もてない男

姶良守兎

もてない男

 ケンジは、女性にもてなかった。

 彼は会社勤めで独身の三十歳、もてないとは言っても、見た目に何か問題があるわけではなく、可もなく不可もなしといったところ。体格は中肉中背、性格は社交的で明るく、話は面白い方だった。仕事は人並みにできるし、同年代の会社員としては平均的な額の貯金もあった。

 まあ一言で言うと、これと言って特徴のない、ごく平凡な男だった。しかしどういう訳か、彼は、女性には、まるで人気がなかったのだ。


 一方、同じ会社の同期入社で、ユウスケという、女性に大人気の男がいた。彼のルックスは、ここだけの話、贔屓目に見ても不細工だ。仕事も決してできる方ではなく、勤務態度は不真面目で、会社を首にならないのが不思議なぐらいだった。そのくせ金遣いは荒く、当然の結果として、給料日前には一文無し。だがどういうわけか女性にはもてるのだった。


 もてない男ケンジは、その社交的な性格のおかげで、悩み事を相談できる友人は沢山いた。彼は事あるごとに、友人をつかまえては、質問攻めにした。

「見た目は、ユウスケよりも、明らかにオレのほうが上だし、金だってあいつより持ってる。なんであいつなんかが、もてるんだろう? どうすれば、奴よりも、もてるようになるのだろうか?」

 ある友人はこう言った「以前どこかで聞いたんだが、女は、匂いで、その男が良い遺伝子を持ってるかどうか、嗅ぎ分ける能力があるんだってさ」

 また別の友人いわく「ダメ男やから逆に、守ったらなアカン! て思うんちゃうか? 知らんけど」

 こんな風に、ケンジの友人達はみな、それぞれの意見を聞かせてくれたのだが、どうも納得のいく説明は得られなかった。


 ケンジが四方八方聞き回っているうち、友人のつてで、いい情報を持った人物が、会ってくれるとの連絡が入った。友人の友人の、そのまた友人ぐらいからの情報なのだが、なんでも、そのある人物がもてる方法を教えてくれるという。ケンジは藁にもすがる思いで飛びついた。


 * * *


 ある日の晩、指定されて出向いた待ち合わせ場所は、なんと高級料亭だった。


「いらっしゃいませ」着物姿の上品な女将が彼を出迎えた。

「予約しているのですが」彼は、女将に名前を告げると、和風の個室に通された。

 こじんまりとした部屋で、巧みな間接照明が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。また壁には丸い小窓があり、そこから、控えめにライトアップされた中庭が見えた。まるで政治家が密談に使うような店だな、知らんけど、と彼は思った。


 数分待っていると、女将が「お連れ様がお見えになりました」と、ある男性を連れてきた。その男性を見るや、ケンジは縮み上がった。強面のその男は、夜だというのにサングラスをかけ、高級そうなスーツに身を包み、全身から威圧的なオーラを放っていた。ケンジは、その男は裏稼業の人間だろうと直感したのだ。

「見た目が怖いと良く言われるんだが、安心してくれ。俺は単なるフリーランスのエージェントだ。人さまに手出ししたことは一度もない」強面の男は、表情をこわばらせるケンジを見かねて、ダミ声でそう言った。

 ケンジは、少しだけ、安心した。

「大人になってからは、な」強面の男は、サングラスを外してにやりと不敵な笑みを浮かべた。ケンジの安心はどこかへ引っ込んでしまった。


 ケンジは緊張しながらも、強面の男と、食事をしながら、とりとめもない世間話を始めた。そして会話は次第に、本題へと流れていった。

 強面の男いわく、「もて薬」とも言うべき、秘密の薬があって、それを服用すれば確実にもてるらしい。だがそれは、非合法の品物らしく、おおっぴらに宣伝はできない。そこで彼がその仲介役をしては、紹介料を貰っているのだそうだ。

