139話 一本でよかった

 ユリアとライカンの姉妹達とが放った光線砲撃とは、無数にある神聖魔法の中でも特に即効性のある退魔効果を持ったものであった。


 それは、精神と肉体の微妙な歪み・ズレを修整する、言わば"生命調律"の類(たぐ)いのモノであり、通常の人間であれば、それを幾ら浴びようとも、なんらその身体に害はない。


 いや、それは害どころか、七大女神達の作品である、中立よりはずっと聖属性寄りの人間族にとり、何処か高揚感にも似た、清々しさをもたらす清らかな波動であった。


 だが、その蒼白い有り難い閃光を忌み嫌うようにして、タジタジと執務室の隅へと退散・退避するかのように移動する妖しい影が二つあった。


 皆は、この鮮烈な聖なる真輝に照り輝くバラキエルの背面を観察するのに夢中であり、同時にそれは、なるほど確かに激しく眩(まばゆ)くもあったので、それらドラクロワとカミラーの後退には気付かなかった。


 そうして、神聖魔法の輝きが光の欠片を放射線状にバラ撒(ま)いて明滅する中、突如。

  

 「お、おうぁー!あうおぉあー!!

 ぶじゅるるるるるっぅ!!あばぁー!!」


 と、老人の放つような、またそれでいて、火のついたように泣く赤子の声のような、そんな何とも言えない無気味な声音が上がった。


 それは磔刑(たっけい)に処された者が、徐々に足元から身を焼かれているような、そんな悲痛さを訴えるごとき、思わず耳を覆いたくなるような苦鳴にも似た叫びであった。


 それは明らかに部屋の中央、そこのバラキエルの辺りから発せられていた。


 その異様なる悲鳴に、ついユリア達は手を翳(かざ)すのを止め、聖光の照射を中断した。


 当然、聖なる照明の消失により、十基の燭台の灯火のみが光源となった執務室の皆の視線は、何事か?と、バラキエルの背中に集中する。


 そこには、誰もが一目で分かる、奇っ怪なる変容・変化が見受けられた。


 それは、バラキエルの背中いっぱいに描かれた刺青の一枚絵、その背景である夜空の星々と星雲等をそのままそこに残し、あの蛸(たこ)頭の毛むくじゃらの肖像だけが、まるで高温により溶けた黒いガラスのごとく、バラキエルのローブの腰の辺りまで剥(はが)がれ落ちて垂れ下がっており、それは淡い煙を上げる、ヌラヌラとした黒ずんだ穢(きたな)い蜂蜜のようにわだかまっていたのである。


 どうやら、先程から聴こえる、気味の悪い叫び声は、その固い粘液の塊から発せられているようだった。


 そして、その洗面器一杯ほどの汚らわしき液体。

 まるで多量の水飴に黒いインクを混ぜたようなその物体は、次第にその粘塊(ねんこん)の内部から漆黒の毛皮、灰色の軟体生物的表皮を形成し始め、見る間に天井に向かって直下(そそり)立ってゆくではないか。


 そうして気付くと、それはカミラーより少し大きい位の酷く背の曲がった、奇っ怪なる小さな人影となったのである。


 それは、前方にもたげた灰色の蛸頭を支える首を大きく捩(よじ)り、直立した痩せた熊のごとき黒い剛毛の繁(しげ)る、四本腕の身体を、ゴワゴワと毛むくじゃらの大腸のごとく蠕動(ぜんどう)させるうち、その体表を覆っている粘液は、急速に剛毛の根元へと吸い込まれるようにして失われ、その毛皮の身体は幾分乾燥したせいか、モコモコと一回りほども膨らんだのである。


 そうして、ここに二次元の肖像から本来の姿として現れたモノこそ、彼(か)の邪神の兵士である、古代妖魔であった。


 この怪奇なる登場劇を凝視していた片眼鏡の老人は、赤黒の斜め縞(しま)のハンカチで口元を押さえつつ、皆を代表するようにして

 「うぐぐ……こ、こいつは何とも独創的におぞましい生き物ですな……。

 それと、なにやら生魚と海藻が腐ったような、そんな独創的な臭いがします……。

 こ、これが、あのお伽噺(とぎばなし)、寝物語に聴いた、七大女神様達の天部、魔王の魔界とに拮抗(きっこう)する第三の勢力である、星の彼方(かなた)の邪神の兵士ですか……。

