100話 ブラッディ・マリーナ

 四角い小人世界のごとき、極めて巧緻(こうち)に作り込まれた人造の荒野に、一切の受け身を取らず、後頭部から仰向けに倒れた美しい女戦士は、未だ消失してはいなかった。


 これはすなわち、先の自殺的な自傷攻撃によって、このマリーナの代理格闘戦士が昏倒したとはいえ、決して絶命には非(あら)ず、未だこの代理格闘には決着が付いていないことを表していた。


 そうなれば、全身が白金一色の猫目戦士が鉤爪を構えて、そこに覆い被さるようにしてのし掛かってくるのは、至極当然の成り行きといえた。


 それを見ていた、女勇者達とアンとビスは「マリーナさん(様)危ない!!」と、喚起の合唱を上げた。

 

 だがその声も虚(むな)しく、横たわる金髪の女戦士の目蓋(まぶた)は固く閉じられたままであり、不毛な荒野に万歳したようなその左手には、何とか大剣の柄が握られてはいるものの、そこには迎撃の為に働く力は感じられなかった。


 その安らかな顔面を掻き裂こうと、いよいよ鋭い兇爪(きょうそう)が振り下ろされんとしたその時。


 ミニチュアマリーナの黒革眼帯の反対、その左の目が、バチッ!と見開かれ

 「んじゃさ。幾らかお返しを喰(も)らう覚悟で、フツーに斬るしか、ないよね?」

 突如覚醒した掌サイズの女戦士は、高い声でそう言いながら、神速の腹筋運動でもって鋼鉄のルーンブレイドを振るったのである。


 銀光一閃。この迅雷のごとき速度で跳ね上がった巨大な刃は、襲い来る猫目戦士の頭頂部に、ガッと食い込んだかと思うと、その身体の正中線上をなぞるようにして、一気に半円を描いた。


 そうして、戦国の伝説的逸話、"人間無骨(にんげんむこつ)"よろしく、その白金の逞しい身体を股間まで斬り伏せ、舞い降りた猫目戦士を左右に唐竹、見事、真っ二つにしたのである。


 当然、その直下にて上半身を起こした格好のミニチュアマリーナは、バケツを引っくり返したような黒い血潮を浴び被ることになった。


 一瞬で二つ割りの半身(はんみ)となった猫目戦士は勿論(もちろん)、その声帯をも断ち割られたので、絶叫すらも上げられず、無惨な人体断面を見せながら、荒野に分かれて落下した。


 女剣豪は「うえっへっ!」と血塗れの頭を、ビチャビチャと振って、迅速に起き上がった。


 その足元では猫目戦士の二つの半身(はんみ)が、ビクッ!ビクッ!と小刻みに痙攣しており、その二つの骨肉の断面からは、早くも修復を担う、謎の白金の液体が溢(あふ)れ出ており、大地に泡立つ赤黒い水溜まりの上に、その二段目の層となって重なりつつ広がり、トロトロとそこを流れ、二つの隔(へだ)たった戦士の開きを繋ぐようにして、遂にはその真ん中で交わったのである。


 その粘(ねば)い液体金属みたいなモノは、漂い流れることにより下の黒血と混ざり合い、赤銀の不快極まりないマーブル模様となりつつ、その表面には、一見すると微細な"フジツボ"を想わせる、極小の掌を浮き彫りのごとく無限に形作った。


 そして無数のそれらは、お互いを握り、掴み、引っ張り合うことにより、それらの源泉・根元の二つの半身を中心にて引き合わせようと、切断面の接合を共通の第一目標として掲げ、正しく総動員で一致団結の働きを見せていた。


 その様は確かに、観る者全てに虫酸の走るような嫌悪と不快感を感じさせるものであった。

 だが、灼熱の太陽の下(もと)、矮小な蟻達が無心で働く様に似たような、そんな何とも言えぬ生命の執念と、どんなに不遇な状況・局面でも決して諦めることだけはしない、涙ぐましいような、ただ直(ひた)向きな姿勢の懸命さとを想わせ、何処(どこ)かいじらしくもあった。


 暗い席のドラクロワは、その有機的な大運動会を見下ろし

 「ん?この代理格闘戦士とやら、脳髄までも両断されたあの状態から、まさか復元しようというのか?

