147話 二つの禁忌
ドラクロワは、巨大な半球の鉄牢を構成する、幾分平べったい造りの格子の表裏の面に、一見、びっしりと美麗微細なる飾り細工が施されているように見えつつも、その実、素手では握ることのかなわぬ、不用意に触れれば裂傷必至の細かな刃が全面に形成されているのを観察しながら
「ウム、カミラーよ。お前としてはこの勝負、どう見る?」
と、特に囚われのユリアを気遣う風もなく、傍らの元魔戦将軍に訊(き)いた。
これに、カミラーもカミラーで、二人の人間の殺し合い、いや一方的な殺戮へと容易に展開しそうな、この緊迫した事態を目の当たりにしながらも、特段戦慄することもなく
「はっ。あの低知能娘。以前に私の城にて出会った頃より、いつぞやか……確かワイラーとかいう都にて、小汚い魔導師の精神崩壊魔法とやらにまんまとひっかかり、この世界から一時隔離されたのをきっかけに、なにやら随分と逞しうなりおおせました。
その後の本人の弁によりますれば、その封ぜられた向こう側の世界で、何やら無数の戦闘を繰り返し、その結果、あの様に極端に裾の短い、低俗破廉恥なる装いこそが、より戦闘向きであると悟った、とか申しておりました。
そこで、此度(こたび)の闘いにおいては、その仮想的戦闘体験というモノが、どう活きてくるか?が勝負の主要な分かれ目にあるかと思われまする。
当然、それが所詮は無幻の世界での虚しき風追いにしか過ぎず、結果、己が強くなったというのは単なる思い込みであった……といったことも充分にあり得まする。
いずれにせよ、あのバラキエルという男の統計とやらを基(もとい)に、他人の能力を感知・開花させ得る特殊な能力。その信憑性はある程度実証されておりますゆえ、この見世物、それなりに楽しめるのでは?と存じまする……」
と、自らの所見・見解を語り終えると、少し間を置いて、魔王の実に退屈そうな
「デ、アルカ」
が返ってきた。
カミラーはそれに「はっ」と、短く応えると、陶磁器を想わせるような、白く、艶やかな小さな顔の脇に下がるピンクの発条(バネ)みたいな巻き毛を、小さな指で丸めながら
(低知能娘よ、このようなところで儚く散るでないぞ?)
と淡く念じた。
一方、渦中の堅牢なるドーム内に孤立させられた勇者ユリアは、思わず自らと皆とを隔(へだ)てる鉄格子に取り付きそうになったが、その手の先の微細なる棘刃(とげやいば)に眼を剥いて
「わっ!!何だコレ!?危なっ!!
はぁ、もぅ分かりましたよ!やればいいんでしょ!や!れ!ば!!
もうっ!!でも、ちょっと前に千体のアイアンゴーレムさんをやっつけた私だから、魔法を全然伴わない、単純な力任せの攻撃を避けるのには自信がない訳じゃないんだよねー。エヘッ!
あぁっ!!でもでも、あの時は、お師匠様が造ってくれた魔法杖があったんだっけ!!?
うーん。あのデッカイ人、筋肉ばっかりで何だかノロマそうだし、捕まらないようにだけ気を付ければ、攻撃を避けるだけなら何とかなりそう。
だけどー、それをやっつけるとなると手の打ちようがないなぁー。
おーい!バラキエルさーん!!貴方の他者の能力を見極めるよーな、才能開花の審美眼は認めますから、今から私がどうやったらこの人を倒せるのか、実践の方の"ごしどーごべんたつ"を宜しくお願いしまーす!!」
と、鉄格子越しに、意外に気丈・能天気に、単なる人間に飛行性能を付加させた程の異能の統計学者にアドバイスを乞(こ)うた。
それにバラキエルは、しっとりと妖しく微笑み
「ユリア様。残念ですが、この私からはお伝え出来ることは何ひとつございません。
なぜなら、先にお選びいただいた三枚のカードが伝えるモノとは、貴女が大天才的、不世出の"拳聖"であられるという事だけですからね。
フフフフフ……」
これを聴いて、アンとビスはお互いを見合わせ、フッと神妙な顔になって、檻の中の未練たらしいソバカスの愛らしい顔を見つめ、直ぐに、所々に"ユリア"が散りばめられた神聖治療魔法の詠唱を開始した。
「えぇー!?あっれぇ?上手く伝わらなかったのかなぁ?
