殺しの楽園(04)武器屋トーキョー・フェイザー

 《虚囚》李龍仙が、ビジネスバッグを持ったままホテル一階の〈クルーズ・バー〉に入ったとき、驚いたのは入口手前にいる一部の客だけで、ほとんどがカウンターの跳ね上げ天板上のテレビ画面を眺めていた。奥に進んでいくにつれ、ざわめきが増していく。アルコールに溶けてる頭でもさすがに異変に気がついた。なにしろ、監視カメラが追跡しているのはこのバーなのだ。李龍仙は幾つもの折り重なる視線を抜け、トイレに入った。

 頭上を見渡す。監視カメラはない。

 奥の個室から水流音がして、小太りの男が出てきたのを確認すると、李龍仙は落書きまみれになっている隅の用具箱を開けてモップを出し、ドアの取手の穴に通して出入りを封じた。

 手洗いにうつむきがちに近づいてくる小太りの男の肩を軽く叩いて、顔を上げたところで両手でつかまえ、頚椎をねじ折り、洗面ボウルに叩きつける。折れた永久歯が白い壁面を滑り、水道管に吸い込まれていった。

 唇から血を垂らしたまま絶命する男の首を洗面ボウルの縁に引っかけて、李龍仙はビジネスバッグを開いた。出てきたのは、ずらりと並んだ変装道具。肌に粉を振りかけ、ブルーのコンタクトを装着、ボサボサに揉みしだいたウィッグをかぶり、つけ髭であご周りを覆っていく。眼鏡は死体からそのまま盗んだ。死体から顔を上げると、彼そっくりの顔が鏡に映っている。贅肉がぴちぴちに詰まった『インヒアレント・ヴァイス』の虹色ホアキン・フェニックスのTシャツと、ジーンズやサンダルを脱がせて、それらに着替えたあと、腹の中には専用の革風船を入れ、体格を似せていく。最後に、水色リストバンドでイベント参加者の腕輪を隠した。

 ブリーフ一丁の死体をトイレの個室に突っ込み、内側から鍵をかけたあと、ドアを登って外に出る。ついでに用を足す。十七秒間かけて小便をしたあと、手を洗い、手洗い場に置いていた変装一式バッグの底から、透明な袋に密封して折り巻かれたバックパックを出して広げ、ビジネスバッグをその中に隠した。

 トイレから出た李龍仙は、カウンターに向かって「前のと同じやつ」と言った。

 隣のレザージャケットの男が話しかけてくる。「イベント参加者がトイレ行ってたぜ。会ったか?」

「どんな奴」

「目線が尖ってて、肩幅ががっしりした、リー・ナントカっての」

「俺でも勝てそうか?」

 返事の代わりに、隣の男は笑っただけだった。と、〈クルーズ・バー〉に歓声が湧き上がった。フリーランドTVが「《銀星》トマス・ゴードンが、最上層のベンウェイ・バロウズを撃破」との情報を告げたのである。李龍仙はしばらく待った。2×4の監視カメラのうち、自分を追っていたカメラが未だにトイレの前で停止しているのを確認すると、ジン・トニックを置こうとしているバーテンダーから踵を返して、席を立った。

 エレベーター、22階の〈トーキョー・フェイザー〉に向かう。あそこはイーグルス・ホテル内でも屈指の武器屋で、最後まで籠城、となったときにも好都合だろう。このゲーム、要するに、全員を殺す必要はないのだ。強い連中に勝手に潰し合わせて、最後の一撃だけうまいことやればいい。それに、いくら向こうが強くても、顔すら分からない敵に勝つことは難しいはずだ……「コンニチハ」ドアに貼ってある、頭が痛くなるようなポスター(アニメキャラのカラフルな頭髪が一つの頭に虹の七色になるようにコラージュされて、肌部分にはキアヌ・リーブスの顔写真、彼の目線を隠すようにデスメタル調の文字で〈TOKYO PHASER〉とあった)ごとノックすると、気の抜けた機械音声が聞こえてきた。「オキャクサン?」

