271-280

271


私には海を干すことはできない。私には火を飲むことはできない。私には花を焼くことはできない。私には鳥を追うことはできない。私には時を留めることはできない。私には、私には弟を愛することができない。私には……。



272


舟人よ、舟人よあなたは妹を、わたしの枯れた妹を、花舟にのせて流してしまった。流したさきにはさかながおり、妹の固いからだに口づけよう、それをあなたは見ていたろう、舟人よ、水は静かに櫂を呑み、花は重たく沈みゆき、それをあなたは見ていたろう、ひとがそれを見て泣いたろう。



273


同僚が文鳥を見せてくれる。雛のころから育てた小鳥。青菜を砕いて与えた小鳥。指でくるむとあったかい。文鳥はみんな喋るのだと言う、誰に飼われたどの文鳥も、ほら、こんなふうに。居酒屋の、隅の角の席で、白い小鳥に耳を寄せて私は、よそごとを考えている。鳩の手品の何があんなに物悲しいのかを。



274


文鳥と暮らしている人に、文鳥の寿命はあとどれくらいと聞き、あなたの寿命はあとどれくらいと聞きかえされて帰り道、ハンドルをきつく握って高速路、加速せずにはいられない。手のひらに小鳥を包む人の指の丸み、私の質問に答える表情、「あと2年」。加速せずにはいられない。



275


波音を布に織り上げ衣に着、月影を裸足に束ねて鼻緒とし、潮風に髪を舐らせ面とする。浜の蟹らと戯れて、親無い千鳥を慰める。浦のやさしい磯女、やさしさは海のやさしさだから、漁夫らは遠くで黙っている。誰かがそれを見た晩は、漁夫らみんなで酒を飲む。明日には誰かが沈むから。



276


傾いた製図机を貰って嬉しがり、朝夕の窓に水平線を引く私の弟。



277


生きた木々らが折り重なって祖母の棺を作ってくれた。棺はまるく、ふたがなく、祖母は枝なかにくるまれていた。木々はひとの手を模していた。ほら、ほら、とひよこを見せる、子どものもみじのような手を。



278


さまなむは、厨子になった玉虫たちの翅がざわつく音のさま。夏の短い夜のまに、玉虫の翅は生まれた枯木を思い出す。月のお寺のお堂の中で、さまなむさまなむ厨子が鳴る。夜を眠らぬ僧が寄る。たばりゃんせと戸を開ければ、月が差し込み厨子を抱く。さまなむさまなむ、たばりゃんせ。



279


友だちは工作が得意だった。動物の骨を拾っては、削ってちいさな家にした。種や部位や、洗い方で、骨の白には差が出るのだと、その朝私に話してくれた。その日はじめて会って、もう会わなかった友だちだから、覚えているのは顔ではなくて、机の上に一面広がる色とりどりの白の街。



280


万鷺山はむかし万の鷺が越える山だったからその名がついた。千鷺野はむかし千の鷺が遊ぶ野だったからその名がついた。百鷺沼はむかし百の鷺が鳴く沼だったからその名がついた。十鷺川はむかし十の鷺が休む川だったからその名がついた。いま鷺は一羽もない。みな錆びついていったのだ。

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