110話 魔性の器

 謎の老紳士"カゲロウ"が先に立って歩き、強(し)いて薦(すす)める名店酒場へと続く小路に、暗黒色の炎のごとき甲冑のドラクロワを先頭に、数珠繋(じゅずつな)ぎに歩こうとした女勇者達であった。


 だが、その中の恐ろしく襟(えり)の高いプロテクターみたいな、ひどくスレンダーなシルエットの革鎧を着た女が、その先頭に向け、夜霧のように穏やかな声をかけた。


 「ドラクロワ。すまんが、私達はそこに行って酔う前に、この街で必要な品々を買い揃えておきたい。

 お前達の目指す酒場には、こちらのユリアの探知魔法でお前を探って、買い物が済み次第、早々に向かうようにするから、先に行っててくれないか?」

 紫の光沢ある、指ぬき革手袋(グローブ)の手で、組んだ上腕を抱くようにして、分隊する旨(むね)を告げた。


 ドラクロワは、それを白い横顔だけで振り返り

 「ウム。相分かった。フフフ……祝いの席にて俺に渡す、何か特別な記念の品でも買おうということか。フフフ……苦しうない。

 確か、小遣いはこの間渡したのが残っておるな。

 だが、そればかりでは足りんというのであれば、カミラーへ言って、飽き足りるまで好きなだけ持って往(ゆ)け。

 よしよし、では先に行って、この街の葡萄を味見しておくとするか」

 そう言って、カゲロウに華奢(きゃしゃ)な顎をしゃくって案内の続行を促した。



 こうして、カミラーを除く女勇者達は、ちょっとした買い物なら十二分に過ぎる金貨を潤沢(じゅんたく)に携(たずさ)え、シャンを先頭に、先(ま)ずは手近な楽器屋へと向かったのである。


 そして、彼女達のした事といえば、そこの通(つう)らしき客を捕まえては、この街の数ある楽器を扱う店の内で、金に糸目を付けぬとしたならば、何処(どこ)が一等、最高品質の楽器を置いているかを訊(たず)ね、それを繰り返し、暫(しばら)くは下調べ・調査を優先させのである。


 そうして何軒か回って、それらの意見と評判を比較・吟味して、これだという店を選定したのである。

 それが、この城廓(じょうかく)じみた大店(おおだな)、「ダゴンの巣窟(そうくつ)」であった。


 この三階建ての巍然(ぎぜん)とした山のような商館の中は、シードラゴンの胃のように深く、広く、薄暗く、赤いカンテラの光が異様に妖しかった。


 そこは漢方薬のような臭いと、熏香(くんこう)とが入り乱れ、それらが渾然(こんぜん)一体となって混じり合うような、そんな超然とした、魔性の秘宝館のごとき異空間であった。


 そこの店内は、 徹底的な整頓と区画整理とが成されており、棚から天井から、錬金術に用いる資材、多種多様な骨董品、そして、戦闘より装飾に全力で走った祭具的な武具類。

 それから画材、大陸中の多種多様な民族、種族の扱う楽器類とが、正しく、ところ狭しと陳列され、劣化防止の赤い光に照され、踞(うずくま)る平蜘蛛のようにして薄暗闇に佇(たたず)んでいた。


 女勇者達と従者の双子姉妹等は、キラキラと目を輝かせながら、暫(しばら)くはそこの雑多な逸品揃いの店内を物見した。


 その珍品、貴品揃いの集大成のごとき店内は、とても一日では見切れない程に、ありとあらゆるカテゴリの物が取り揃えてあり、多趣味な者ならば瞬時に虜となって、流れる時を忘却させられるような、そんな大店であった。


 ユリアなどに至っては、魔法書や護符、霊薬等に夢中になって、購入決定の品々をマリーナ、アンとビスにあれこれと持たせ、建物を上へ下への大騒ぎであり、他の客等にとっては、甚(はなは)だ迷惑な客となっていた。


 一方のシャンは、ざっと店内を見渡して、一階の中央、そこの会計所へと颯爽(さっそう)と歩き、そこの主人らしき、如何(いか)にも聡明そうな耳の長いエルフ族の者に近寄り