 ま、まさか神話の世界の古代妖魔を、この目で見る日が来ようとは……。

 いやはや、なんとも、これは究めて独創的な、類い稀なる邂逅(であい)にはございますが……。

 こいつが我々自警団を翻弄(ほんろう)し続けた、あの望月の怪異の諸悪の権化とは……お、恐ろしい……」

 と、老人は、敵意と恐れとが半々に入り交(ま)じった目で、首回りの微細なる吸盤触手を蠢(うごめ)かせる異形なる生命体を睨みつつ、オズオズと後退するのだった。


 古代妖魔は、幾分湿って、グニャリと後ろに余って倒れた、蛸に酷似した頭部。

 そこの黄色い目玉を大きく広げ、その瞳を縦に切り裂いたような漆黒の瞳孔を開き

 「うぁだばぁ……ながのごぅ……たつまやるぅな……ぼぐがま……ほぅあは……。

 うぬふぅ…………。

 ご、ごれか?ごれ……これ、こぉ、これなる原語なら、きさまらぁも理解か?

 うう、うぬぅー。じ、じ、しかし、自らで全(まっと)うに外部へと這(は)い出るのとは違い、引っ張り出されるのは痛い、痛いぃ……ふじゅるるぅ!!

 我を断りなく点描の絵より引きずり出したのはお前達が、か?

 うぬひひ……なんと、き、斬りがいのあるメスが一、二、三……ぬひ、ぬひひ……。

 それにつけてーも!うぬら我を、神の使いである我を弄(もてあそ)んだ罪、余りに不敬!不敬!不っ敬だぁ!

 か、神の軍に楯突いた罪は死によってでしか償(つぐな)えぬ!!ばばば、万死に価するぅ!ふじゅるるぅっ!!

 我、不敬罪には、もはや試し切りに留(と)めず、貴様等の心臓を簾(すだれ)に切り裂いて呉(く)れーる!!

 ま、先ずは、せ、成熟したメス等から逝(ゆ)けい!」

 見れば、古代妖魔の痩せ熊を思わせる四本の腕が急激に脱力をし始め、それらは床へと幅広な墨汁の流れのごとく、揺らめく漆黒の逆さ炎か、艶のある煙のようになって垂れ落ちてゆくのだった。


 それを認めた皆は揃って眉をひそめて、その、つっかえ、つっかえに絞り出されたような、究めて聴き辛(づら)い大陸共通語に生理的嫌悪を覚えつつも、それをなんとか理解しようと反芻(はんすう)をしていた。

 が、ここで、不意に部屋の隅の貴公子が声を発した。


 「マリーナ、シャン、今直ぐ剣を胸の前に構えろ。

 アンとビスは、棍を旋回させての防御態勢をとれ。

 それから、近接するアンは、その回転の中にユリアを含めろ」

 その警戒を促(うなが)すような声は、夕食後の家族がテレビでも観ながら

 「まーたインフルエンザが流行ってるんだってー」

 「えー?コワイー!みんな、頼むから外からもらって来ないでよねー?」

 と言っているのに向けて

 「そんな気になるんなら、病院で予防接種打って貰えば?

 多分。そんな、メチャクチャ高いもんでもなかったと思うよー?」

 と適当に意見・提案でもするかのような、そんな、いつもと変わらず、恐ろしく抑揚というモノに乏しく、正に仕方無しに言ってやる、といったような、実に気の抜けた声での指示であった。


 これに女勇者達は何かを察し、一瞬で指示通りに動いた。


 その刹那。

 

 ガインギインッ!!ガギギインッ!!


 と、凄まじい火花を伴った、金属的衝突音が轟いた。


 その執務室を一瞬、真昼にした火花とは、マリーナ、シャン、アンとビスの懐(ふところ)辺りから発せられたものであり、彼女等はことごとく手持ちの武器を弾かれて、腕に猛烈な痺れを覚えていた。


 「うっわっ!!ななな、なんだい!?今の!!

 ま、まさか、あの化け物が斬りつけてきたのかい!!?

 っひゃーっ!全っ然見えなかったよー!!?

