121-130

121


中央広場の街灯の下には天使がひとり立っていて、毎日、石の掌で、街の皆と握手する。こんにちは、はじめまして、また明日。天使には名前がないから、今日握手をしたことを、人は覚えていられない。ただ微笑みを持ち帰る。黄昏時、人々は家路につき、また明日、この広場で、名前のない天使と握手する。



122


ここに壁があり、女はその内側にいる、私は女を待っている。ここに女がおり、壁はその内側にある、私は壁を眺めている。私の内に女がおり、壁があり、女は壁に絵を飾り、その絵は世界を描いているので、私は壁を眺めながら、女が壁に扉をつくり、私を招き入れ、世界を見せるのを待っている。



123


船から降りた異星人は私たちの音声器官を完璧に模倣してこう言う。こんにちは素敵な皆さん、これから散歩をいたしましょう。そして私たちを空へと連れ出す計画を話しだす。私は船とその人の足らしきものが芝生から少し浮いているのに気づく、見る、生きてきて何一つ踏みつけたことのなかったろう足を。



124


昨夜しっくりと溶けあった二人が台所で卵を溶いている。玉子焼、オムレツ、炒り卵。わたしたちが卵生だったころ、と一人がいう。わたしたちが卵生だったころ、この食卓は罪だったね。もう一人が答えていう。そして罪はおいしいね、平らげるのが礼儀だね。向かいあう二人のあいだで朝が鈍く光っている。



125


蛇は私たちの股ぐらの間で、悲しく頭をもたげていた。日ごと交わり卵を産んで、この蛇の餌にくれてやるのが、私たちに課せられた罰だった。やがて私たちは石となり、二躯の塑像として交わった。もはや何を思う心もない。だが蛇は私たちの苦役のためだけに生まれ生きていた。その方がよほど哀れだった。



126


夢をいっぱいに詰めこんだ頭、とめどなく開きまた閉じる唇、幸福な食卓を重ねたくちい腹、それらを支えて明日にも折れようとしている二本の脚の骨。



127


同室の男の嘔吐が止まらない。打ち捨てられたこの病室の寝台を借りる金も尽き、男は明日この部屋を出ていくのだという。男はのたうちまわり、ふと静かになり、またのたうつ。ここを出て行く当てはあるのかと訊けば、天使を、昔見たことがあるから生きていけると言って吐く。



128


盲いた女が歩いていく。カーニバルの只中を、極彩色の紙吹雪の中を、風船の道化の花火の中を、杖を支えに微笑みながら。皆が盲いた女を呼ぶ。おじょうさん、おねえさん、おばさん、おばあさん。皆が盲いた女に道を譲る。女は音の洪水を見る。女が家に帰ると、明日は街に、灰の水曜日がやってくる。



129


シカジラはシカの頭にクジラの鰭を持つ生き物で、私の甥はこれを打つのを生業としている。シカの要素が強く出れば山に、クジラの要素が強く出れば海に、シカジラは出る。甥は猟にも漁にも出、土地のりょう師の腑分けに立会い、識別タグを回収して帰る。研究室は過ちを正せると信じているのだ、と嗤う。



130


階下に降りて氷を食べようと娘が言う。降りて氷を食べよう、ママ。氷を私と齧りだしてから娘の歯は岩のように砕けてしまった。神経が剥き出しになった歯を娘は医者で抜いてきた。娘の掌上の歯を見て、私は私のせいだと思う、でもやめられない。娘は毎夜訴える。氷を、ママ、このままじゃ私達眠れない。

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