 「私は"馬頭琴"を探している。少々値が張っても構わないから、一番良いものを見せてくれ」

 と、座って膝上に立て、長い弓で弾く二弦の楽器を所望した。


 長命なエルフ族のため、全く年齢不詳である、薄緑の長い髪を前髪ごと後ろで束ねた、鷲鼻気味の左小鼻に金のピアスを付けた、ほっそりとした吊り目の美男店員は

 「いらっしゃいませ。お客様、"バトウキン"と申されますのは、上の頭になる部分が馬首を象(かたど)った、あの楽器の馬頭琴ですかな?」

 その返事はしっとりと落ち着いた声音であり、そのオレンジの瞳は、夕凪(ゆうなぎ)の水面ような穏やかな性格を想わせた。


 シャンは、その答えに満足するように深く首肯しながら

 「そうだ。それで間違いない。案内してくれ」

 と、店主の若草色のレザーアーマーの肘の所、そこの柔軟性を値踏みするように観て言った。


 店主はロの字型に自分を囲む、良く磨かれた虎目の木製カウンターを、銅の指環の繊細そうな指先で、ツイと撫でながら

 「ええ、馬頭琴なら勿論(もちろん)置いてございます。

 ですが、この店の一番の品、となりますと、存外に値が張るものにございます。

 失礼ですが、ご予算はいかほどにございますかな?」

 シャンの若い美貌を見て、先の『少々値が張っても構わない』の言葉を訝(いぶか)しんでいる様子がありありと見えた。


 シャンは紫のレザーアーマーの懐(ふところ)を探り、大陸金貨(百万円相当)の二枚を引っ張り出し、それ等を冷たいカウンターの上に、コチョンッと乗せ、その上に深紫のネイルの貼り付いた、ブイサインにした指を置いて見せ

 「用心のため、見せるのはこの二枚だけだが、これはほんの一部だ。

 そちらが出す品に合わせて、こちらもこれには糸目を付けないつもりだ。

 私としては、大陸王の前で演奏する宮廷楽士すら所有していないような、第一級の名器が欲しいのだが……」

 二十代前半の女とは思えぬほどの豪壮なる気迫を漲(みなぎ)らせて言った。


 細面(ほそおもて)のエルフは、その金貨二つを、チラリと見たが、そんな端(はした)金等には特に顔色を変えなかった。


 しかし、まぁ及第点かな?とばかりに、僅(わず)かにうなずき、木製の会計箱の下の黒い取手の引き出しを、コキィッと引き、中の鍵束を出して掴み

 「では、当店秘蔵の庫室へとご案内いたしましょう。

 こちらです」

 と、カウンターの天板の一部を跳ね上げ、ロの字型の囲いから出た。


 そうして、カウンターに隣接した螺旋階段の上、その二階へと顔を上げて向け

 「プラム!釣り銭と会計箱を頼む!私は地下に行ってくる!」

 と、短く喚いて、地階の秘蔵の庫室へと、カンテラ片手にシャンを導いたのである。


 手擦(てず)れで光沢を放つ、堅い樹の手すりの螺旋階段を降りたそこは、ヴァイオリンを初めとして、ヴィオラ、チェロ、打楽器類にチェンバロ、吹奏楽の楽器の品々が密集していた。

 

 そして、そこの壁には、見るからに名画と分かる物の数々が飾られており、正しくここ「ダゴンの巣窟」の秘蔵秘宝の稀少(きしょう)なる珠玉(しゅぎょく)の累積(るいせき)というやつが、ひんやりとした闇にて暗く隠されていた。


 店主はオリーブ色の髪を揺らしつつ、地階各所の赤い幌(ほろ)の照明に灯(ひ)を点(とも)し終えると、カビ臭い庫室の床を鹿革のブーツで音もなく歩き、器具を用いて立たせられた楽器群から、艶(つや)めく馬頭琴を二本、其々(それぞれ)の手で掴んで、試奏用の木製椅子に座したシャンの元へと戻ってきた。


 そして、首から提(さ)げたネックレスのトップ、その小さな音叉(おんさ)を指で弾いて、それを尖った耳に寄せて頼りにし、手早く馬頭琴の調律(チューニング)を済ませた。


 シャンはその選(え)りすぐりの二本を受け取り、暫(しばら)く思いのままに弾き比べた。


 そうして、主人の端正な顔を見上げて

 「うん、悪くないな。だが、悪くないだけだ。

 うん。これでは今一つ、ん?どうした?」

 

 エルフは、左手の親指の付け根で左目の滴(しずく)を払い

 「いえ、失礼。お客様の奏でられます音が亡国を思わせ、久方ぶりに古き恋を思い出しまして。

 はぁ。いやはや、素晴らしいお手前でした。

 それほどの腕前ならば、お客様は、さぞ高名な演奏家でいらっしゃるのでしょう。

 "でしょう"と申しますのが、私、恥ずかしながら馬頭琴奏者に関しては不勉強なものでして……。

 誠に失礼千万にございますが、どちらの街を中心にご活動をなさっておいでなのしょうか?