 フフフ……これは魔族も呆れる、ほとほとしぶとい生命力だな」

 言って、好奇の瞳を輝かせ、カミラーに盃(さかずき)の代わりを注がせた。

 

 この魔界の王さえ感心させる、驚異的な復元作業の上方では、ミニチュアマリーナが目に入った返り血がしみるのか、手の甲・掌で左の目元を拭い、さかんに瞬(まばた)きしつつ、眼帯を捲(めく)ったり、上を向いたり下を向いたりを繰り返していた。


 「おい!小さいマリーナ!可及的(かきゅうてき)速やかに、そこの代理戦士に止めをさせ!

 そいつが回復したら、今度はお前が真っ二つになるんだぞ!?」

 シャンが、盤上の血塗れ(ブラッディ)マイペースへと檄(げき)を飛ばした。


 傍(かたわ)らの170㎝のマリーナは、それを聴いて眉を跳ね上げ

 「そ、そうだよ!ちっこいアタシー!止めだよ!ト、ド、めー!

 アンタがしっかりやんないと、アタシが乳をつつかれちゃうんだからねー!?

 アッハハハハハ!しっかし、何だかこのちっこいのカッワイイねぇー!」

 その声には緊迫感のようなモノは感じられず、どちらかといえば能天気にして、愉しげでさえあった。


 その声の先の盤上では、白金の身体、その二手に分かれたもの同士が、お互いを引っ張り寄せて、着実・確実にその距離を縮めていた。

 更には、その左右の腕が痙攣ではない、明確な意志を持ったような動きを見せ、其々(それぞれ)のこめかみ辺りを押さえ付けるようにして、分割された頭蓋を一つに戻そうとして動いていた。


 そこへと「オッパイ!オッパイ!」と熱い声援を送るラタトゥイユとカサノヴァ、そしてモヒカンモドキ達が居た。

 この破廉恥(はれんち)な青年達を中心に、この地階の酒場、「黒い川獺(かわうそ)亭」は異様な熱気に満たされてゆく。


 これに何故かカミラーが、さも憎々し気に牙を剥き

 「何と下劣で喧(やかま)しい奴等じゃ!あのような誠、無駄なだけの脂肪塊などに躍起(やっき)になりおってぇー!

 ええーい鬱陶(うっとお)しい!黙れー!黙らぬかー!

 この痴(し)れ者共がぁー!!鎮(しず)まらぬかーい!!」

 と喚くが、若者達の大声援に消され、そのいじましい妬(ねた)み・嫉(そね)みの声は、魔王を憂(うれ)いに満ちた真顔にさせただけで、特に誰にも届かなかったという。


 盤上では、ラタトゥイユの代理戦士の身体が、その真ん中に僅かな隙間を残して、内部から溶接・融合を完了させつつあった。


 それを見下ろし、オロオロとするミニチュアマリーナであったが

 「えー!?コココ、コイツ!どうしたら良いんだい!?

 真っ二つにしてもダメなら、一体どうすりゃ良いのさー?」

 と、本物より12音(一オクターブ)高い、キンキン声で喚き散らし、返り血で真っ赤に染まった頭を抱え、狂乱怒濤のカオス・パニックに陥っていた。


 マリーナはそこへ向けて

 「斬れ!斬っちまえ!もう小間切れのバラッバラにしてやんだよー!!

 て、あーっ!!」

 と叫んで指を差す先、ミニチュアマリーナの小さな顔面と、半裸の身体の中央にはミミズ腫れみたいな赤い中心線が生まれ、それの所々が、ミチッ!と破れて爆(は)ぜ割れ出し、鮮血の赤玉を生じさせているではないか。


 これは言うまでもなく、そこを裂かれた猫目戦士が回復と同時進行で、"先の恨み、晴らさでおくべきか"とばかりに、ミニチュアマリーナへと返戻(へんれい)して来たダメージそのものであった。


 ミニチュアマリーナは自らの胸元を見下ろしてそれを視認するや目を剥いて「アッキャー!!」と両手で側頭部を押さえて絶叫したかと思うと、剛刀を天高く掲げて、荒野に蠢(うごめ)く白金戦士に向けて、狂ったように振り降ろし、それを容赦なくメッタ斬りにして、ドチャッ!グチャッ!バシャッ!と太刀魚のたたきみたいな、赤銀の屑肉(ミンチ)にすべく斬り刻んでゆく。


 その様は極めて野蛮・残虐にして、奇怪おぞましく、正しく悪夢の泥仕合の様相を呈していた。

 

