138話 屏風の妖魔

 ドラクロワの握る漆黒の魔剣、その惚れ惚れするほどに美しい闇色の刀身が、水平の半円を描き、辺りに煌(きら)めく銀光を散らすのを見届けるまでもなく、即座にカゲロウが飛び出した。


 「ド、ドラクロワ殿!?貴殿、お気は確かかっ!!?

 貴殿が今、述べられた、所謂(いわゆる)、机上の単なる、あて推量の一本を以(もっ)て、善良なるひとりの人間を断罪なさろうとは、これはもう、とても良識ある人間のすることではございませんぞっ!?

 と、とにもかくにも、どうかその全く勇者らしからぬ、独創的な黒い刃だけはお納め下され!!」

 動揺する老人は、こういう展開になることを何とはなしに淡(あわ)い一枚絵として、脳裏の何処かへ薄ぼんやりと描いており、幽(かす)かに予測はしていた。


 が、あながち無知蒙昧(むちもうまい)なる愚かな若者にも非(あら)ず、多少、言動の端々に無頼漢の風を想わせるとはいえ、彼(か)の大陸王が正式に認可した、この伝説の勇者である筈のドラクロワが、まさか自己の推理のみを以て、正真正銘、初対面のバラキエルを有罪として詰め寄るだけならまだしも、よもやまさかの死刑宣告からのスムーズなる抜刀に至るとは……。

 この得体の知れぬ、多芸過ぎる美貌の貴公子の行動とは、それほどまでに、見事、彼の予想の範疇を遥かに越えていたと言える。


 つまり、ご無体にもほどがある。というヤツであった。


 だが、当のドラクロワは、老人の必死の制止(ブレーキ)などどこ吹く風であり、右手の先の鮮やかな紫の刃文(はもん)波打つ刀身をバラキエルへと向けたまま、あまつさえ、その切っ先を美しい金髪の流れる、やや長めの向かって右の首筋に、ピタリと突き付けたまま

 「何を言うかカゲロウ。件(くだん)の怪事件を解決せよと依頼してきたのは、誰あろうお前自身ではないか。


 それに、お前は俺の略式の判決を聴いておいて、それを"あて推量"などと申すが、それは的外れもいいとこだ。

 俺はここに来て、この怪事件の真実しか語ってはおらん。 


 それは、このバラキエルとやらが一切の反駁(はんばく)をして来(こ)ぬのがなによりの証拠である。


 そんなことより、いい歳をした人間族がそのように薄みっともなくも取り乱しておらんで、今宵、ドラクロワ様により、私を悩ませ続けた二十年来の難事件が今ここに、文字通り快刀乱麻(かいとうらんま)を断つとして、ズバリ解決されまする!


 あぁ英雄ドラクロワ様!天晴(あっぱ)れ!我、歓喜に至り!ただ汝を讃(ほ)むべし!讃むべし!

 とかなんとか言って手を打っては喜ばぬか」


 無限思考なる超知的疑似生命体、コーサ=クイーンの推理に絶大なる信頼を寄せる魔王は、老人の放つ泡と、一般常識などには少しも揺らぐことなく、ただいつものように、ズケズケと言いたい放題に反論を寄越してきたのである。


 このやり取りに光の勇者団の面々は、現時点では、これに何処からどう介入してよいか分からず、ただ、オロオロと狼狽(うろた)える者、また呆気にとられる者、更には腕を組んでマスクの下でほくそ笑む者。

 また万歳で「ドラクロワ様!讃むべし!讃むべし!」と熱狂的に声高々に連呼する者など、其々(それぞれ)に様々な様態となり、基本的にはこの成り行きを静観する外(ほか)なかった。


 そうして、再び常識人のカゲロウが良識を掲げて喚(わめ)こうとしたとき、漸(ようや)くこの場においての被告人たるバラキエルが口を開いた。


 「勇者様。貴方の解き明かし、誠にお見事でした。


 私の過去二十年の歩みにおいて、まるで直ぐ傍(そば)にて長年連れ添って来られたかのような、そんな何処までも正確なる情報に感服いたしました。


 流石に勇者様ともなれば、この大陸各地に恐ろしいほどの情報収集能力を有する諜者(ちょうじゃ)の類いを多数お持ちなのですか?

