61話 ストレス攻撃

 サフラン色のローブを身にまとい、先の反り返った革サンダルを履いた、二十歳そこそこの小柄な女魔法賢者ユリアは、ハッと気付くと、粗末な木製の勉強机のような物を前に、セットの椅子に座らされていた。


 その狭い机の上には、ジリジリ……と音を立て燃える、獣脂燃料の小さな銀製のランプしかなかった。


 机を除く辺りは真の闇であり、時折、おおらかな風が潮の香りと、極めてキメの細かい砂粒をサンダルへと運んでくる。


 ユリアはハッキリしない頭を振って、辺りに目を凝らすと、シャラン、ンコココココッと鉄属と木の触れ合う音、そして両手首と両足首に冷たい違和感。


 見れば、その短い手足の先には、黒ずんだ鉄の鎖の付いた武骨な枷(かせ)が、右手首を左の足首、左手首を右足首と、クロスに繋いでいるようだった。


 ユリアは自らの手首をぼんやりと見下ろして、何度か交互に手足の戒めを引っ張ってみて、何となくその鎖の頑健さを確かめ

 「なんで鎖?あれぇっ?ここ何処?

 えーっと私、何処かへ旅をしていたような……。

 あれっ!?な、何も思い出せない!?」


 何気なく蜂蜜色の前髪を掻き分けると、また細い手首の先の楕円の連なり、黒い鎖が鳴った。


 その音に喚(よ)ばれるように、左前方の闇が人型を吐き出し、人間が一人現れた。


 潮風にうっすらと麝香(じゃこう)の香りを載せ、紫金石の飾り紐(ビーズ)のヒールの高いサンダルで砂を踏み、ゆったりと歩みながらランプの柔らかな光に照し出されたのは女のようだ。


 その背は女にしては高く、鍔(つば)の大きな紫のトンガリ帽子に、薄織りの紫の下着のような半裸の上下姿。

 徹底的に紫色が好きなのか、同じく光沢のあるバイオレットのマントを羽織っていた。


 この人物、"露出狂"と呼んでも決して過言ではない、妖艶としか表現できない濃い化粧を施した美しい女である。


 だがしかし、少し見れば直ぐに分かる。

 この者、決して若くはない。


 薄く脂肪の乗った体からも見てとれるが、全体から、三十代前半から半ばを思わせた。


 その唇の左下には小さな星、黒子(ほくろ)が一点。

 その特徴ある、解りやすいほどに毒婦を想わせる半眼微笑を認めたユリアは、ハッとして椅子から立ち上がろうとした。


 が、机の脚を遠回りにくぐった鎖が突っ張り、べしゃっ!と容赦なく両手首が卓上へと叩き付けられた。


 「ぎゃおっ!!」


 腕を引く鎖は、机の奥を経由して足首に繋がっており、ユリアに起立を許さない長さであった。


 ユリアは座っていた椅子に、ズンッと尻餅をつき

 「うわっ!!あ痛たたたた……。あーびっくりしたー。

 はっ!それより!お、お師匠様!なんでこんなとこに居るんですかー?

 クンクン……この香り、そしてそのエッチィな格好!

 間違いなく、魔法ギルドの最高師範の四人の中でも一番の使い手と名高い、大魔導師ロマノ様!

 お久し振りですー!お師匠様ぁ!

 相変わらずエッチィかつ、綺麗ですねー!でもでも、これでもしっかり性別は男なんですよねー!

 ウーン、ヤッパリ何だかとんでもなく惜しいですー!」

 

 ペシッ!