「そんなすごい薬があるのですか」ケンジは感心した。そうだ、ユウスケもきっと……いや、確証はないが、あいつも、その薬を使ったに違いない。ケンジはそう考えていた。


「効き目は間違いないらしいぜ」強面の男はそう言った「万が一、効果がなければ、返金してもらえばいいし、そこで売人がゴネるようなら、俺の信用にも関わる。そんな時は俺が話をつけてやるから、安心しな」

 そして強面の男は、その薬はどうすれば手に入るのか、詳しく教えてくれた。聞いた値段はびっくりするほど高かったが、払えない額ではなかった。よし、何としてもその薬を手に入れよう、ケンジは心に誓った。


「あのう、ここのお店は幾らお支払いしたらよろしいでしょうか?」食事を終えて店を出ようとしたとき、ケンジは強面の男に尋ねた。

「俺は売人から仲介料をもらってるんだ。ここは俺が払うよ」強面の男は人懐っこい笑みを見せてそう答えた。だがケンジの恐怖心は最後まで拭いきれなかった。


 * * *


 さて、ある金曜日の夕方、もてない男ケンジは、大いなる期待を胸に抱き、大金を携えて、あるビルの地階へ来ていた。強面の男から聞いていた通り、そこには隠し扉のようなものがあった。そう聞いていなければ、これが入り口とは絶対分からなかっただろう。だが、すぐにはそこを開けなかった。どこへ通じるのか分からない扉を前に、不安が期待を上回ってしまったのだ。

「ここ、本当に開けていいんだろうか?」

 彼の脳裏に、不吉なイメージが次々と浮かんできた。扉の向こう側には一体何が……だが最終的には、不細工なくせに女性にちやほやされて得意げな、ユウスケの顔を思い浮かべて、自分を奮い立たせた。そして意を決してその扉を開けた。


 扉の向こうには、バーカウンターがあった。そのカウンターの上に、小さな看板がちょこんと置いてあり、強面の男から聞いていた店名が書かれていた。どうやら目当ての店で間違いないようだ。なんだか拍子抜けした。

 店内は薄暗く、黒を基調とした内装で、骸骨やコウモリ、また死神といった、おどろおどろしい調度品が、いかにも非合法といった雰囲気を醸し出していた。カウンターの内側には、瘦せぎすの老人が、一人ぽつんと椅子に腰掛けていた。


「こんばんは」ケンジは恐る恐る声をかけてみた。

「ああ、どうも」老人はケンジの顔を見もせずに、がさついた声で無愛想に出迎えた。ケンジは、前もって聞いていた合言葉を老人に告げると、老人は奥の棚から小さな薬瓶を取り上げ、カウンターに置いた。

「これが、あんたが欲しがっているブツだ。一本が一回分、効き目は五年以上、強烈に眠くなるから自宅に帰って飲むんだ。次にいつ目が覚めるかは運次第、一時間のこともあるし、十時間以上かかることもある......」老人は意外にも、丁寧に説明してくれた。

「ちょうどよかった、明日は土曜日で仕事は休みなんだ」ケンジは老人に代金を支払い、その薬を手に入れていそいそと店を出た。


 彼は自宅に着くと、薬瓶を開けてみた。中の液体はなんとなく甘い香りがした。

「本当に飲んでも大丈夫だろうか?」彼はこの期に及んで迷っていた「大枚はたいて買ったんだ。いまさら飲まない手はないだろう」

 そして彼は薬を思い切って飲み干した……味は思いのほか悪くなかった。しばらくすると、体が自分のものではないような、ふわふわした感じになり、徐々に眠くなってきた。言われた通りだ。薄れゆく意識の中で、彼は今まで味わったことのないような、未来への期待感、そして幸せな気分を感じていた。


 * * *


 ケンジが目を覚ますとベッドの上にいた。近年まれに見る、いい目覚めだった。清々しい気分で伸びをした。ふと時計を見ると、なんと土曜日の夕方になっていた。ずいぶん長いこと眠っていたようだ。