 それとも、伝説の光の勇者様とは正しく全知全能であられるのですか?

 どちらにせよ、勇者様の告発には、この私にも確かに思い当たる節が幾つかある事は事実であり、宝玉のごとくに美しいこの都を、望月の照り輝く度に震撼させている恐るべき兇刃(きょうじん)をこれ以上野放しにさせたくはございません。


 リョウトウ、今日までよくやってくれましたね……。

 どうやら私は今宵、七大女神様達と母の元へと旅立たねばならないようです。


 思い返せばこの都での二十年。生まれついての日陰者であった私には余りに過ぎた、とても幸福な日々でした。


 後の事は全て貴方に委(まか)せます。

 リョウトウ、この館を愛して下さるお客様達をこれからも全身全霊で愛し、渾身のおもてなしを継続させてゆくのですよ?


 確かに私達は、世間一般からは淫売の賎(いや)しき性奴と卑下(ひげ)されているかも知れません。

 ですが、そんな私達を必要として下さるお客様達がいらっしゃる、ということを決して忘れず、その方々を少しでもお満たせ出来るということに、これからも誇りを持って生きて下さい。


 フフ……これは失礼。リョウトウ、貴方には無用のお説教でしたね。


 あぁ世にも美しき勇者様。

 この星において七大女神様達に最も親(ちかし)い貴方様から、直々に懲罰を賜るのは、この私には身に余る光栄でございます。


 この老いた身一つで、この醜い邪神の兵を道連れに葬れるのなら、こんなに嬉しい事はありません。

 さぁご遠慮なく、存分にお斬りそうらえ」


 なんとバラキエルは一切の抗弁もなくドラクロワからの死の宣告を受け入れ、スルリとローブの襟(えり)を潜(くぐ)り抜けるや、己が半身の背を晒(さら)し、そこに意匠化されて描かれた、夜空の星々と星雲とを背景に、天を仰ぐような姿勢の灰色の蛸(たこ)に酷似した頭部をもつ、四本腕の漆黒の毛むくじゃらの胴体という、醜怪(しゅうかい)極まりない、忌まわしき古代妖魔の肖像を露(あらわ)にしたのである。


 この精巧なる刺青を目の当たりにし、間違いなく初対面であるにも関わらず、ドラクロワが、この背中に彫られていると指摘し描写したままの、そのモノズバリの刺青が現れた事に驚愕し、戦慄のあまり、ハッと息を飲み、その場に凍りつくカゲロウであった。


 さて、その幾らか線は細くとも、見事に絞(し)まった逞(たくま)しい白い背のキャンバスを認めたドラクロワは、下級とはいえ、あの天部でさえも一刀にて葬った必殺の魔剣を、ジャー……キチンッ!と、何故か納刀してしまったのである。

 

 「ウム。その刺青。正しく邪神の兵に相違なし。

 だが、バラキエルとやら、両断は座興で申したモノである。赦(ゆる)せ。


 確かに、そこの見るもおぞましき害虫のごとき邪神の兵を好き勝手にのさばらせておく訳にはいかん。


 だが、そこまで覚悟の出来た、賢く、かつ弁舌爽(べんぜつさわ)やかなるお前を斬って捨てるのは、なにやら惜しい気がしてきた。


 ウム。それに、なんだ、その、まぁかくゆう俺も七大女神達の第一級の使徒であるしな。(棒読み)

 出世欲に突き動かされた故の過ちとはいえ、邪神兵にいいように利用されただけの者を斬る剣は持たぬ(再び棒読み)。


 そうなれば、その望月某(ぼうげつなにがし)とやら、そこの背(せな)から引きずり出してくれん。

 ウム。この際だ、今一時、小癪(こしゃく)なる神聖魔法を我慢してやるか……。


 おい、ユリア、アン、ビスよ。いつまでもこの者のもろ肌の項(うなじ)・背(せな)に惚(ほう)けておらんで、さっさと神聖魔法の聖光波動のひとつでも浴びせて、この醜い妖魔をいぶり出さぬか」