 いや、それとも先程仰有(おっしゃ)られました、王都の宮廷楽士様でいらっしゃいますか?」

 と、固い商人の仮面を落として、感動に濡れそぼる感嘆の声でシャンを誉めそやした。


 だが、この女アサシンは何処(どこ)かの誰かとは異なり、この称賛にも微動だにせず

 「ありがとう。だが……悪いが、この程度の品なら、私の里ではそこらにありふれている。

 私としては、もっと聴く者の魂にそのまま弓をあてて奏でるかのような、そんな心を奪われるような絶巧(ぜっこう)の音が欲しいのだ。

 そう、彼(か)の高名な"ブラキオシリーズ"のような……」

 言いながら試奏用の弓(ボウ)を返す。


 店主はそれを受け取り、正しく、ニタリとし

 「フフ……失礼。お客様。ございますよ。"ブラキオシリーズ"」

 と闇魔導師のごとく微笑んだのである。


 このブラキオシリーズの"ブラキオ"とは、数百年前に実在した、魔神のごとき強さの人間族の勇猛果敢(ゆうもうかかん)な戦士であり、仲間と共に当時の魔戦将軍の居城に攻め入っては、血塗れの満身創痍(まんしんそうい)で、その将軍首を獲(と)って帰るという、正しく人間離れした戦闘力を持つ、当時最強の戦士であった。


 この魔族も裸足で逃げ出す規格外の戦士は、人間側の英雄列伝の永久欠番である"大斧の戦士ブラキオ"を保持する者として、現代の児童書・教科書にさえ出て来るほどの伝説的な大豪傑(だいごうけつ)であった。


 だが、このブラキオという男は、その才能を超人的武芸だけではなく、優れた工芸品作家としても開花させ、おぞましくも大陸王に頼み込んで、なんとか拝領した、魔戦将軍の骸(むくろ)を加工して、種々の品々を生み出すことを生き甲斐とした。

 

 最もその初期の頃の作品とは、ナイフ、刀剣、盾と、専(もっぱ)ら比較的単純なモノばかりであり、そうして試験的な物を造っては自分で使い、満足していた。


 だが程無くして、自らが優れた工芸品、取り分けその"楽器類"を作成することに長じており、その方面で天与の才能を持つことに気付くようになる。


 そうして、彼の楽器職人としての名は、多くの演奏者の口々に上るようになり、その恐るべき勇猛さと共に大陸全土に知れ渡っていった。


 その平(ひら)ではなく、真魔族の将軍の魔力に満ち溢(あふ)れた、強靭な身体を加工して構築された楽器類は、"ブラキオシリーズ"と呼ばれ、死して尚(なお)利用されし大魔族の無念と怨念とを伴って、人外魔境的な響きを出すと言われた。


 そして、それと卓越した奏者とが組み合わさったとき、その"魔音"とは、死人さえ現世に引き戻す程の超悪魔的魅惑の音楽になるという。


 しかし、本来は蛇蝎(だかつ)以上に唾棄(だき)すべき、邪悪なる魔族の死体を損壊し、それでもって物品を作成するという、余りに猟奇的、かつ忌まわしき、畜生道に堕(だ)した悪魔の所業を、当時の法王庁が禁じぬ訳もなく、それを己の生き甲斐として止めなかったブラキオは、遂に王の正規軍を追われてしまう。


 こうして、地位と名誉を奪われたブラキオは、冒険の果てに死したとも、魔族の某(なにがし)と闇の契約を結んで、元人間の魔族戦士として転生し、魔王軍の兵となり暗躍し続けたともいわれている。


 その伝説のブラキオシリーズが、この「ダゴンの巣窟」にはあるという。


 シャンは殺気さえ伴う、射抜く、いや射殺(いころ)すような眼で店主を睨(ね)めつけ

 「まさか、あのブラキオシリーズが……本当に、あるのか?」

 と、呻(うめ)くように問うたのも、そのブラキオシリーズの素性と経緯、由来とを知る者ならば、これ至極当然の反応であろうと想われた。


 店主は、外法禁咒(げほうきんじゅ)を操る、ダークエルフの魔神官のごとき邪な顔になり

 「フフ……。お客様。ダゴンの巣窟の店主である、この私に二言はありません。

 宜しければ、試しに弾いてみられますか?」

 

 少しの沈黙の後。

 「無論」

 と唸(うな)るように言ったシャンの瞳は、この薄暗い地階の秘宝館に、何処までも妖しく、狂烈な色を帯びて輝いていたという。

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