女らしくない小生意気な口調で、実に素っ気なく提案した。
「ラグナ……嫌い……」
「ラグナ……怖い……」
これに、残りの薄幸少女達がさざ波のごとく動き、そして口々に囁(ささや)いた。
「ぶあっはっはっ!よせよせ!儂(ワシ)は出番の日以外には、決して彼処(あそこ)には往(い)かんと、こう決めておる。
おっ!?そう言えば、ナニやら二、三日前に号外が配られたらしいのお?
全体、何を告げるものであったか?」
乳白色の温泉からジャガイモみたいな膝小僧を浮かせて訊いた。
苺と呼ばれた少女は、それらの男くさい、ゴツゴツとした島二つを、さも不快そうに見下ろし
「あれ?ジハドは闘士なのに号外を読んでないの?
まーいつものことかー。
あのね、今日のラグナのお相手は、ただのバンパイアじゃなくて、どっかで魔戦将軍やってた吸血鬼のお姫様なんだって」
「バンパイア!怖い!」
「バンパイア!醜い!」
また白子(アルビノ)女児等の間に動揺の波紋が広がった。
「うわっはっはっ!!そうか!そうか!生粋のバンパイアか!うわっはっはっ!!
では我らがチーム超越の御同輩殿は、今まさに同族をいたぶっておいでかー!?
ぶはははは!これはなんとも愉快愉快!!」
チャプチャプと白い波を震わせて笑った。
これに、年相応の少女らしい快活なる生命力に乏しい女児達も釣られるように、クスクスと笑って、大理石の壁に儚(はかな)げな影法師を踊らせた。
すると突然、ケンッ!カンッ!ケンッ!カンッ!と、石の床を乱暴に踏み鳴らす軽快な足音が響き、この湯殿のたった一つの出入口から、ヌッと白衣の仮面男が侵入してきた。
「ジハド閣下っ!御寛(おくつろ)ぎのところ失礼致す!!
あ、あのラグナ様がっ!」
少女達はその男の怪鳥(けちょう)のごとき仮面を恐れるように、それとは反対側に一塊になって寄り添った。
「んん?その怪鳥仮面。闘技運営の部員か。
はてさて、そのラグナ殿がどうされた?」
「はっ!たった今、闘技にて落命なされましたっ!」
嘴(くちばし)仮面の伝令役は片膝をついて、振り絞るように告げた。
「まさか、あの怪力無双のラグナ殿が敗れたと!?
ぶふっ!ぶあっはっはっはーっ!そーかそーか!!それは確かに一大事!!
あ、いや苺よ!そのように笑(わろ)うては不謹慎にあたろう?
ぶはははは!!そーかそーか!ナニやら退屈が遠く晴れゆく気配がするのうっ!」
黒々とした、武将のごとき跳ね髭を震わせて仰け反った。
そして、剛毛の茂りし逞しい腕を乳香薫る温い湯から抜き、パアンッ!と景気良く少女苺の尻を叩き
「よしっ!皆の衆!すぐに具足を持ていっ!」
と上機嫌で喚いた。
「痛っ!!この……触るな豚野郎っ!!」
女児は美しい顔を狂おしき嫌悪に歪ませ、手にしたタオルをジハドの顔面へと投げつけた。
さて、場面は風雲の闘技場に戻る。
そこの特等席では、このヴァイスの街長アントニオが、ガジガジとしきりに左手の親指を噛み、憤懣(ふんまん)やる方ないとばかりに、憎々し気に舞台中央に残された、手首の断面の真ん中から極太の芯棒が突き出た、お化けカボチャを想わせるような鋼鉄の巨拳を睨んでいた。
「グググ……ラグナの奴め。勝手に死におってからに……。
まぁいいか、これでもう金輪際、アイツに馬鹿高いギャランティーを支払うことはなくなった訳だし、あの偽物の吸血姫にも超越の一人を滅したという、願ってもない箔(ハク)がついた!