 だが、この剣聖とも剣豪ともつかない、単なる錯乱の破壊的な徹底殲滅(てっていせんめつ)行為は、それ相応に功を奏したようで、猫目戦士の一見万能であり、驚異的な再生能力にも遂に限界が来た。


 ミニチュアマリーナの足元のプラチナ戦士の粗挽き肉は、突如、黄色い炎を噴いて、瞬く間に天へと逆巻く火柱と化し、ミニチュアマリーナをその場から「ヒャッ!!」と飛び退(の)かせ、天駆ける螺旋の大炎となって、炸裂する閃光を最後に、盤上から消滅した。


 そして、顎に流れる冷たい汗を拭い、肩で息をするミニチュアマリーナも、決着の証である同様な現象・効果(エフェクト)に包まれ、その後を追うようにして消え失せた。


 「そ、そんなバカな……。ぼ、僕の格別無敵の超戦士が殺られるなんて、あ、あり得ない……。

 うおーい!!こんなのは格別なるウソだろー!!?ご褒美のオッパイはどうしてくれんだよー!!チックショー!!」

 ラタトゥイユは対戦席で頭を抱え、正しく足掻(あが)き、もがき、ジタバタと全身で悔しさを表現した。


 マリーナは、つい今しがた消滅した、自らの小さな分身に酷似した必死の形相であったが、長いタメ息の後、いつもの女丈夫の顔に戻り

 「はあーぁ。自分で戦った訳じゃないけど、何だか疲れちまったよー!

 あー危なかったぁ!でもさ、コレって間違いなくアタシの勝ち、で良いんだよね!?」

 そう言って仲間達を振り仰いだ。


 それに額を押さえて苦い顔をする女バンパイアが

 「うーん。先に消えたのは猫目の方じゃったから、まず勝者はお前で間違はないわい。

 じゃが……誠、目眩(めまい)がするほどに醜く、無様な締め括(くく)りじゃったな。

 まぁ、お前らしいといえば、そこはかとなくお前らしいがの……」

 

 ユリアも、パチパチと手を鳴らして

 「やりましたねー!マリーナさん!

 あの小さなマリーナさんが倒れたときはもうダメかと思いましたけど、最後はしっかりと勝利を引き寄せましたね!

 でも、ここのチャンピオンさんに勝ったということは……楽しかった遊戯も、もうこれでお終い、なんですかね?」

 少し寂し気な目で、錬金術と精神魔法の混成の大傑作である、代理格闘遊戯盤を見つめた。


 その言葉に、モヒカンモドキ達もお互いを見合わせて声にならない吐息を漏らす。


 だが、その落胆・意気消沈のどよめきの波が打つそこへ

 「これ、そこの醜男(ぶおとこ)が敗けたのであれば、次は、未だ無敗のわらわが戦うに決まっておろうが。

 では無駄乳よ。真に格調高い、誉れある闘い振りというヤツを見せてやろう」

 再びラヴド家の現当主、カミラーが名乗りを上げた。


 その凄まじい闘い振りも記憶に新しい、圧倒的強者の存在を思い出したモヒカンモドキの愚連隊達は、鞴(ふいご)に吹かれて再燃する白い炭のごとく、その声に再び興奮を呼び覚まされ、カミラーの戦線復帰に賛同するかのように歓喜の声を上げた。


 これには、そのリーダも照れたような笑みを見せ

 「そうだなー。ったく揃いも揃ってお前達は一体なにモンなんだよ?

 ま、なんにせよ、このラタトゥイユがやられちまったんじゃ、今さら俺達の出る幕じゃねぇようだなー。

 でもよ、俺達はこの代理格闘遊戯が好きで好きでたまんねぇ、マジもんの格闘バカだからよー、みんなホントいうと、スッゲェお前達の闘いを観てえんだよ。

 ここは賭けなんか無しにして、俺達が一杯おごるからよー、コイツで思いっきり遊んでってくれねーか?」

 言って、「格別オッパイが……。あのオッパイ……本当にもう少しだったんだ……」と譫言(うわごと)のように繰り返し、うなだれる元チャンプに歩み寄り、その純白の鎧の襟首を引っ掴んで、彼を脇へと放るようにして立ち退(の)かせた。


 そうして強制的に対戦席を空けさせると、腰を折って、金色のモヒカンモドキの頭を垂れて、ひどくキザな会釈で手を差し伸べ、そこへ圧倒的強者のカミラーを招来して見せたのである。


 今宵の格闘遊戯大会は、まだまだ終わりそうになかった。

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