旧暦物語 -睦月-

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旧暦物語 -睦月-

夜明けにはまだ少し早い、時刻は六時を少し回った頃。冷たさを感じる玄関から扉を開けて、僕は家を出た。外の世界は白一色で、まだ玄関は暖かかったのだなぁ、と身をもって感じる。

「……さむ……」

 こぼれるように出た吐息と言葉は、ここ数日で連続記録更新中。今年の一月は、例年に比べて一段と冷え込みが強いように思える。

 白に染まった世界と相対するように、黒の制服、黒のコートに身を纏い、やはり黒色のマフラーに口元をうずめつつ、

「――……」

薄雲の空を見て一息吐いてから、僕は雪上へと一歩を踏み出した。

 一面雪景色ではあるものの、豪雪地帯というわけではないこの地域は、道路に積もる雪もせいぜいが五センチ程度なので、普通の靴でも何とか歩けるのは幸いだった。

 雪道には轍が重なっているが、まだ歩道側には足跡の一つも無い。真っすぐに真っ白な雪の絨毯が、行く先に続いていた。

 時間には余裕をもって出たつもりでも、入試本番ともなると、漂う冷気とは反対に、沸き起こる緊張の熱量を感じてしまい、逸る気持ちが速い歩みを促す。

とは言っても、不用意に速度を上げたところで、雪で転ばされてしまうのが落ちだということは、幼少の頃から分かっていることであり、その経験値が、自然と僕の視線を足元に向ける。  

こんな所で『滑る』なんて、受験生にとっては冗談ではなく、縁起が悪い上にダメージも倍増だ。

「……まずは、英語と国語か……」

 今日の試験日程を考えつつ、最寄のバス停へと向かい歩いていく。視線は変わらず下向きで、一歩一歩を踏みしめるように進む。

 これから、今後の人生の分岐を迎える。出来るならば希望する方向へ行きたいけど、現時点で勝率は決して高くはない。けど、低くもない。得意分野で点数を稼げば、勝算は充分にある。

 ともあれまずは、

「無事に、試験会場に向かうことかな……」

 前提を呟いて、だいぶ慣れてきた歩みを少しだけ早めた時、

「お~い、睦兄~っ」

 不意に僕を呼ぶ声に、逆に足を止める。危うく滑りそうになったけど、堪えた。

 誰だ、という疑問は無い。僕を呼んだ声の主も、どこから呼んでいるのかもすぐに分かったから。

「……やけに起きるのが早いな、睦月。いつもは寝坊してばかりなのに……病気か?」

 僕が向いた先、自宅から二つ隣に立つ一軒家。その二階窓から、ひょっこりと顔を出す少女がいる。寝癖のついた栗色のボブカットと、白色のセーター姿の少女は、僕の気遣いに明かな不満顔を浮かべて、

「なによーっ、その言い草は! 朝が苦手な私が、せっか入試に向かう睦兄を激励しようと、無理して這いつくばって起きたというのにーっ! まずはそのお礼を言うべきでしょー、この私、睦月ちゃんにっ! ……ってか、寒っ!」

「……じゃ、行ってくる」

 一人元気よく騒ぐ窓際の少女、睦月をスルーして行こうとしたのだが、

「あ、ちょっと! ちょっと待って睦兄! こら、睦月ぃ―っ!」

 朝が苦手だと言う割には朝っぱらから騒がしく、近所迷惑になってしまいそうだったので、とりあえず窓際で騒がしい睦月の方を見る。というか、

「僕の名前を呼んでいるのか、自分の名前を叫んでいるのか、良くわからないことになっているよ、睦月。 あと、うるさい」

 溜息混じりに言いつつ、やはり同じ名前だと違和感があるなと、もう何年も思い続けることを再び考える。

 なんの因果か、僕が幼少の頃に引っ越してきたこの地には、すでに同じ名前を持った、しかも異性の女の子が住んでいた。しかも、同じ名前だからか分からないけど、初対面の時から妙に懐かれてしまい、年も一歳差だったこともあってか、僕のことを本当の兄であるかのように接してくる。それは僕も同じで、本当の妹のように接しているし、そう想っている。

「睦兄が私の話を聞かずにさっさと行こうとするからでしょーっ。 時間が無いのは分かってるから、ちょっと、これーを……受け、取ってっ!」

 窓枠でうごめいていた睦月が、急にコンパクトな振り被りを見せ、その右腕から放たれた何かが僕の方へと、結構な速さで向かってきた。

「――っ、……と……」

 僕の顔面直撃コースで投げられてきた物体を、反射的に掴む。パンッ、と軽い音と衝撃が、手袋越しに伝わる。さすが、ソフトボール部のエース、コントロール抜群な危険球だった。