ちょっとバラキエルさーん!?あのですねぇ?私が欲しいのは、そーゆー漠然とした、ザックリ・テキトーな誉め言葉でなくてですねー!?」
といった具合で、黒光りする流麗な彫金の施された鉄格子に、いよいよと迫るユリアであった、が。
「ユリア様。この世界のどのような分野のどんなモノであれ、こと天才を相手どったときに、最も愚かで、言わば"禁忌(きんき)"とされる行為とは、一体何だかご存知ですか?
フフフ……そうです。それは取りも直さず、"中途半端な助言"という、唾棄(だき)すべき、どうしようもない愚行にございます。
ですから、格闘という名の熾烈なる暗黒世界の第一等星たる、真の拳聖であられる貴女様は、それはそれはもう、ただただ魂が渇望するがままにこの血闘を愉しまれればよいのです!
昔の偉人は言いました、考えるんじゃない!感じるんだ!と」
この美中年が熱っぽく語るアドバイスとは、どちらかと言うと無責任とも取れる、そんな完全に役に立たない言の葉の羅列であったとか。
さて、呆然とするユリアの背後に仁王立ちのザバルダストだったが、その岩肌を想わせる恐ろしく筋肉の盛り上がった胸前に手をやり、再び慇懃に頭を垂れると
「では勇者様。このザバルダスト、至らずとも死力を尽くします所存故(ゆえ)、何卒宜しくお願い致します」
と宣誓すると、どこか不自然な所作で、鋼鉄の手甲の両拳を人差し指を支柱にするような形で握りしめ、戦闘ブーツの踵(かかと)の内側で堅い床を蹴った。
すると、それらの武装具の四肢の先端。それらの四本の鉤爪の根元を相当に注視・熟視しないと気付けないような、正しく針の先程の極小なる孔(あな)から、ユルユルとヒヤシンス色の液体が漏出した。
そして、どういう仕組みか、その無気味な青の液体は各鉤爪にまとわりつくようにして、螺旋を描きながら下降し、それらの凶器を尖端まで満遍(まんべん)なく濡らしたのである。
女アサシンのシャンはそれを遠目に観察して、低く短く唸(うな)り
「うん。あの独特なる青の色……綺麗だな。
あれこそは、深海に棲息する海狼の雌の骨髄と、雄の精巣から精製されるという、猛毒の"ダイヤボ"。
その危険すぎる凄まじい毒性とは、人間族からオーガー(巨人族)までもを触れるだけで直撃死させ、その憐れな被害者の体内でほぼ無尽蔵、かつ爆発的に毒血へと転じながら増殖して、ごく短時間でその死体を破裂させ、飛沫感染的に確実なる死をばらまくようにして二次被害を伝染させるという。
それゆえに、過去の大陸平定戦争でも、その使用は重大なる国際戦犯とされ、後に時の大陸王によって、その精製が永遠に禁止されたという"青ざめた死神"……。に似ているな。
うん。無論、これは私の隠れ里のアサシン一族の間でも最終兵器とされていて、年に一度の先祖を讃える祭以外では、中々お目にかかることはなかったな。
あっ、いや、その……い、色が似ているだけだ。うん、とても綺麗な青だな」
と、強烈な解説に魂を凍りつかせ、呆然自失とするユリアを気遣ってか、コメントの最後はただの"空似"ということにした。
これに、不覚にもアンとビスは聞き入ってしまい、神聖治療魔法の詠唱は中断を余儀無くされた。
「ちょっ!!アンさん!?ビスさん!?それ止めちゃダメ!止めちゃだめだからーー!!」
ユリアの悲痛な叫びが鉄格子を僅かに共鳴させ、鋼の牢獄全体へと染み渡った、とか。
「では勇者様。いざ尋常に!!」
と、ひび割れたラッパのような大迫力の掛け声が密葬の毒竜から放たれた。
これはそのまま決闘開始の合図となった。
その刹那、棒立ちになるユリアに、一気に前のめりで駆け出し、半瞬で小さな獲物へと肉迫する、まるで蟷螂(カマキリ)を想わせる四本の鉤爪の怪物であった。
バオッ!!ブブンッ!!
シャキコキッ!
と、鋼鉄の刃のごとき鉤爪が豪快に空気を千切って両断したような、そんな暴風じみた音が鳴り、そして、それにやや遅れて、何故か梨(なし)か林檎(りんご)をかじったような、そんな異音が聴こえたような気がした。
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