 「あ痛っ!」


 ユリアの頭が、トンガリ帽子の師匠の華奢な白い手で横殴りに叩(はた)かれた。


 「コラ、ユリア!エッチィは良いけど、毎度毎度、会うたびにつまらないことを惜しがらない!」

 その声は驚くほどに渋く、無駄にダンディであった。


 「ふぁい。お師匠様ぁ御免なさぁーい。

 あっ!それは良いけど、なんでお師匠様ここに居るんですか?それとここは何処なんですかね?何か波の音が遠くで聴こえますけど?」

 ユリアは頭を撫でながら、小動物を想わせる愛らしいソバカス顔を上げた。


 白い素肌に薄紫のレースの下着だけという、ズキンとするほど艶かしい、見た目に声が全くそぐわない、美魔女にしか見えない黒髪の巻き毛は

 「さあね。ワタシもここに何時から居るのか分からないけど、どうやらここは魔法で造られた空間みたいね。

 ちょっと前から辺りを少し歩いてみたけれど、ここって果てがないのよね。

 波の音がするから、歩いていればそのうち海か何かに着くかと思ったんだけど、ただ砂浜のような暗い空間が何処までも続いているだけなのよね。

 先を照らそうにも魔法の杖はないし……」

 決して男性の物ではない繊細な拳を口にあてて、眉根を寄せる。


 ユリアも浮かない、怯える小鹿のような顔で小さな人差し指を口にあてていたが

 「あっそうだ!あのー、お師匠様。具体的にどんな人だったかは思い出せないんですけどー、一緒に旅をしていたっぽい人が、魔法の杖も呪文の詠唱もなく魔法をバンバン使ってた気がするんですけどー。

 あのー、そういう事って出来るんですか?エヘヘ、絶対無理ですよねー!?」


 大魔導師ロマノは大きな帽子の鍔を、ツイッとつまみ

 「ズバリ、無理ね」

 その返答は簡潔にして明瞭であった。


 ユリアは大きなタメ息で分かりやすく落胆し

 「ですよねー。じゃ、あの人なんで杖なしで魔法使えたのかな?あっ!」


 ロマノはメタリックパープルに塗った唇を僅かに歪ませ

 「フフフ……そう、そんなことが出来るのは魔族だけね。

 上級魔族はワタシ達人間とは違って、身体に生命力の代わりに魔素がみなぎってても平気だし、むしろそれが普通の健全な状態だから、特に魔素集中の身代わり触媒である魔法の杖を必要としないの。

 でも、詠唱ゼロなんて、そんなことまで出来るほどに、強力な魔素が噴き出す先を求めるように体を流れる魔族といったらアナタ……魔界の上級悪魔属か、それこそ魔王位なものね。

 へぇー、アナタ。そんな化け物と旅をしていたの?」


 ユリアは、どこまでも真っ暗な星のない空を見上げて、そのメンバーの事を思い出そうと試みたが、一体それが男か女か、どんな風貌だったのかなど、魔法を手足のごとく行使する、ということ以外は、その人物に関する全てに霞がかかったようで形にならないのであった。

 

 ソバカス顔の女魔法賢者は眠気を追い払うように頭(かぶり)を振って

 「んー!ヤッパリダメですー!んんーとぉ……何かお師匠様に似てたようなー、そうでもないようなー。

 わ、分かりません!これも私達をここに閉じ込めた何者かの魔法のせいですかね?

 そーだ!この鎖と枷、お師匠様のスゴい魔法で何とかしてもらえませんかぁ?ここの所が擦れて段々痛くなってきました。

 あっ!でも魔法の杖がないのかぁ……」


 魔性の美オッサンは、本物の59㎝のくびれた腰に手をやって、紫と白の縞のブレスレットをチリンと鳴らし、幾らか先生の顔付きになって

 「ユリア、いつも教えたでしょ?無ければ造るのよ。

 少し目を閉じて、そのブチャイクな顔を押さえてなさい」


 ユリアは嫌な予感しかしなかったが

 「はい」

 と、素直に手枷を鳴らして、両掌で愛らしい顔を覆う。


 やはり鎖は短く、自然と椅子の上の膝は伸び、両足を上げる格好になる。


 妖艶な色白の中年魔導師は、マントの端が繋がれた二の腕、手首の縞のブレスレットが煌めく、男にしては細過ぎる右手を伸ばして銀のランプを取り

 「おるぁー!!」

 と突如、野太い怒声を上げ、左肘を木の机に打ち下ろした。


 ゴアッ!パッキャン!!

