視線

獺野志代

繰り返される本末転倒の話。

誰かに見られている。

なんの根拠も脈絡も無いが、ふとそう思った。

気になって後ろを振り返ってみる。人はいることにはいる。ただ、特別僕の方を注視している人は一切見受けられなかった。

それでもどこかからの視線が気になって仕方がなかった。

第六感というやつがいらないところで発揮されたのだろうか。とてもじゃないが余計なお世話だった。

なかなか外れないその視線に圧倒され、恐怖感が募る。すぐにでも家に帰って、お茶を啜りながらテレビを見るような安心感に包まれたい所存だった。

しかし、不幸にもこの場所から家までは電車で20分かかるし、駅までもあと15分くらいかけて歩かなければならなかった。

少し早歩きで駅まで向かう。視線は途絶える気配がなかったが、気付かないふりをして堪えた。

奥の方に駅が見えるくらいまで歩いたところで、

「********」

誰かに耳元で何かを囁かれた。

これには堪らず、振り払うように後ろを振り向いた。やはり、近距離で話しかけてこれるような人は周りにいなかった。しかし、確かに誰かに囁くように話しかけられたのだ。

‥‥‥怖い

怖い 怖い 怖い 怖い

恐怖感でどうにかなってしまいそうだった。

僕は咄嗟に走り出した。全身全霊を足に込め、これまで出したこともないような速さで駆けた。

「************」

聞こえない

「**************」

聞こえない!聞こえない!

息を切らして駅に駆け込み、その時丁度来た電車に乗り込んだ。

電車の中では、視線と囁きにまとわりつかれることはなかった。もしかしたら撒けたのかもしれない。安心感からどっと汗が噴き出た。それでもなお、拍動は当分やまなかった。

別のことを考えよう。

昔、今は亡き祖母に聞いた、怖い思いをした時にはある景色を浮かべるといいというのを思い出した。

そこは自分だけが存在する世界で、自分を背後からただただ見つめる、というそういう景色だった。

半信半疑で目を瞑り、ただひたすらその景色だけを見つめた。だんだん落ち着いてきて、本当に気が楽になったようだった。目を開けて、一つ深呼吸してから、帰宅してからのことを考えようとした。

すると、異音がして、身体が揺れた。いや、身体が揺れたのではなく、車体が、電車が揺れた。

瞬間、ものすごい轟音が響き渡り、視界が揺れ、意識はそこで途絶えていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


目の前に誰かがいる。

目が覚めた時、街中に僕は立っていた。

状況の判断も感情の整理もつかないけれど、僕は目の前の人物が誰かは理解した。

僕だ。

僕の前で僕が歩いている。とても違和感を覚えた。

そういえば、とそそくさと僕は物陰に隠れる。僕が今、僕のドッペルゲンガー、かどうかは置いといて、今の自分と深く干渉するとパラドックスが生じて、一つの世界に閉じ込められてしまうのでは、と思った。だから、僕は陰から彼をこっそり見ていることにした。

ふと、彼は後ろを振り向いた。気づかれたか、と思ったが、どうやら大丈夫そうだった。何度か後ろを気にするものの、姿を見られてはいないようだ。

既視感があった。

幾度となく後方を確認する僕に、絶対的な既視感があった。多分、今の僕の存在意義はそこから始まっていた。

徐々に早歩きになる彼の、向こう側をちらと見た。駅が見え、はっとした。

僕はあの電車の脱線事故で命を落としたのだ。だから、今の僕の存在意義は、僕を救うことにあるんだ、とそう思った。

こうしてはいられない、タイミングを見て僕は彼に近づいて、耳元で言った。

「電車には乗るな!」

言って、すぐ隠れた。パラドックスが生じることは避けよう、と思った。

彼に本旨を伝えることはできた。

しかし、突然彼は走り始めた。

彼の突然の行動に目を見張った。もしかしたら聞こえてないのかもしれない。

僕も急いで追いかけた。

「やめろ!電車には乗るな!」

聞こえていない

「このままじゃ、お前は死ぬ!!」

聞こえていない!聞こえていない!

徐々に焦燥感が募る。このままじゃ、同じ運命をたどることになってしまう。息を切らしながら、駅のホームに駆け込んだが、その時にはもう電車は出てしまっていた。

膝を崩した。僕にはどうすることもできなかった。

数分後、遠くでものすごい轟音がした。

同時間に、激しい痛みに襲われて倒れ込んだ。空中分解を思わされる浮遊感もあった。意識はそこで途絶えていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


目の前に誰かがいる。

目が覚めた時、街中に僕は立っていた。

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視線 獺野志代 @cosy

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