111話 引っ張れるだけ引っ張る
この三階建ての「ダゴンの巣窟」の大店内(おおだなない)から、シャンのスレンダーな姿が消えた事に、今更ながらに気付いたユリア達であった。
そこで、売り場一階の女従業員に、最高級の楽器を探していた、それらしき客は居なかったかを問い訊(たず)ねると、あぁそれならばと、店主の向かった地下庫室への階段へ案内された。
そこで彼女達は、手早く会計を済ませてから、今踏んでいる床の下は特別ショールームだと聴いたので、その螺旋階段の暗さに怖(おじ)じけることもなく、ウキウキ、ゾロゾロと降りて行った。
会計済みの大きな袋を提(さ)げたマリーナは、深紅のブーツで地階の床を踏み、赤く照らされた、そこの値打ちモノの楽器、絵画等を見回しながら
「しっかし。この店ってば、とーんでもないとこだよねぇ。
メチャクチャ色んなモノが揃っててさ、えーっとなんだっけ?
あっ、ブツヨクってーの?なんか、あんまそんなのがないアタシでも、キレイな絵の具とか、砥石(とぎいし)とか、小刀とか、ホンット欲しい物があり過ぎて、困っちゃうくらいだよー。
まぁ、まだ何買うか、コレッてのは決めてないんだけどね……。
アレ?シャン。その楽器?みたいなのはなんだい?」
親友のシャンが、今まさに試奏しようとしていた、奇妙な馬頭琴を指差した。
この不思議な、楽器というよりは、何かの武器を思わせるような物体は、全体的に紫蟹(むらさきがに)の甲羅(こうら)のような、鮮やかなパープル地に、演奏を邪魔しない部分には、容赦なく禍々しき黒い刺(とげ)を直下(そそり)立たせ、それと同色の硬質なイボと、黄色と白の点とが散らばった、滑(なめ)らかで艶のある姿を晒(さら)していた。
これぞ、ブラキオシリーズ。その馬頭琴であり、繰り返しになるが、断じてその見かけは楽器然としてはおらず、どちらかというと魔具か、趣味の悪い置物(インテリア)を想わせた。
それを視認したユリアは硬直し、パカッと口を開けたまま彫像のごとくに固まって
「ま、まさか……。そ、それって、えーっと、そうだっ!ブ、ブラキオ!ブラキオの楽器じゃないですか!?
このお店が何でもありなのには驚かされましたけど、まさか、まさか流石にブラキオシリーズまで置いてたりはしませんよね!?
でも……それ、お師匠様の秘蔵の魔宝図鑑に載っていた、400年前の魔戦将軍、ガニドレの屍体を使って組み上げられたブラキオの琴にそっくりなんですけど……。
さ、流石に模造品(レプリカ)ですよ、ねぇ?」
その大きな鳶色(とびいろ)の瞳は、上の眉と揃って戦慄(わなな)くように痙攣し、自らの所見の最後を完全否定する声を熱く希望していた。
シャンはマスクの下で、ニヤリと微笑み
「フフフ……。何時もユリアの博識には驚かされるな。
さて、コイツが本物のブラキオかどうかだが、それは聴いてからのお楽しみだ」
そう言って演奏の構えを解いて、堂々と店主の顔を見上げた。
そこのエルフは自信たっぷりに笑みを返して
「仰有る通りにございます。
この世界には、このような状況に、ピッタリの。
"菓子の味は、論ずるより食べてみることだ"
という言葉がありますからね」
その声には、特にこれといった嫌味の風合いはなかった。
芸術面には疎(うと)いアンとビスには、先程からこの三名が、一体、何の話をしているのかサッパリ分からなかった。
だから、傍(かたわ)らのマリーナと同じく、露骨に鼻息が荒くなってゆく、ピーッ!と吹く直前のヤカンのような、絶賛大興奮中のユリアの解説を待つしかなかった。
そのサフラン色のミニスカートみたいな、裾(すそ)の短いローブを纏った女魔法賢者は、その喉を鳴らして
「ももも、もしも、そ、それが本物のブラキオシリーズの楽器なら、確か魔宝図鑑の解説によれば、『それを卓越した奏者が弾くとき、忽(たちま)ちその音たるや、死人さえも蘇らせる、魔性の音楽となりて、聴く者を魔界に誘うであろう』でしたね?