 

 カラ、コロン……。


 薪割りにも似た、乾いた破壊音が辺りに木霊(こだま)し、たちまち粗末な机はバラバラに解体され、幾つかの木切れになってうずくまった。


 「キャッ!」


 ユリアは養母、いや養父との付き合いの永さから、彼の思考を読んでおり、何となくこの展開を予想していたようだが、以外と大きな暴力的音響に仰け反り、アワワワワ!と両手を振りながら、スローモーションで椅子のまま後方へと倒れた。


 「ヒャアッ!!」


 椅子の背もたれから出た三つ編みの頭を砂地にめり込ませ、暗い空へと一声叫んだ。


 ロマノはそれを見下ろし、特に表情も変えず少し屈み、四つ足の一番長いのを手に取り、そこに付いた破損した木材をヒールで踏んで、グキッ!と捻り外し、釘穴の残る120㎝ほど角材を手に入れた。


 どこまでも細い手首を捻って、幅広のブレスレットを鳴らしながらそれを見回し、満足気に小さくうなずき、眼前に掲げ、何か魔法語を呟きながら、空いた右手で角材に触れずに、それでいて撫で回すようにして角材の表面に満遍(まんべん)なく右の掌を舞わす。


 すると、恐らくオークであろう、ありふれた角材は、突然脈打つごとく、焼いた炭に息を吹き掛けたように眩(まばゆ)く黄金色に点滅し、ロマノの手の中で輪郭がぶれ出し、まるで膨張と収縮を小刻みに繰り返しているように見えた。


 大魔導師は、そんな物質に命を吹き込むような作業をしばらく続けていたが

 「はい、先ずはアナタのね」

 と、地べたのユリアにそれを無造作に放った。


 ユリアは枷と鎖を忙(せわ)しく鳴らし、「えっ!?あっえっ!?」と慌てながらも、なんとか受け止め

 「ええっ!?あれ!?これ……この机の脚って、ま、正か……魔法の杖になったんですかー?

 えーっ!?ウソ!大陸に点在する霊峰の七大女神様の霊力が注がれたご神木でないと、どんな木材を使っても魔法の杖にはならないんじゃなかったんですか!?」


 ロマノはそれを無視して、先ほどの魔法語に節を付けて、軽やかに歌うように、今度は自分用の魔法杖を製造していたが、それも整うと

 「ご神木ぅ?あぁ、アレッて魔法ギルドが杖の値段をつり上げる為のウソっぱちよー。

 高レベルの魔導師なら木の棒さえあれば何でも魔法の杖に出来るのよ、知らなかったの?

 でも、霊験あらたかなご神木でなきゃダメ!て事にしておいた方が有り難みがあるでしょ?

 それに、杖での利益があるからこそ、ナインサークルズ魔法大学が魔法の研究とその教育を続けられるのよ?

 だから魔法の杖を貴重な物とするのは、なにも悪いこと尽くしでもないと思うわ。

 ユリア、今はそんなことより、杖があるのだから、さっさとその手の錠を解きなさい」


 ユリアは、幼い頃から特別教育熱心であった両親に出させた、今も愛用している、大きなルビーをはめ込んだ魔法の杖の価(あたい)に、全く納得いかない顔であった。

 だが、持ち前の好奇心には勝てず、単なるガラクタの角材に魔法の息吹を吹き込み、それを魔法発動の為に欠かせない触媒と化させるという、この色んな意味で妖しい師匠の信じられない業に興味津々であった。


 探求心の塊である弟子は、小さな震える手で握った新たな魔法杖を眺め、両手で握り込むようにして、コクンうなずき、早速それを頼りに魔法語を唱え出した。


 ただの机の脚は黄金のような燐光を放ち、それに呼応するように、僅かに時間差を感じさせて、鉄の幅広のブレスレットのような手枷が同じ色で輝いた。


 が、黒ずんだ鉄輪の繋ぎ目は、カチリ!とは言わず、代わりに、その表面には魔法語らしき文字の羅列が明滅した。


 ほっそりとした首を伸ばして、美形の師匠がそれをのぞき込んで読む。


 「へぇ。ンム?アラ、これはまた面倒な呪いが掛けられてるわねぇ。

 フフフ……その拘束具、後一週間で木っ端微塵に爆発するみたいね。

 ウンウン、しかもコレに封入されてるのって割りと大がかりで、アナタのささやかな身体位なら欠片も残さないほどの爆裂魔法のようねー。

 ユリア、我が愛弟子よ、この度は何というか……御愁傷様でしたー」

 トンガリ帽子の鍔を押さえて、丁寧にお悔やみを述べた。


 当然、ユリアは目を剥いた

 「えーーー!?ちょっとぉ!ななな何ですかー!その大がかりな呪いってー!

 わわわ、私、何も悪いことしてないですよーー!?そんなのひっどっーい!!