「……睦月、お前、そんなに僕に恨みが……人生をかけた入試に向かう僕を、遠慮のない暴力で襲うなんて……」

 淡々と言う僕とは対照的に、得意の全力笑顔を浮かべた窓際睦月は、

「昔っから練習に付き合ってくれてた睦兄なら、これくらい余裕っしょ? それに、恨みだなんだって心外なことは、私が今投げたものをちゃんと見てから言ってくれるー?」 

 やけに楽しそうな様子が訝しく思えたけど、とりあえず言われた通り、睦月が投げて寄こした物体を見てみる。

 僕の掌ほどの物体は、何やら長方形の布で出来ていて、

「……合格、祈願……御守り、か?」

 布に大きく刺しゅうされた文字を読むからには、おそらく御守りだろうと思われた。

布製の袋に、赤い紐で口を結ばれた物体。しかし、掌サイズの御守りなど、今まで見たことがない。

「へへー、睦月ちゃん特製、手作りキングサイズ御守りだいっ! 精魂込めて、全部私が作ったんだぞっ! これで、睦兄の合格はもはや確定だねっ!」

 えっへん、と自慢げに胸を張り、吹き込む風に震えてくしゃみを連発する睦月。このまっまだと、本当に風邪を引きそうだな。

「そうか……投げて寄こしたのはともかく、その気持ちは嬉しい。ありがとう、睦月」

 素直に礼を告げると、いやいやー、と睦月は照れた様子で手を振りながら、

「気にしないでよー、睦兄の為だもんっ。 あ、ちなみに、ちょっと部分的に赤く染まってるのは、自分の指を針で刺しまくった時の付いちゃった血なんだけど、なんか綺麗な模様みたいになったからそのままにしておいたんだー。センスあるっしょ?」

「呪いのセンスは抜群かもしれないな」

 朱色斑点の呪いのアイテムを睦月の家のポストに差し込もうとすると、ちょちょちょ! と窓枠の睦月が身を乗り出して慌てだす。

「うそうそ冗談だってっ! もとものそういう柄なんだってっ! 合格祈願の思いを込めに込めた、正真正銘のお守りなんだってっ!」

 窓枠から落ちそうなくらい慌てふためく姿を半目で捉えつつ、溜息を吐きながらも、半分ほどポストにめり込ませた御守り……らしきものを抜き出し、ふと気付く。

「睦月、これ……中に何が入ってるんだ?」

 指先の感触で、袋の中に何かが入れられていると分かった。布ではない、確かな硬さと厚みがある。

「あ、それねー、単なる紙の束だよー。私も何を入れたらいいのか分からなくて、御守りの中身について調べてみたんだけど、なんかね、木の板とか紙とかが入っているのが一般的なんだってー……っくち!」

 くしゃみ睦月からの答えには、僕も覚えがある。通常、御守りの中身は小さな板やお札といったものが多く、且つ、御守りの中身を見ることは基本タブーとされている。

その理由を単純に言うなれば、罰があたるから、というのが一般的かもしれない。

もう少し具体性のある理由をあげると、中身には神様が宿っていて神聖なものだから立ち入ってはいけないとか、中身が何であれ、あえて見ないことで信仰の想いが強まり、それこそが神格的な御守りの力になるとか。

 所説あるようだけど、ともかく大切なのは、御守りを持つ人、もしくは贈る人の強い想い、ということならしい。

「なんか、『紙』と『神』をかけてるところもあるみたい。んで、要は強い想いが大事って書いてあったから、私の強~い念を込めた一筆を、そこの紙に書いておいたんだー」

「そうか……『祝 合格!』とか、気が早い感じで書いてありそうだな」

 言いつつ、御守り(のようなもの)を眺めていると、ふふふ、と何故か嬉しそうに睦月が笑い、

「ま、そんなところだねー。そんなに中身が気になるようなら、今回は特別に、試験に受かったら中身を見ても良いよ?」

 睦月御守りは、どうやら中身の謁見はタブーではなかったらしい。まさかの、当人からのお許しだ。

「見ても、いいのか?」

「うん。だってそれは今回の、睦兄の試験専用の御守りだから。合格すれば、お役御免っ! ってね」

「なるほど、そうか……」

 今回だけの特製御守りと言われると、急にもったいなく思えてしまう。既製品には及ばずとも、かなり丁寧に作られている。睦月は軽い口調だけども、わざわざ僕の為に作ってくれたものだし、直ぐにお役御免というのも忍びない。試験の合否はともかく、あえて中身は見ずに大事にしまっておこう、と考えた。