「さて、本当にもてるかどうか……出かけてみよう」

 彼はふと鏡を見てみた。そこには、今までと変わらない自分の姿が映っていた。

「高い金を払ったんだから、ついでい男前にしてくれてもよかったのに」

 そして彼はシャワーを浴びるのもそこそこに、急いで新しい服に着替え、表へ出た。空を見上げると、夕焼けが綺麗だった。


 なんとなく、近所の公園をぶらついてみた。すると若くて魅力的な女性が小犬を散歩させているのが目に入った。ケンジは一目見てその女性が気に入った。

「こんにちは。綺麗な夕焼けですね」彼は声をかけてみた。

「本当ですね」女性はそう言ってケンジのほうを見た。すると彼女の視線はケンジに釘付けとなった。小犬のリードが、するりと彼女の手から離れ落ち、小犬は大はしゃぎで駆け出した。彼女はそんなことを気にせず、ケンジに熱い視線を注いだ。二人は見つめ合ったまま、一瞬の静寂が流れた。


 突然、ケンジのお腹が、ぐぅと鳴った。昨日の晩から、ほぼ丸一日、何も食べていないのだ。無理もない。

 ケンジをうっとりと見つめていた女性は、ふと我に帰り、思わず、くすりと笑った。そして「よければ、うちで一緒に、晩御飯を食べませんか?」と誘いをかけた。

「ええもちろん」ケンジは二つ返事だった。

 女性はミキと名乗った。公園のすぐ近くに住んでいるという。彼女は自由に走り回る小犬を呼び戻し、片手には犬のリード、もう片手にはケンジの手を握って自宅へと向かった。


 ミキは自宅に着くと、ケンジに洋風の手料理を振舞ってくれた。またこれが素晴らしく美味かった。出されたワインも、なかなか高級なもので、料理との相性が抜群に良かった。料理が美味いと酒もどんどん進む。そういうわけで、料理を食べ終わる頃には、二人でワインを一本開けていた。


 いい塩梅にほろ酔い加減となり、リラックスした二人は、すっかり打ち解け、ソファーに並んで腰掛けて、まるで昔からの恋人同士のように語り合っていた。

「今日初めて会ったのに、ずっと前から一緒にいるみたいね」ミキが囁いた。

「俺も、そんな気がするよ。近くにこんな素敵な人が住んでいるなんて知らなかった。なんだか、とても損をしていた気分だ」もてない男改め、もて男ケンジは、ミキの肩を抱いて、甘いトーンで囁いた。

「わたしもよ」ミキはケンジの肩にもたれてうっとりしていた。

 それから二人は熱いまなざしで見つめ合い、愛を語り合った。そして熱いキスをし、いつの間にか男と女の関係となっていた。


 翌朝、日曜日だというのに、ミキは仕事があるというので、熱い抱擁とキスをして、名残惜しく別れた。ケンジは全身に彼女との記憶を携えたまま自宅へ戻った。

「これが、もて薬の威力か……すごいな」ケンジはただただ感心していた。


 それからと言うもの、彼はどこへ行っても、もてもてだった。

 月曜日、会社へ行くと、あまりにも女性社員が寄ってくるので、最初はうれしがっていた彼だが、仕事に集中できないとなると、次第に、わずらわしく思うようになった。つい先週まで、もてないもてないと悩んでいたくせに、まったく、手のひらを返したように、というか、贅沢なもんである。