 あ痛ててて……。

 アハッ!さっきのドラクロワの言うこと聞いてなかったら、コリャハッキリ言ってみんなで仲良く死んでたねぇー。

 アハッ!やってくれるよねぇー!この変態人斬りヤロー!!」

 女戦士は、たった今、心臓を膾(なます)切りにされ、即死していたかもしれないというのに、その闘志は鎮火するどころか、いよいよ燃え盛る大炎がごとくに奮い立ち、素早く後方へと跳ね、床の剛剣を拾わせた。


 限り無く黒に近い深紫に塗った爪の手を呆然と見下ろす女アサシンも

 「うん。多分、今ので我々五人は死んでいたな。

 流石は数万の年月を越えてきた古代妖魔、といったところか……。

 ドラクロワ、済まん。お前のお陰で助かった。

 そうか、コイツは私達の心臓をどうこうと言っていたな。

 うん。今ので少し分かったぞ。

 コイツの刃の初速とは、決して目では追えない世界のモノだ。

 ならば、私としては、これより虚無を降ろす」

 と、無手の手刀を上下の互い違いにし、直ちに無の境地へと移行したのである。


 アンとビスも、十メートルほど先の邪神兵の放った、兇暴(きょうぼう)なる斬撃で共に六角棍を弾かれ、あまつさえ、その猛烈なる衝撃(インパクト)で割れた爪の間から、ジクジク、ジワジワと滲(にじ)み出す鮮血を眺め、急激なアドレナリンの分泌により、小刻みに痙攣し出した、そこの指先を折って握り、繊細なる硬い拳にした。


 その雪の肌の妹は、キョトンとする女魔法賢者の小柄な体躯を、上から下まで丹念に凝視し

 「ユリア様!何処にもお怪我はごさいませんでしたか!?

 もっと後ろに、この私の後ろにお隠れ下さい!!

 ちょっとビス。今のって、見えた?」

 

 ビスも妹と同様に、口内で小刻みに白い歯を打ち合わせ

 「ううん。ハッキリ言って、全っ然見えなかった。

 すごい……。あんなの見たことないよ……。

 あ、危なかった。本当に危なかった……。

 でも、今は怖がるより、神聖回復魔法を使える私達とユリア様だけは死守しないとね……。

 それに、それに邪神兵と聴いては、怖さなんか吹き飛んだよ!!

 アン!ゴメン!私のそれも拾って!」

 まとめて弾き飛ばされた鋼の六角棒を拾う妹へ、震える指で指し示した。


 それを見下ろしたユリアも、多少青ざめた顔ではあったが

 「こここ、古代妖魔……。あ、あのお伽噺の世界から、今ここにあの邪神の兵隊が!!

 ほ、本物の生きてる邪神兵がやって来たっ!!

 ヤッホゥッ!!ススス、スッゴい!!スッゴいですー!!

 あの黒い、ユラユラ揺れている四本の腕が、信じられない速さで動いて、し、しかもこんなとこまで伸びたんですかー?

 うぁおーー!!スッゴい!スッゴいですー!!

 そ、それに、あの歪んだ、ツルツルのおつむっ!!な、なんちゅー独特面白なフォルムなんでしょう!?

 も、もうちょっと近くで、ぎゃっ!!」

 と、僅かに垂れた大きな目を輝かせ、今まさに勇者団が半壊するところであったという事実などは遥か遠くに蹴飛ばし、超絶危険生物の邪神兵へと迫ろうとした。


 だが、それはアンとビスに、二房の三つ編みを左右から同時に掴まれ、あえなく阻止された。


 カミラーも口をヘの字にして立っていたが、突然、ハッとして、急に真紅の刺突剣(エストック)を足元へと投げて落とし

 「う、うーむ。中々に素早いヤツじゃな。

 くほぅっ!今ごろになって手が痺れてきよったわー!

 うむうむ。これが古代妖魔かー!ホント困ったヤツじゃー!

 そうじゃ!そうじゃ!これぞ正しく乙女(レイディ)の危機じゃー!」

 と、自らの小さな両手を震わせたという。


 ドラクロワは何とも言えない顔付きでそれを見下ろしていたが

 「ウム。中々の戦闘力だな。だが、斬る前に、"成熟したメス"とその心臓を切ると、事前に宣言しては何にもならんがな。

 そうか、邪神兵とはそこそこにやると聴いておったが、ただ喧(やかま)しく鋼を打っては、火花を散らすことしか出来ん役立たずであったとはな。

 ウム。これは認識を新たにさせられたな。

 それより……」

 と、平然と言ってのけ、妖魔の肩から下、ヌラヌラと波打つ四本の腕を眺めた。


 「ぐぬぅ……ぶじゅるるぅ。う、うるさい!貴様が要らぬ、こ、ことを言わねば、女達の乳房を掻き回せたのにぃぃぃ……。

 つ、次は逃さんーぞぉー!黙って切るぅう!!

