181-190


181


夜、磯の香に誘われて窓を見ると、使者達が海へ帰りゆくところだった。使者達は貴人の足取りで藤壷を踏み、波の花がぶわぶわそこらを舞う。供を呼ぶ太鼓が鳴る。窓を開け出てゆこうとする私の手を捕まえてつれあいが低く囁く、よしなさい、よしなさい望郷は、ここにいて、愛してる。



182


帰る家が二つあるのでどちらにいても落ち着かない。片方の家には恋人がいて、粥を炊いては食わせてくれる。もう片方には四方の壁に、ちいさな海の絵がかけてある。どちらの家に帰っていても、身体の一部は迷子になって、あちらの家に帰っている気がする。私の片頬や、片膝や、片肺が。



183


恋人たちはあらゆる試練を乗り越えて見事勝利した、めでたく愛がすべてを平らかにしてゆく、この世の美しさも、喜びも悲しみも、おぞましさも切なさも。



184


雨が降るのがおそろしい。おそろしいから見てしまう。大窓のガラスを雨粒が叩くので、起きだして、海に雨の降るのを眺めていると、海は、月もないのに薄明るく、波が寄せ、雨が降っていて、おそろしい。恋人が僕を見つけて肩を抱く。大丈夫、大丈夫だよ、雨が降っているだけじゃないか、ただ雨が……。



185


本を重ねて置いてはいけません、重ねられればインクのように、上の本から下の本へと文章が滲みてしまうから。本は相関し交わるもの、積み置かれた本はやがて増殖し床を埋めつくします、ほらこのように。差し出された一冊を開くと、レシピと密室殺人のあいのこである。探偵がボウルで死体を練っている。



186


国立図書館の館長の気が触れる。全ての本が図書館の中に収集されるのであれば、全ての図書館もまた本の中に収集されなければならない、と。書物の中の図書館への言及箇所を集めた目録が作成され、完成した目録はその目録自体を含まない。即座に次の目録が作成され、次の目録はその目録自体を含まない。



187


移動図書館は一定の周期で軌道上を雲航している浮島で、この草原での停泊は私が司書連に加わってから二度目、十五年ぶりのことだった。貸出、返却、寄贈。子供の頃に借りた本を返却に来たという青年。異国の人に届くだろうかと祖母の日記を寄贈した女性。各々借りた本を抱き、島影に手を振る子供たち。



188


前文明の人々の日記を翻訳している。それが彼らの習慣だったようで、はじめてペンを持てるようになった日から日記をつけ続け、死ぬと、それを図書館に納めて墓標としたという。死者の遺した本と死者とは同じものなのだろうか? 膨大な量の彼らを訳しながら、僕はなんだか空恐ろしいような気がする。



189


夢見は時折鳥打に、鳥の立つ刻を教えることがある。二十四等分した日のうちどの時の、さらに六十等分した刻のうちどの一刻に、十六等分した方角のうちどの方角で鳥が立ち、三百六十等分した角度のうちどの角度に向けて鳥打は弾を撃つべきか。鳥打はそれを再現しない。自ら撃つがはるかに易しいのだ。



190


夢見は鳥打に鳥の立つ時を教え、鳥打は夢見に米鳥を撃って煮る。夢見は米鳥の名を覚えない。名を覚えれば夢に見ない、夢を見なければ時を教えられないと夢見はいう。鳥打は構わず羽骨を指し、日毎の糧の名、色、形、を夢見に教える。これが××、これが××、これが××。それからふたりで羽骨を埋め、眠る。

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