「ああ」

「イラッシャイ、アイテイマス」李龍仙がドアを開けたのを確認すると、彼の足元に直立していた白い直方体ロボット〈キューブ〉君は、卵型の脚をくるくる転がしながら、通路を進んでいった。一粒一粒が髑髏状になっているビーズカーテンを抜けて、店内に入ると、直交する壁際には様々な武器の陳列された棚が壁一面の窓を半ば覆っている。野球・テニス・サッカーなどのスポーツ用品に、ダンベルや腹筋ローラーなどの筋トレ用具も隣に置かれていた。ガムテープ封を解いただけのダンボール箱には、プロテインの袋が直積みだ。空の光をなめらかに切り取るショーケースに緻密な影を落としている、引き出し機能しかまともに使えない真鍮製キャッシュレジスタの置かれた事務机の裏へ回って、キューブはドアにぶつかった。「マスター」

「イベント中は休業つったろ」

「キイテマセンヨ」

「だってよ、《銀星》がカムバックすんだぜ」てかてかの髪をオールバックに撫でつけた、トーキョー・フェイザーの店主、パージ・デモナコは、奥の部屋からバスローブ姿でゆらゆらとやってきた。机にバーボン入りのグラスを置いて、「働いてる場合じゃねえだろうが」

 李龍仙はショーケースにある銃の一つを指した。デモナコが屈み込み、鍵を外しながら、「現金? カードある?」と顔を上げたとき、彼の眼前には李龍仙の銃口が向けられている。あわててドアへ逃げるが、背中から撃たれ、ドアノブに伸ばしていく手が届かないまま、のたうち回る肩が、事務机に敷かれたペイズリー柄のシーツを引きずって、倒れたグラスが転がり、少し遠くで割れる音が聞こえた。デモナコは両手をかざして視界を覆った。さらに銃声。頭を撃ち抜かれると、パージ・デモナコは動かなくなった。

「マスター」キューブが言った。

 李龍仙はドアの向こうへ死体を引きずった。テレビがつけっぱなしで、まだ李龍仙を追うカメラはトイレ前で静止している。ベッド側面の物陰に死体を隠し、水を入れた洗面器とタオルをバスルームから持ってくると、李龍仙のすねにぶつかってきたキューブが、「マスターヲ、タスケテクダサイ」と言った。李龍仙がタオルで壁の血痕を削るように拭き取っているあいだにも、直方体ロボットは「マスターヲ、タスケテクダサイ、血ヲ流シテイマス」と繰り返していた。脚をころころ回しながら、何度も李龍仙を小突いた。李龍仙は破片になったグラスをゴミ箱に捨て、タオルを絞って、「死ぬって分かるか」と言った。

「電源ヲキラレタアト、起動サレナイノト似タコトダト、マスターガイッテイマシタ」

「君のマスターは死んだ」

「ドウスレバ起動デキマスカ」李龍仙は、直方体ロボットをゆっくりと押し倒した。底面にある脚がじたばたと回った。奥の壁面中心にある正方形の電源ボタンを押し、ロボットを強制終了させた。「マスターヲ、……」事務机の下に押し込んで、李龍仙が顔を上げたとき、店内に猫王とヴァニティが立っていた。

「君ら、イベントの……」

「パージの野郎は?」

「ああ、……兄貴? 店番サボりまくってたから、殺しといたよ」

「俺はヴァニティ。こっちのイベントに丸腰で参加してるバカが、ジェド・カモサカ」

「俺は――」桐島猫王に手を伸ばしながら、ここで机の側面に貼られたポスターをちらりと見て、「キアヌ・デモナコ。よろしく」

 李龍仙から握手を離した猫王は、自分の右手をそっと嗅いだ。やがてふり返り、背後の棚をのんきに眺めはじめる。彼女に話しかけるヴァニティも、事務机から完全に背中を向けた。

 どうやら李龍仙には気づいていないようだ。背後の部屋から聞こえてくるフリーランドTVの実況も、今は《銀星》の話ばかりだった。椅子に緊張を悟られないように座り、シーツのずれを直していくうちに、ここで撃ってしまおうか、という考えが頭をもたげた。無防備な二人の背中を眺めながら、李龍仙はベルトに挟んである銃のことを意識する。いや、相手は二人だ、同時に仕留める必要がある……

 立ち上がった李龍仙は、ショーケース奥の壁に吊られていたMP7サブマシンガンをそっと手に取り、二人がこちらに注目していないことを確認すると、事務机の死角に、すぐ手に取れるように隠した。

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