 あわわわわ!お、お師匠様ぁー!た、た、助けて下さいぃー!」


 バーン!!と大爆発し、寄り目で舌を出して、グエーッ!と鳴きながら、この暗黒の空へと首だけになって飛ぶ自らの無惨な姿を想像し、口をへの字にし、早くも大きなタレ目からボロボロと涙を溢す。


 ロマノは、その突進して来る蜂蜜色の頭を突き出した右手でガッと受け止めて固定し、さもうるさそうに顔をしかめながら

 「あーあー、相変わらずうるさい娘ねぇ。

 安心なさい、簡単な解錠方法も書いてあるでょ?

 あぁアナタ、古代魔法語は苦手だったわね?

 それでは、この生ける美の結晶が読んでしんぜようかしら?

 ンム、えと、えーっとぉ?」

 大魔導師は明滅する文字を読まず、舌先をチロッと出して、中空を仰いで

 「そうそう。コホンッ!あのね、これによるとー、今からここに現れるアイアンゴーレムを千体破壊すれば、その拘束は直ぐに解錠されるみたいねー。

 えーっと……追伸?ンム、傍らに立つ眉目秀麗な天女のごとく美しい、息する金剛石である貴き大魔導師はー、あ、ワタシのことかー。言われなくても分かってるっちゅーの!

 ンム、この試練に立ち向かいしチビブチャイクに手を貸すことを禁ず、かー。

 もしも指の先ほどであろうとも助勢すれば、この枷は日を待たずして爆裂魔法の発動する由(よし)、か。

 あらららら。ユリア、アナタ旅に出てからサボらずに魔法の腕前を研いてたかしら?

 よく分からないけど、しっかり頑張るのよー?

 おや?早速、まず一匹目が来たみたいよ?」


 ロマノが心底楽し気に微笑み、その白魚のごとき指をパキーンッ!と鳴らすと、十メートルほど先の暗闇の砂地が、ドズンッ!!と大質量により踏み鳴らされる音と振動が轟いた。


 ユリアが「ひゃっ!」と手枷足枷のまま飛び起きて

 「ええっ!?ななななな何ですかー?その過酷過ぎる条件はー!?

 ア、アイアンゴーレムって、鋼で造った巨人に魔法をかけて、粉々に砕かれるまで怪力で暴れ続けるっていう、アレのことですかー!?

 ウソ!超強敵じゃないですかー!?

 確か、アイアンゴーレムを停止させるには、高レベルの炎の魔法でドロドロに融かすか、爆裂魔法で鋼鉄の塊を小石大までバラバラにするしかないじゃないですかぁ!?

 そ、それを一週間で千体ぃー!?

いやいやいや!ムムム、ムリです!!絶!体!ムリ!!

 私にはそんなに凄い魔法まだまだ唱えられませんか、ら!!?」


 ゴドズンッ!!


 猛抗議の目の前に、爆裂するような絶大なエネルギーの解放がなされた。


 砂煙を上げて、破砕された机の欠片をパラパラと浴びる、大きな羆(ひぐま)ほどもある裸の鋼鉄製の男が、そのパースの狂ったアンバランスに大きな上半身のよく実ったスイカほどもある巨拳を、ユリアとロマノの間に振り下ろしたのである。


 ロマノはその攻撃を予見してしたように、ピョンと軽く後ろに跳ねて退避していた。


 ユリアは「アヒャアッ!!」と叫び、サフラン色のローブの脚を大胆にかっ広げ、暗黒の空へサンダルの裏を見せて数メートルも吹き飛んだ。


 ロマノはその着地音を聴きながら、世にも妖艶な微笑みを見せて

 「ユリア、男ならやんなきゃならない時があるのよ!ただそれが今、というだけのことよ!

 さぁ!アナタのありったけの攻撃魔法を使って、キッチリ見事千体やっつけなさい!!」


 ユリアは砂に突入した頭を抜きながら

 「あ痛たたたた……ペッ!ペッ!って、えーーー!?そんなメチャクチャなぁー!

 ていうか私、れっきとした女なんですけどー!?お師匠様なんかと違ってー!!」


 スコンッ!!

 「あ痛っ!!」


 蜂蜜色の三つ編み頭の頂点に角材が落とされた。   


 残り一週間で無限動力の鋼鉄製の巨人を千体撃破。

 木っ端微塵になりたくなければやるしかないようだ。

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