 と、到底、四十路とは思えぬ美貌のバラキエルの優美なる裸身に見惚れ、その魂を抜かれたような乙女達に、自らには決して真似のできない類いの働き・役割を果たすようと喚起した。


 その声は、三名の神聖魔法の使い手達を、ハッと我に返させ、元より神聖魔法の発動にはなんら必要ではない、其々(それぞれ)の手の魔法杖、六角棒を強く握らせたという。


 そうして、三名の乙女達はお互いの顔を見合わせ、意を決したように一度きりうなずくと、即座に神聖語の詠唱へと移った。


 この成り行きに、一先(ひとま)ずは胸を撫で下ろす老紳士を他所(よそ)に、マリーナは手指の関節を、バキボキと勇ましくも鳴らし、背中の剛刀を抜き放ち

 「アハハッ!ドラクロワったらさー、アンタ、ホントは、はなっからこうするつもりだったんでしょ?

 ホント、オジーチャンからかうのもホドホドにしてあげなよねー?

 さぁて、そーなるとさ、こっからはアタシ等の出番だねぇ!?

 ねぇねぇシャン。あの刺青のキンモチ悪(わり)い化け物ってさー、ほっときゃこの先も、あのハンサムさんが生きてる限りは、ずーっとアソコに隠れて、満月になる度に女の肌を斬ろうっていう、トンでもない変態ヤローなんだよねー?

 だったらさ、アイツがユリア達の神聖魔法を嫌がって、アソコから、ボロンと出て来た日にゃー、コリャバッサリやっちゃっても全然問題ないって事だよねぇ?」

 この怪物狩人(モンスターハンター)は鋭い目線を確(しか)と標的の刺青妖魔から放さず、自身に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべ、隣の親友へと最終確認をした。


 問われた細身の東洋的な美人アサシンも、得意の三枚刃の"ケルベロスダガー"を腰の左右の鞘から同時に引き抜き

 「フフフ……いや、相手が邪神の配下と聴いておきながら、それを斬る前に事前に確認するところが、絶妙にお前らしいな、と思ってな。


 うん。そうだ、こいつを生かしておいても純然たる害悪にしかならぬ上、七大女神様達の敵対勢力の一端となれば、その討伐(とうばつ)とは遠慮は要らぬどころか、我々の義務にさえあたるところだ。


 聴くところによると、邪神兵とはその大方が、あらゆる攻撃魔法を無効化させる特異なる完全魔法耐性を持ち、それらがひとたび剣を取れば、並の魔王軍団の剣士などでは太刀打ちできぬほどの恐ろしく強力な化け物らしいな。


 だが、古代の伝承によれば、ある程度以上の技量を保有する勇士、特にそれが勇者であれば、それらを斬って流血させ、更には討ち取る事も全く不可能ではないらしい。

 となれば、」


 「ふむ。ここは、わらわ達の出る幕じゃな。

 まぁ、わらわとしては、あのように醜い邪神兵など、宿主なる色男ごと斬り伏せてしまうのも、それはそれで中々に興が乗って乙なモノか、とも思ったがの。

 うむうむ、そろそろ、来るぞ……」

 少し前方で一心不乱に神聖魔法を詠唱しつつも、三つ編みの下がる蜂蜜色の頭を返し、キッとこちらを睨んでくる、生真面目なユリアの視線を受け流しつつ、コルセットで締め上げた腰に提(さ)がる真紅の刺突剣(エストック)の柄(つか)を撫でる女バンパイアであった。


 こうして、この執務室には、その各々が保有する戦力は折り紙つきである、実に頼もしい光の猛者面々による、堂々たる揃い踏みが見参したという。



 果たして、ユリア、アン、ビス達の掲げた六つの掌等が神聖魔法特有の蒼白い光を放ち始め、邪神とその配下の唯一の弱点であるとされる、退魔の真輝(しんき)が、美男の背に張り付くおぞましき一枚絵へと迸(ほとばし)ったのである。 

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