 そしてケンジは一週間も経つと、突然、勤めていた会社を辞めてしまった。こんなにもてるのならば、そうだ、ホストになろう、彼はそう思ったのだ。


 彼の面接をしたホストクラブの店長は、君には華がないので無理だと即答したが、それを受けてケンジはこんな風に答えた。

「最初は無給でもいいです。自分が稼げると分かってから、給料を下さい。自信はありますから。それなら、いいでしょう?」

 店長は、彼を雇うことに渋々承知した。見た目は地味だが平均レベルだし、そこまで言うのなら断る理由もなかろう。しかしホストというと、ちやほやされて楽しそうだとか、楽して稼げるだろうとか、勘違いしてやってくる連中も多いが、そういう奴らは間違いなく長続きしない。どうせこの青年もすぐに音を上げるだろう。と、店長は思ったのだった。


 ところがケンジはそれに反して女性客に大人気となり、あっという間にナンバーワンまで上り詰めた。これには店長も舌を巻いた。

 ケンジの収入は、会社勤めの頃と比べて何倍にもなったし、数々の贈り物を、女性客から貰うようになった。誰もが知っているスイス製高級腕時計や、みんなが憧れる真っ赤なイタリア製高級スポーツカー、はたまた、都心の一等地に建つタワーマンションの、最上階の部屋に至るまで、ありとあらゆるものが手に入った。


 ケンジはまさに有頂天だった。ついに俺の時代が来たぞ!


 そんな浮かれた日々が続いた、ある晩、ケンジは絶世の美女とベッドを共にしていた。だがその美女はミキではなかった。ミキとの交際はその後も続いていたのだが、他にも次々と恋人ができたのだ。ケンジは、ミキから数えてもう何人目だろうか……その新しい恋人に腕枕をしながら囁いた「俺はいま本当に幸せだ……まるで夢のようだ。いや、もしこれが夢ならば、このまま覚めないで欲しい」

 彼女は何も言わず、うっとりとした表情でケンジを見つめてから、彼の肩に顔をうずめた。二人はそのまま深い眠りに落ちていった。


 * * *


「先生、あの患者さん、まだ昏睡状態から覚めないのかしら」看護婦が言った。

 その昏睡状態の患者とは、数日前、この病院に搬送されてきた、まだ若い男性で、年齢は三十歳前後に見えた。見た目は、取り立てて特徴的なところもなく、言うなれば、可もなく不可もなし、といったところ。

 医師は看護婦の方を振り向きもせず、カルテをつけながら答えた「そうなんだ、全く目覚める気配がないんだよ。なんでも、三日間も会社に出てこないし、電話もつながらないので、上司が心配して見に行き、アパートの大家さんに頼んで鍵を開けてもらい、ベッドに倒れているのを発見したそうだね」


 医師はカルテをつける手を止め、患者のほうを見た「しかし意識がない事以外は、何もかも正常だ。長年医者をやってるが、こんな患者ははじめてだ。症例もほとんど無いし、困ったな」

 昏睡状態と言っても、その穏やかな表情は、まるで幸せな夢を見ているかのように見えたし、各種モニターをチェックすると、いずれも、血圧や脈拍、呼吸などが正常であることを示していた。

 医師は、患者が昏睡している原因は一体何なのだろう、と考えを巡らせていた。ここへ運ばれてきてすぐ、何らかの薬物で自殺を図ったのかもしれないと、血液検査もしてみたが、これと言って何も検出されなかった。時間が経ちすぎてわからなかっただけかも知れないが、いずれにせよ、穏やかな表情を見る限り、この男性が何かを思い悩んで自殺を図った、という風にはとても思えなかった。


「こんなに素敵なかたなのに、奥様や、彼女もいないのかしら? どなたも面会にいらっしゃらないなんて不思議だわ」看護婦が会話を続けた。

「そんなに魅力的なのかな? 僕にはよく分からないが……」医師はカルテをつけながら不思議そうに答えた「むしろ、至って平凡に見えるがね」

 看護婦は、むふふと含み笑いをしてこう答えた「まあ、男の人には、わからないでしょうね」


 そこで医師はやっと看護婦のほうを見た。すると彼女は、ベッドに横たわった、いつ目が覚めるともわからない患者のことを、熱いまなざしで、ただうっとりと見つめていたのだった。

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