131-140
131
温室の番人を殺した。番人の胸を突くと血が噴き出した。番人は傾ぎ、私の胸に縋りつき、耳に唇を寄せて、花を見てゆきなさい、今夜ひらく筈だったから、と囁いてそのあと死んだ。私は急に恐ろしくなり、震えながら温室を出て二度と戻らなかった。百年に一度の花はそのようにしてひらいて萎んでいった。
132
サーカスに引き連れられ、おそろしい夜の街がやってきました。夜の街は私たちを夜で上書きしました。建物たちは寝静まり、星が空中ブランコを始めたので、人間は大きいのも小さいのも群も個体もみんな寝間着になって出てきました。通りは午前、七時五十二分、天幕の内側でみな拍手をしています。
133
朝にひらき、夕にしぼむ花を丹精するために、この浜には毎朝あたらしい娘が生まれる。朝に赤い花をさわり、昼に黄色い花をさわり、夕に緑の葉を鮮やかにして帰ってゆく。裸足がいつもしめっていて、ひとに見られるとはにかむ。
134
とうとうなにもかもなくしてしまったと言って、半狂乱の私が駆け込んでくる。おまえにはまだ脚があるだろうと言ってやる。脚が消える。訴える言葉があると言ってやる。声が消える。縋る手があると言えば手が消え、泣く顔があると言えば顔が消える。私という相手がいると言ってやる。この部屋が消える。
135
一億年、と私は言い、一億年、とあなたは囁いた。私たちは二人向かい合い、一億年を溶かして飲みほした。そしていま蓮のように開いていくあなたのてのひら、てのひらの上で乳色に光る松毬。
136
わたしたちはひとつの梅雨をわかちあう。雨をわかちあい、傘をわかちあい、あじさいをわかちあい、分厚い雲をわかちあう。車窓の、つぶれた水滴を轢くワイパーを、名残惜しげに去る透明な景色をわかちあう。明けないねとあなたが言う。まだ見ぬ夏をわかちあいながら、わたしもあなたにそうだねと言う。
137
平たい女が道の向こうから歩いてきて私に触ってみろと迫る。私は平たい女の薄い足で歩く様子を気に入った。指でつつく度にひらひらと柳よろしくしなるのが良い。それを聞いた平たい女はざらついた声で、私は生まれた時から壁になりたかったと答えた。なれば良いじゃないかと答え、私は女を壁に貼った。
138
事故物件というのではないが、私も幽霊の出る部屋に住んでいて、たまに寝ようとして布団に寝転ぶと何故か電灯のヒモが四本に増えており、明るいからどれが偽物のヒモなのかは一目瞭然なのだが、それでも一応の礼儀というものがあるので最初から正解のヒモを引くのはよしているのだ。
139
オインワーン=シクは雌牛の眼をした精霊で、チの丘の地で泣く者があればそこに現れ、青黒い舌でその者の涙を舐ずめとり、舌の塩気を絞ってかれの畑の畝に撒き、畝の塩木は涙を肥に益々の葉を透かせ辛くした。クク塩湖はかつてかれの畝で、その水は、かれの去る日に溶けた塩木の透ける枝葉と幹である。
140
山河は、私の中身を残らず覆っている。私の中身は臓器であり、臓器への入口は大きいのが上にひとつ、下にひとつ、山河は、いずれの口からもようく見え、山は尖り河はうねり、竹林に仙の飛翔し洞穴に獣のおらぶという。覗いた皆がそう言う。山河は、私の目からは見えない。山河は、私から流れ出て終る。
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