コクーン(06)裏切り

 フロップの個人ルーム。彼女は、貸し金庫室で見た少女の顔を似顔絵ソフトで描画して、身長や体格などのプロフィールと共に国際刑事警察機構のデータベースを探索した。やがて、鮮明な顔写真が現れる。

「彼女の正体は、シズラ・クンテム」半時間後、以前と同じメンバーが集められた会議室で、イーサン・後藤が言った。「国際指名手配されている、フリーの殺し屋だ。どの組織に雇われたのかは不明だが、今回のミッションで、我々と同様に〈イマン・ザ・シス〉の名簿リストを追っていることが発覚した」

 桐島猫王とフリップが、イーサンに呼ばれ、スクリーンの前に移動する。

「シズラ・クンテムは、フリーランド共和国にも滞在していた」

「でも、分かっていることは少ない」

「殺し屋ランクは3位。ベンウェイ・バロウズより上だ」

「二つ名は」フリップが溜めてから、「――《ギフト》」

「マクタガート・ホテルの侵入者と同じ?」金燎平が聞いた。

「おそらく」イーサンが言った。「シズラ・クンテムを雇っている組織は、名簿リストを消したいのか、我々のように何らかの目的で入手したいのか、現状では判断できない。したがって、局面の展開しだいでは彼女と協力する可能性はある。だが、忘れてはいけないのは、アルマノンヴィル銀行で彼女のしたことは、犯罪行為の中でも最悪の部類だということだ。おい、お願いだから鮭とばをしまってくれ――フロップ・クォンタムの記憶した文書は、現在、解読作業が進行中。しっかり休んでこれからに備えてくれ。みんな、よくやった」

 中央オフィスへやってきたフリップが、「ヴァニティ」と呼びかけた。彼は胸元にプリントアウトされたばかりの書類を持っている。「いま、〈ニューラリスティックスFQ〉が、深層モーフィムの乱素率をALF条理空間に収まるよう解析して幼素群の再‐組成化にこぎつけたんだ。そしたら、どうなったと思う?」

「なるほどな……」ヴァニティは神妙な顔をして、テスト問題を埋めているボールペンをノックして芯を奥に戻すと、目を閉じ、静かにうなずいた。直後、隣の猫王の方を向いて、「なんて?」

「ぜんぜん聞いてなかった。グミ食べる?」

「いらん」

「果汁グミだけど」

「果汁は間に合ってる」再びフリップに向きなおる。「……最後のところ、なんて言ってた?」

「こういう話、退屈じゃない?」

「いや? ぜんぜん? 専門的な? ためになる? 話じゃん?」

「結論から言えば、〈リスト〉の暗号を妹のソフトで解読してたら、一人目の名前が出てきたって話」

「最初からそう言えばいいだろ」

「言ってたよ」プリントを渡してくるフリップ。「ガレス・ベーコンってやつ。心当たり、ない?」

「ガレス・ベーコン……」

「知ってる?」

「いや」ヴァニティはプリントを返した。「聞いたことない。解読はいつ終わる?」

「峠を越えたよ。あと十分もしたら――」突如、ヴァニティは立ち上がった。スパイ・マニュアル初級テストの解答用紙を猫王のデスクに乱暴に押しつけると、エレベーターに向かう。「もういいの? 見直しは?」猫王の声にも答えず、ワイシャツの残像を残して、ドアが左右に閉じていった。

 女子寮の部屋に戻ったヴァニティは、パスポートとクレジットカードの入ったジップロックをロッカーから取りだしたあと、部屋の奥に並んだ自分の机へ早歩きして、下の空間に隠すように置いてあったビジネスバッグを机上に出した。ジップロックを中に詰めながら、分厚くて皺のよった紐綴じ封筒をかわりに出し、紐を乱暴に外して、中身の書類を手で繰っていく。目的の一枚が見つかった。〈ニュー・オーダー〉と右上に印字されたその書類の片隅には、黒いシャツから胸毛が見える、モヒカン刈りの男の写真があった。