 わ、我は神の軍団、その中でも、ず、随一(ずいいち)の速度を誇る者。

 あの主人(あるじ)でさえ、我を"神速"とお誉めになったのであぁるぅ!

 折角だ、だから、お前達をひとりずつ、ひとりずつ、頭から小間切れの、バラバラにし、してやるぅ!」

 と言うや、皆が一呼吸する間に、黒い残像の尾を引きつつ、この執務室の出入り口のドア前へと、迅雷の速度を以(もっ)て瞬間的に移動し、その言の通り、個別なる全滅処刑を果たすために、その手始めとして、室の唯一の出口を封鎖して見せたのである。


 ローブを元通りに羽織ったバラキエルは、幾分血の気の引いた美しい顔で

 「勇者様。先ずは、あの醜い妖魔をこの身より引き剥がして下さった事に感謝をさせて下さい。

 ですが、その……誠に失礼ながら勇者様……。

 あの悪夢の中の魔物のごとき邪神兵に勝てる算段はおありにございますか?

 先程、奴の見せた疾風迅雷のごとき動きとは、正に人知を越えた力。その片鱗をまざまざと感じさせるモノにございました……。

 これより、強力無比なる、あ奴を相手どり、どのように打って出られるおつもりであられましょうや?」

 刺青の大部分が抜け落ちた背に、金髪の美青年、リョウトウを庇(かば)うように隠しながら問うた。


 だが、その戦慄する美中年を余所(よそ)に、ドラクロワは常と変わらぬ、氷のような、正しく切れるような美貌のまま

 「そうだな。ウム。カミラーよ。

 先ずは、ヤツの血が他の邪神兵と同様の色なのかを見てみたい。

 ウム。例のごとく、珍物件好きのユリアも、あのように、たいそう興味を惹(ひ)かれておることだし、俺もあの不可思議な、無音ではためく腕を近くで検分したい。

 そうだな。では、とりそぎ、ここから向かって左、あそこの上の手を獲(と)ってこい」

 と言う割りには、さして興味深げでもなく、のんびりとした口調で命じた。


 無論、これに忠心なる使徒カミラーは「はっ」と言下に応えるや、即座に足元の真紅の刺突剣を拾い上げ、スカーレットのフリルスカートの膝を少し引いた。


 それを見下ろしたカゲロウは目を剥き

 「なっ!!?ド、ドラクロワ殿!?こんな状況でご冗談はお止め下さい!!

 今、何とか奇跡的に偶然が重なって、なんとかとりとめた伝説の勇者様達の命を、これより無為・無駄に散らされるおつもりか!?

 し、しかも、光の勇者団の一員とはいえ、手始めに、この幼いカミラー殿から特攻させられようとは!

 い、いけません!!玉砕による目眩(めくら)ましなど、そんなモノよりもっと他の対抗策を共に考えましょうぞっ!!

 ぬおっ!?カミラー殿!おおお、お待ちあれっ!!

 ドラクロワ殿っ!!私は貴殿という人間をほとほと見損ないましたぞっ!!?

 貴殿には赤き人間の血は流れておられぬのかっ!!

 酷いっ!!酷いっ!!酷すぎるっ!!

 貴殿は悪鬼羅刹(あっきらせつ)か!?鬼畜天魔か!?それとも!それとも!あの血も涙もない魔王なのかっ!!?」

 と、割りと勘の良いこの老人は、ドラクロワのマントの前を引っ掴み、そこにすがり付き、口惜しさのあまり激昂(げきこう)しつつも泣いていたという。


 いつもの望月毎(ぼうげつごと)の不殺斬ではなく、明確なる鏖殺(おうさつ)を決意した古代妖魔は、器用に後ろ手にて扉の錠を真横にスライドさせ

 「あばっはははー!!貴様等も、この街の女達と同じだぁ。ぶじゅるるるるるっう!!