グエッヘヘ……これはこれで悪い形ではないぞぉ」
流石は神も魔も、天地の如何(いか)なる権威も認めないという、真の魔王崇拝の提唱者である。
無感情に己の損得勘定を済ませると、実にそれらしい歪んだ笑みを浮かべた。
「ウム。あの消滅の仕方を見るに、あの刺青の男とはカミラーと同族のバンパイアであったか。
先の''吸われ''をどこから調達してきたか疑問だったが、なるほど、そういうことか。
それより街長。次なる闘士の異名''魔族狩人''とはどういう意味だ?」
傍らのドラクロワが黒衣のアントニオに問うた。
「ん?ああ。なぁに、読んで字のごとく、そのものズバリ、今呼びにやってるジハドって奴は魔族専門の名狩人だぁ。
ジハドは、今でこそ快楽と淫蕩(いんとう)に堕した''立派な魔王信奉者''とはいえ、元々は王都神聖騎士団の団長をやっていた男でなぁ。
魔族、それも不死系のゾンビ・バンパイア相手には無類の強さを発揮する、第一級の神官戦士なのだぁ」
ドラクロワは、フッと柳眉の根を寄せて
「ほう。坊主戦士の極致というヤツか……。
フーム。そいつはまた、つまらんのを出してくるものだな……」
忠臣のカミラーの誇る強力な武器の一つ、驚異の特異体質である、あの''退神聖属性''を想起して、早くも勝利と退屈極まりない展開とを確信し、溜め息を吐いてゲンナリとした。
「なにぃ?ツマラン?つまらんだと!?
グエッヘヘ!何をいうか!あの偽物のカミラーがどうやって吸血貴族のラグナを殺ったかは分からんが、そいつがジハドの聖掌光を浴びれば一たまりもあるまいよ。
おぉ、そうだそうだぁ、ジハドの奴には、余り張り切ってやり過ぎんよう釘を刺しておかんとなぁ」
堕落の聖戦士ジハドに、絶妙に手心を加えた''半殺し''程度に留めさせるべく、傍らの側近に耳打ちした。
それを見たドラクロワは、カッと目を見開き
「待て街長。俺の葡萄酒の代わりも二本、いや三本頼む」
と、少しの遠慮もなく、おかわりを所望したのである。
街長は、その貴公子の足元に転がる無数の空き瓶を見下ろし、その底の抜けた蟒蛇(ウワバミ)具合に呆れ果て、ついテントの天井を仰いだが
「おい、伝令の帰りに、あの銘柄をあるだけ全部持って来てやれ」
と魔王信奉者としては''模範的''と評価すべき、節度のない深酒を重ねさせてやろうと、屈んだ側近に命じてやった。
それから少しして、にわかに見世物の巨大テントの観客等がざわめき始め、それらに招かれるようにして、ズングリとした体を金色の鎧兜で隙間なく覆った、小柄な重装戦士が闘技の場に現れた。
その者は一般に''フレイル''と呼ばれる、棍棒の先端に鎖で鉄球を繋げた打撃凶器と、分厚い円形盾とを手に、そこの場の中央に、ノッシノッシと歩んで行くのだった。
そして、獅子の頭を象(かたど)った、堅牢にして優美なる黄金色の兜のひさしを、ガチンッと跳ね上げ
「さてもさても。よもや、この儂(ワシ)がでばってくる羽目になろうとはのう。
皆の衆!ラグナの敵討ちは、万事この魔族狩人のジハドに任せておけいっ!!
さぁて、たった一つの気掛かりは、この休日出動の特別手当てが戴けるか、であるのう。
うわっはっはっはー!!」
真っ赤な団子っ鼻を覗かせて、ラグナの忘れ形見である鋼の巨拳に、精一杯の無理をして短い足を乗せ、実に男臭い高笑いを極(き)めた。
そして、なんの狙いがあってか突然、カーンッ!!と勢いよく金色のガントレットの合掌を打ち合わせた。
すると、この聖戦士ジハドの「喝っ!!」という勁烈(けいれつ)な声を火打ち石にしたように、その合掌の隙間から青白い閃光が炸裂して、パアッと扇型に広がり、一瞬そこの観客等を真昼のように照らした。
無論、観客等はこの神聖属性を誇示するようなパフォーマンスに一気に熱狂し、割れんばかりの大歓声を上げた。
だが、その人間族を活性させる聖光の閃耀(せんよう)に、反射的に暗黒色の天鵞絨(ビロード)マントを前へと翳(かざ)して拒絶する者がいた。
「ウム。なるほど……次の一戦、少しは楽しめそうだな」
魔王ドラクロワは全身から幽(かす)かな紫煙を立ち上らせながら呟(つぶや)いた。
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