「あと、睦兄の合格に貢献した分のお礼についても、一緒に書いて入れといたからさー。その時は中身見ないと、分からないっしょ?」

「なるほど、そうか」

 頷いて、遠慮なく袋の紐を解き始めた。

同時に、睦月が窓枠から落ちんばかりに身を乗り出して、腕をグルグルと回しながら騒ぎ出す。

「こらーっ! 人の話を聞けーっ! 見ていいのは合格した後って言ってるだろうがーっ!」

「いや、よく考えてみてくれ、睦月」

 騒ぐ睦月を手で制しつつ、僕は一つの仮説と理論を述べてみる。

「ここでお前の言う通りにして、御守りの中身を見なかったとしよう」

「うん、それでいいんだよ? それが正しいんだよ?」

「しかし、だ。知っての通り、僕は今から大事な試験に向かわなければならない。今までの勉強の成果を充分に発揮すべき時なんだ」

「うん、そうだね。その為の御守りだしね」

「そんな大事な時に、だ。この御守りの中身が気になってしまって、集中力が途切れてしまい、このままでは全力を出せないどころか、惨敗を期してしまうかもしれない」

「ざ、惨敗っ!? そ、それは困るね……」

「そうだろう? だから、ここで御守りの中身を確認しておくことは、今後の人生に大きく関わってくる重要なことなんだ。分かるよな?」

「なるほど……確かに、睦兄の言う通りだね……さすが、地元で頭脳明晰と名高い睦兄だねっ!」

「わかってくれて何よりだ、睦月。―――じゃあ、そういう訳で」

 ちょうど紐が解けたので、そのまま袋の口を開けて、

「あ、じゃあ、一旦私が預かって―――って、ちょっと睦兄! だめ―――っ!!」

 睦月の叫びと同時に、御守りの中身を全て出した。

入っていたのは二枚の厚紙で、一枚には『祝 合格!』の文字が記されていた。そしてもう一つの紙に書かれた文字を、黙読。

「…………」無言で、窓際の睦月を見る僕。

「…………」無言で、顔を赤らめる睦月。

「…………じゃあ、行ってくる」

 告げて、読み終えた厚紙を丁寧に御守り袋へとしまいながら、僕はしばらく止めていた歩みを再開する。

「……えっ、――えっ!? なになに!? ちょ、睦兄!! 待ちなさいよ――っ!!」

 待てと言われたので、すぐに足を止めて再び睦月へと仰ぐ。

 しかし目が合うと、さっきまでの威勢はどこかへ投げてしまったのか、ぐ、と小さく唸ったかと思うと、変わらず朱に染めた顔で、

「い、あ、へ? あ、や、その、さ、へと、なんていう、かさ? その、ね……あぅ……」

 良くわかない身振りと言葉を連ねるばかりの睦月に、

「なあ、睦月。そろそろ行かないと、遅刻してしまうかもしれないんだ。遅刻なんてしたら、全てが水の泡だ」

「え? ……あ、そ、そうだね、そうなんだけ、ど……もっ!」

 逸らし気味だった視線を僕の方へと向けた睦月は、いつになく真剣な声色で、

「……見たよね? それの、中身……」

「ああ、見たよ」

 僕も真っすぐに睦月を見て、答える。

 その対応に、睦月は浅く目を伏せて、

「……何か、言ってくれないの?」

 随分と大人しくなってしまった睦月に、僕は再度告げた。

「……なあ、睦月。そろそろ行かないと、遅刻してしまうかもしれないんだ。遅刻なんてしたら、全てが水の泡だ」

「そ、それはさっき聞いたよっ。わ、私が聞きたいのは、その……」

「絶対に受かってくる」

「――……え……?」

 聞こえなかったようなので、もう一度強めに、はっきりと。

「絶対に、受かってくる。受かる為には、遅刻なんてしていられない。睦月にお礼を返すのも、受からないと出来ない。だから――」

 一呼吸おいて、

「行ってくるよ、睦月。――これが、今の僕が返せる答えだ」

 見据えた先、窓際にいる睦月は呆けた様子で、少しの間をおいてから、

「……えへへーっ」

長い付き合いの中でも、稀にみる満面の笑みを浮かべ、うん、と大きく頷いて、

「いってらっしゃい、睦兄っ!!」

 嬉しそうに、大きく手を振る。

「ああ、行ってくる。――ありがとう、睦月」

 僕もまた、口元に緩い笑みを浮かべつつ、お手製の御守りを小さく掲げて歩き出した。



 掌サイズの御守りを一度眺めてから、制服の内ポケットに入れておく。

 ちょうど心臓の辺りに収まった御守りは、妙に暖かく感じた。

「……想いの強さ、か……」

 受かった時のお礼を同封するなど、なかなか奇抜なことをしでかすものだと思いながら、しかし結果的に試験合格への発破をかけられたような形になったので、まあ良しとしよう、と結論付けた。

「まったく……これじゃあ、何があっても絶対に受からないといけなくなってしまったじゃないか……」

 今日の調子はどうとか、勝率が云々とか、言っている場合ではなくなってしまった。

 微かに感じる頬の熱は、遅刻しないようにと逸る歩みのせいばかりとは言い難い。

 家を出てからたったの5分間で、今後の人生の分岐は何やら強制的に傾いていき、更には、僕だけの分岐ではなくなってしまい、これはどうやら試験を受けるその前に、既に大きな分岐を迎えたといっても過言ではないと、気付けばそんな不可思議な冬の朝となっていた。

 そして、今後も自分と同じ名前を呼ぶ違和感を得続けることも、その新たな分岐を迎えることも。僕にはもう、覚悟ができている。

 


睦月がくれた御守りの中身。その一方には、こう書かれていた。



『大好きな睦兄の、お嫁さんにしてください』

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