旧暦物語 -弥生-

@n-nodoka

旧暦物語 -弥生-

三月中旬。寒さも収まり、春先の風が吹き始めてきた頃。

学校の敷地内、校舎からやや離れた場所にある、二階建ての体育館内で、

「いえ、別に唐突なことではなくて、中学の頃からずっと気になっていたんですよ」

「なるほどねー、私は学生の頃から含めたらもう八回目くらいだけど、全然気にしてなかったなー」

ガタガタと渇いた音の響く中で、その会話はされていた。



 修了式を終えた後の体育館は、いつもと違う空気が流れ、いつもと違う光景が広がっていた。

 フロア前面に広げられた緑色のシートの上、学校ではお馴染みのパイプ椅子が、壇上に向かって行儀よく並ぶ。

 しかし、その並びはやや歪な乱れが端々にあり、一糸乱れぬとは言い難い状態だった。

「やー、でも助かったよ、澤木君。これ私一人で直してたら、ほんとに日が暮れちゃうところだわー」

 久しぶりに倉庫から出された備品たちの匂いは特徴的で、この時期特有のものだなぁと感じる。

 そして、眼前に広がる多くのパイプ椅子の乱れを直すのも、この時期特有の仕事。

 先生としてまだまだ新米の、私の仕事である。

「まだ昼前ですから、さすがに日没前には終わると思いますけど……でもこれは確かに、三好先生一人に任せてしまうのも、いかがなものかと思います」

 的確な突っ込みと多少の苦言を呈しながらも、私と並んで黙々と椅子の並びを直してくれているこの生徒は、澤木君。制服に整った短髪が良く似合う高校二年生で、四月からは三年生。そして、四月からは生徒会会長を務める、優秀な生徒。

 修了式の後、パイプ椅子などの整備を仰せつかっていた私は、一人黙々と作業をしていた所に、不意に澤木君が現れた。

「あら、忘れ物?」と聞いた私に、「見回りです」と答えた澤木君は、私しかいない体育館を見渡して、一人で作業していることが気になったらしく、続けて「手伝います」と乗り込んできた。

 止める間もなく、止める気もなかった私は、有難く澤木君という戦力を借りることにした。

 とは言っても、この体育館を埋め尽くさんばかりのパイプ椅子を全部片付けろとか、そんな横暴な仕事を受けていたわけではなく。

「椅子を適度に揃えるだけで大丈夫だよー。このまま、月末の離任式で使うことになっているから」

 そう伝えた所で、澤木君が唐突に言った。

「――〝離任式〟って、おかしいと思いませんか?」



 澤木君が言うのは、離任式自体の存在が云々という訳ではなく、

「〝離任〟という言葉が、僕にはどうしても納得できないんです」

 喋りながらも、一切手を休めない仕事ぶりが澤木君らしいなぁ、と思いながら、続きを聞く。

「〝離任〟といってしまうと、さも〟教師という任を離する〝、もしくは〟学校での任を離する〝というように捉えられる気がするんです。少なくとも、僕はかつて、そう勘違いしていました」

「ははあ、なるほどね。言われてみれば確かに、まるで教師という職を辞める――離する、という風にも捉えられるわね」

 椅子と椅子との間に作られた通路に出て、整列具合を確認しつつ、なるほどね、と頷きを返す。視点というか、着眼点が面白いな、と思う。

 離任式という行事自体、あまり生徒には関係の無いものだという認識で私はいる。学生時代から時代から、今も変わらず。

 職場が定期的に変わるのは、何も教師に限ったことでもないのに、仰々しいことをするものなんだなと、これも学生の頃から変わらず、教師という立場になった今でも、正直思っている。

 そんなぶっちゃけたことを考えていると、同じように通路から椅子の並びをしゃがんでしっかりと見ていた澤木君が、さっき並べた烈の方へと歩いていき、二、三か所の椅子の角度を微調整しながら、

「あと、言葉のイメージも良くないように思うんです」

「言葉のイメージ?」

 繰り返した私に、ええ、と答えて、次の椅子の列を確認しながら、

「〝修了式〟や〝卒業式〟は、未来へと繋がるイメージですが、〝離任式〟という響きは、どうしても〝別れ〟や〝離れる〟といった、寂しげなイメージしか浮かびません。せっかく先生方を次の赴任地へ送り出すというのに、良いイメージが湧きにくいように思えるんです」

「ははあ、なるほどねー」

 色々な見方があるものだなあと、教師になっても考えさせられる。十人十色とはよく言ったものだ。

 寂しいイメージか、と考えて、ふと思う。

「じゃあ、澤木君は〝離任式〟じゃなくて、どんな言葉がいいのだろう、とか考えていたりする?」

 問い掛けつつ、椅子を挟んで位置に立つ澤木君を見る。

 澤木君もまた、私を少し見てから、そうですね、と言って、

「この言葉が、果たして適切なのかどうかは分かりませんが」

「お、何なに、聞かせて?」

 促す私に、澤木君は小さく頷いて、

「時期も踏まえた上で、僕ならば、式の名前は――」



「……という訳で、我が校では〝離任式〟という言葉を使わずに、かつての生徒会長である澤木君という生徒の案を採用して、今の言い方になったのよ」

 多くの生徒たちが集った体育館の壁際、舞台とは反対側となる場所で、私は先日までの在校生、数日前に無事に卒業していった子達にちょっとした歴史を披露していた。

「えー、じゃあこの式の名前って、その澤木先輩って人が変えたってこと? センスあるーっ」

「うん、確かに〝離任式〟って言い方よりも、今の方が素敵だよねー。会ってみたかったなー、その澤木先輩に」

 つい先日まで在校生だった、私服で集まった卒業生達は、かつての卒業生を思い賑わっている。

 そうねー、と返しつつ、もうあれから十年経つなぁ、と一人懐かしむ。

 十年前、澤木君が考案した式の名前を、何気なく当時の校長先生に話したところ、いたく気に入ったらしく、その年から急に名前を変えることとなった。

 名前が変わってから十回目の式を迎えるが、未だにその名前は健在で、これからも継がれていくのだろうと思う。

 澤木君が残した式で、私がこの学校を去るのはいつになるのだろうかと思うのも、今日で十回目となった。その機会は、とりあえず来年以降に持ち越しのようだ。

 私の横にいる卒業生と異なり、制服姿の在校生達は整然と並べられた椅子に座り、式の始まりを静かに待っている。

 そして、舞台にはすでに異動が決まっている先生方が数名並ぶ。

「さ、そろそろ式が始まるから、皆も静かにね」

 壁際に集った卒業生達に言うと、はーい、と一列に並びなおして、舞台へと視線を向ける。

 皆の視線を追うように、私もまた舞台へと向く。

 同時に、式の司会を務める先生がマイクのスイッチを入れる。

 小さなノイズ音が聞こえる中で、私は一人微笑む。

 来月、四月から母校への赴任が決まった澤木君こと、澤木先生は、きっとこの式の名を聞いて驚くのだろうなと。そしてその時も、私が自慢げに歴史を語ってあげようと。多分、照れながら嫌がるだろうけど、と思い、笑みを深める。

 そして、澤木君が残した素敵な響きの式が、始まる。


『只今より、〝弥生式〟を執り行います――』

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