 そうだぁ、人間などぉ!と、特に女とはぁ!余りに恐怖を与え過ぎれば、こ、こうして壊れるのだなぁ。

 な、なんでぇ女が、ふ、糞尿を漏らして狂い叫ぶのを見るのは、こ、こんなにも、た、たのじいのかなぁ!!?

 だがぁしかしぃっ!我は、こ、子供は嫌いだあ。

 子供は直ーぐに死ぬぅ!こ、子供は斬れる肉が少ないっ!そ、そしてなによりぃ!こ、子供には乳がな、」

 愉(たの)しげに喚(わめ)いていた古代妖魔は、突然、閉口して固まった。


 ドラクロワは恭(うやうや)しく跪(ひざまづ)くカミラーから、献上されるようにして差し出された、毛足の長い黒いタオルみたいなもの"二本"を見下ろし

 「ウム。ご苦労。うん?なんだ、これは切り落とされれば、あの流麗滑らかなる動きを止めて、単なる汚ならしい獣の手に戻るのか。

 で、断面から見るに、やはりコイツの血液も御多分に漏れず、あの鮮やかな黄緑、か。

 ウム。カミラーよ、もうよい。コイツは酷く魚臭いから部屋の隅にでも投げ棄(す)てておけ。

 それから、お前も後でよく手を洗え。それが葡萄の瓶に着くとかなわんからな」

 額に不快さを現す、縦一筋の皺を入れ、白く華奢な顎を奥へとしゃくった。


 そこから少し離れた古代妖魔は、そのやり取りの末に、少し屈曲(くっきょく)した、その漆黒の棒二つが、カミラーにより「臭(くさ)っ!えいやっ」と無造作に打ち捨てられ、ヒュンヒュンと回転しながら、パタパシャと何か鮮やかな液体を撒き散らしつつ、執務室の奥の暗がりへと向かって飛び、それらが床に、ドッドッと跳ねる音を聴いた。


 そして、動かぬそれを呆(ぼう)と眺め、ふと自らの右肩を見下ろし、また先の床に落ちた漆黒の獣の腕みたいな物体を眺め、また右の肩口を見た辺りで、漸(ようや)く激烈・猛烈なる痛みがそこから這い上ってくるのを感じた。


 そして、絶叫の声の線を引きながら即座に仰向けに倒れ、天井方向へと掲げた右肩の二つの切断面から、止めどなく、バシャバシャと溢れ出る蛍光緑の体液にまみれて、そこの床を凄惨なる、見るもおぞましき阿鼻叫喚の緑地獄に汚(けが)しつつ転げ回った。


 バラキエルとリョウトウ、それからカゲロウは、ポカンと口を開け、今この場にて何事が起こったのか全く理解が着いて行かず、ただボンヤリと、床を転げ回る蛸みたいな醜怪なる生物を眺め

 「うあぁ気持ち悪いなぁ、アレ……。

 うーん。あれは後で掃除が大変だぞ……」

 と、なんだかそれが酷く現実味を失って、無性にコミカルなモノにすら映って見え、精神に薄い膜が幾重にも張ったような、真夏の水泳後の国語の授業中のような、そんな妙な感覚でその場に固まっていた。



 カミラーは、真紅の刺突剣を悠然と納刀し、その柄(つか)を小さな白い手で撫でると、恐ろしく残忍で、身の毛がよだつほどに美しい顔を妖しくほころばせ

 「あのなぁ、古代妖魔とやら。お前のようにあれだけ、クッキリハッキリと恥ずかしげもなく"残像"を見せとるようでは、ここがもし当家の稽古場ならば、先ず夕食(ゆうげ)抜きは確定じゃぞ?

 全く、あの程度を以(もっ)て、"我、神速也(しんそくなり)"とか、聴いとるこっちが恥ずかしいわい」


 確かに、このカミラーという、正統なるバンパイアの血統の者とは、残像が見えるとか、見えないとか、もはやそういったレベルではなく、それが一駆けすれば、忽(たちま)ち異次元の超スピードの世界へと完全に消え失せることが可能であり、古代妖魔の誇るお粗末な"神速"とは、はなから"モノ"が違ったのである。


 「きぃまったぁーー!!うっひょー!カミラー!カッコイー!」

 そう、感極まったかのように、両の拳を突き上げて、大興奮する女戦士の一声を合図に、女勇者団とその従者等の拍手喝采・歓声が湧き上がった。 

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