 ヴァニティは、写真の隣に記載されている名前を見つめた。

 ―― Gareth Bacon(ガレス・ベーコン)

「どうしたの」声をかけられて、ヴァニティは慌てて書類を封筒に戻す。

 背後にいたのは、白衣姿の岸崎めぐみだった。昼休みついでに、AIアンドロイドであるマリリン・スターダストの定期点検に来たのである。ヴァニティは部屋を見渡した。トーフのやつはドア付近のコンセントから充電中。あいつは問題にならない。マリリンは――手強い相手だが、居間のソファーに寝そべり、5×5×5のルービック・キューブを動かしながら、こちらからは背を向けている格好だった。絶好のチャンスだ。それに……時間がない。 

「ラップトップ持ってる?」岸崎に聞いた。

「もちろん」

「〈Idobata〉を使わせてもらえないかな」

「私のアカウントで? さすがに規則違反だけど……なんで?」

 ヴァニティは、ビジネスバッグを持ち上げた。「フロップを昼飯に誘う約束してたんだけど、俺が待ち合わせ場所言うの忘れたまま、こっち来ちまった。少しだけでいいからさ」

「フロップと?」岸崎はにやけ始めた。「ふうん」

「そういうんじゃないが」

「だったら、仕方ないね」話を聞いていない――だが、かえって好都合である。岸崎はソファーに向かって、背もたれの向こうからパソコンバッグを拾い上げ、開きながらパスワードを解除した。「どうぞ」

 部屋の奥、自分の机に広げると、画面に映り込む人影。ヴァニティはふり返った。

「どこまで進んでるの?」岸崎が聞いた。「フロップとは」

「離れててくれるか?」

「OK、OK」足音が去っていく。

 ヴァニティの背後で、そこまでねえ、というつぶやき声。岸崎が座卓に行ったことを横目で確認したヴァニティは、ひとまず〈Idobata〉を起動すると、それとは別の新しいデスクトップを画面に開いた。今なら引き返せる。この先を続ければ、もう〈スター・フォース〉オフィスには戻れない……

 ヴァニティは、バッグの中からUSBメモリを取り出した。

 デスクトップから〈スター・フォース〉管理ソフトを選んで起動し、「アルマノンヴィル銀行」で検索。案の定、銀行から盗まれた〈リスト〉の文書ファイルがヒットした。ツリー構造の上階層に記されている、プロジェクト名は「VVV作戦」のようだ。VVV、ヴァニティ・V・ヴィンセント、俺を値踏みの対象にした作戦ってことね。さっそく裏切るかたちになって申しわけないが……ソフトのプロパティ画面を開いて分かったが、岸崎めぐみの機密レベルは3だった。直接関わったプロジェクトの書類ほとんどにアクセス権限がある。

 ちょうど、VVV作戦のフォルダに、新しいファイルがアップされるところだった。水色のローディングバーを溶液がいっぱいに満たすと、新しい〈リスト〉文書ファイル。フリップが「解読完了」とのコメントを付けている。USBを岸崎のラップトップに差して、ヴァニティはファイルをコピーした。アクセスランプが点滅。転送速度を示す緑色の波形が画面に表示される。残り時間:4秒、というところで足音が接近してきた。

「フロップ、なんて言ってた?」岸崎めぐみが、画面を肩越しに覗き込んでくる。

 画面を〈Idobata〉を開いた方に切り替えていたヴァニティは、岸崎に「秘密」と言った。

 椅子から立ち上がり、ラップトップを持ち上げ、ごく自然に岸崎に手渡す。筐体から右手を離しながら、手中にこっそりと抜き取ったUSBを、足元のバッグを持ち上げながら、中に落とした。そのとき、マリリン・スターダストがソファーの向こうから素早くふり返り、ヴァニティを凝視した。

 だが、マリリンは何も言わなかった。まばたきすると、別の方角を見た。

 ヴァニティはソファーを横切り、二人に「じゃあな」と言って、部屋から出ていった。

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