も、勿論(もちろん)、私はこの目で生のブラキオの作品なんて、見るのも、ましてやその演奏を聴くのなんかは初めてですー!!
シャ、シャンさん!
ななな、なにが起こるかは分かりませんが、あの、お、思いっ切りやっちゃって下さいーー!!」
この、おどろおどろしい不気味な解説には、手練れの戦士たるマリーナ達も、ギョッとして目を剥いた。
そして、揃って「マジッ!?」と言わんばかりの顔で、シャンの東洋的美貌を凝視したのである。
演奏弓を手にしたシャンは、眉の所で横一直線に切り揃えられた、漆黒の前髪の下に薬指を入れて、汗の珠(たま)の光る、そこの額を照れ臭そうに掻きつつ
「そうだな。私もそういきたいところだが、現状において、二つ。危惧(きぐ)すべき問題がある。
先(ま)ず一つ目は、果たしてこれが本物の伝説の楽器なのか?だな……。
そして二つ目だが。なにより、この私の腕前がブラキオの真価を引き出せるまでに、非凡で卓越したモノなのか?という点だな。
つまり、今ここで弓を弦に乗せて引き、当たり前の馬頭琴の音は出せたとして、果たしてそれが魔性の音楽となり、死者の墓を暴くがごとき、天魔・妖魔の響きの領域にまで到達出来るか否(いな)かは、全くもって保証ができないのだ。
それがただ、私自身とユリアとを、ガッカリさせてしまうだけの、十人並みの演奏として終わるだけかも知れない……。
いや、ユリア。ハッキリ言っておこう。
お前を満足させ得るような結果の出る可能性は、かなり低いだろう。
それでも、良いのか?」
この珍物件好きの娘が、どう反応し、どう言うかまで、既に手にした物のように分かり切ってはいた。
が、予(あらかじ)め謙遜半分に保険をかけておいたのである。
それに、潤んだ目のユリアの「は、はいっ!勿論です!!」に、被(かぶ)るようにして、深紅のビキニみたいな部分鎧のマリーナが割って入った。
「えー!?ちょっ!ちょっと待ちなよ!シャン!
悪(わり)いけど、アタシにゃ全っ然話が見えて来ないんだけど!?
えっ?そんじゃーなにかい!?アンタが、そのヘンテコな楽器を弾くと、なんかゾンビとか、不死の化け物なんかが、バキャーッ!と床を破ってさ、ゾロゾロッと這(は)って出てきて、ここが大変な事にことになるかもって、そーいうことかい?」
その身も蓋(ふた)もない、そのものズバリの不吉な想像図の提示に、ニヤリと笑う店主を認めた女戦士は、ドサッ!と買い物袋を床に落として、背中の大剣の柄(つか)を取ったので、買い主のユリアが悲鳴を上げて袋に飛び付いた。
アンとビスも、手にした買い物袋を、ソロリと下ろして、鋼の六角棒を構え、それに対アンデッド用の神聖魔法をかけるべきか否(いな)かを、シャンの次の言葉に託していた。
果たして、女アサシンのマスクの下で金色のルージュを点(さ)した唇が動く。
「かもな。モノが伝説(モノ)だけに、何が起こるかは分からん。
まぁ飽くまでも、コイツが伝説のブラキオシリーズであればの話だがな……。
さて、正直なとこ、私の好奇心も、さっきからお預けを喰って限界なのだ。
我が親友のマリーナ。お前とアン、ビスが居れば少々の事ではどうともならん、と思う。
私は全身全霊、渾身の演奏に努めるので、有事の際の事は頼んだ。
それでは、随分と勿体(もったい)をつけてしまったが、実際に弾いてみるとするか。
フフフ……正しく、鬼が出るか蛇が出るか、だな?」
その金属的紫のシャドウに飾られた、美しい瞳は、間違いなく"鬼"を求めて輝いたという。
そうしていよいよ、そのパープルの革鎧の手、その先のダブルストラップの襟(えり)の細い手首が返され、弓が真横に滑った。
すると、その出音に、エルフ族の店主のオレンジの瞳は全開に開かれたのである。
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