そうめんと冷や麦と流しそうめんの話

「やったぁ! 今日はそうめんなんだね!」


 おかえりなさい、という言葉に、ただいま、と答えたあと、台所にある食材を見て冬貴が嬉しそうな声をあげる。


「あら、君はそんなにそうめんが好きだったかしら?」

「いや、それがね、今日、昼間に立ち寄ったお店に、テーブルで流しそうめんが楽しめるっていうおもちゃがあってね」

「テーブルで?」

「そう。買おうかどうしようか本当に悩んだのだけどね。それだったら、今度、美晴さんと食べに行こうかと思ったんだよ。近くで体験出来るところがあるみたいだから」

「あら、それは知らなかったわ」



 はらり、とそうめんを束ねている白い紙ひもを解く。


 ポコポコと湯の沸いた鍋に、パラパラパラとそうめんを入れる。


 大きめの鍋の中で揺れるそうめんが踊っているかのようだ。

 そんな事を考えながら、キッチンタイマーをセットする。

 強火で、もう一度沸騰させて、一分半から二分。


「けれど……そうね、せっかくだから、流しそうめん発祥の地域に行くのもいいかもしれないわね」

「発祥の地?」

「ええ」


 吹きこぼれないよう、時々、火加減の調整が必要だ。


「君は、どこだと思う?」

「ええ…? ううん、そうだなぁ……兵庫県とか?」

「有名な企業さんの県ね」

「あれ、違うみたいだね」

「ふふ、そうね。残念」


 ぐつぐつ、ふつふつ。

 鍋の中で白い麺が縦横無尽に動き回る。


「じゃあ、うどんの有名な香川県とか!」

「ぶぶー。不正解よ」

「ブブーって、何いまの可愛い」

「またそう言うことを言って…。あ、水道のお水出してくれる?」

「本当のことなんだけどなぁ」


 ほんの少し不満そうな声に、彼をちらりと見やれば、ザルを手に水道の蛇口をひねった彼がぷくう、と頬を膨らませている。


「僕がやるよ、少しさがっていて」

「あら、ありがとう」


 冬貴の言葉に、持っていた鍋つかみを彼に渡し、火を止めたコンロの前の立ち位置を交替する。


「そうめんはよくもみ洗いするのが美味しさのポイントなんだって」

「冷やすためじゃなくて?」

「ぬめりをとったほうが格段に美味しくなるらしいよ」

「へえ…知らなかったわ」


 ザバザバと水の中でそうめんを洗う彼の横で、今日の薬味を準備していく。


 少し前に用意しておいた刻みネギと、大根おろし、みょうがに、醤油につけておいた青唐辛子。


 ごまと、ラー油、鰹節。それから忘れてはいけないめんつゆ。


「あ、醤油漬け青唐辛子もあるんだね」

「ええ。君はこれに鰹節とみょうがをからめて食べるのも好きでしょう?」

「僕の友達直伝さ!」

「ふふ、それは君から聞いているわ」

「美晴さんは、めんつゆに大根おろしとラー油と刻みネギの組み合わせが最近のお気に入りだよね」

「そうね。まさかラー油がこんなに合うだなんて知らなかったもの」

「今度はキムチとかトマトもチャレンジしてみようか」

「それもいいかもしれないわね」


 トレイの上に、いくつかの薬味をのせた小鉢を並べていく。

 幼い頃は、卵焼きや、きゅうり、わさびやネギなど、そうめんと言えばとてもシンプルなものだったけれど、いつの間にか、我が家のそうめんの日の食卓はにぎやかなものになった。

 次はまた別のものが増えそうだ。

 そんな事を思いながら、冷蔵庫に冷やしておいためんつゆを取り出す。


「そういえば、そうめんと冷や麦の違いって何だろう?」

「…君はてっきり知っているのかと」

「にゅうめんがそうめんの温かいもの、ということは知っているよ。ああ、あと、室町時代には、今のこの形になった、っていうことも知ってる」

「それは私は知らなかったけれど…そうなの?」

「ええとね、確か、唐の時代に伝来した唐菓子のひとつの索餅さくべいがもとになったんじゃないか、っていう説があるんだよ」

「そこから室町時代まで時間をかけて、今の形になったのね」

「そうみたいだね」


 ザバァ、と十分に洗い、冷やしたそうめんを水を張ったボウルからあげ、ザルを上下に揺らし水をきる。


「お、このお皿の今年の夏デビューだね」

「ふふ、そうね。氷水にしておいてもらえるた助かるのだけれど」

「任せて!」


 磨りガラスの波型の模様が綺麗なそのお皿は、

 光を通した時にテーブルにうつる模様に一目惚れをして去年、私が買ってきたものだ。

 我が家ではすっかり麺類や、フルーツポンチなどをよそる夏の主役として大活躍している。

 そんな磨りガラスのこのお皿は、今日が今年の夏で初めて使う日。

 一年越しではあるけれど、やはり気に入ったお皿を使うのは、いつだってわくわくしてくる。


「やっぱり、このお皿とそうめんが組み合わさると夏! って感じがするね」

「ふふ、そうね」


 薬味の支度も出来た。

 カラン、とそうめんを入れた器の氷水が、軽やかな音を告げる。


「ご飯にしよっか! 洗い物はあとで僕もやるよ」

「ありがとう」


 そうめんの器とめんつゆを冬貴が、薬味と飲み物を乗せたトレイを私が持ち、テーブルへと向かった。



「あ、ねぇ、美晴さん。さっきのそうめんと冷や麦の違いなんだけど…僕、わかったかもしれない」


 何口かそうめんを口に運んでいた冬貴が、磨りガラスの器からそうめんを持ち上げながら私を見やる。


「そうめんのほうが細くて、冷や麦のほうがちょっと太い?」

「正解、だけれど、少し足りないかしら。ええと…でも…」

「でも?」

「今の作り方だと、君の答えも正解なの」

「今の、ということは、昔は太さ以外にも違いがあったんだ?」

「ええ。主な原材料として、小麦粉、水、塩を使うのは同じなのたけれど、昔はそうめんにだけ乾燥を防ぐために油が使われていたの。今は冷や麦も同じように油を使うところもあるみたい」

「へえぇ。なんで昔はそうめんにだけ油を使っていたの?」

「それは、作り方の違いね。そうめんは手延べ麺、といって、棒状の生地をどんどん細く伸ばして作っていたでしょう?」

「この前テレビで見たやつだね」

「ええ、そう。けれど、冷や麦は、練った生地を大きく伸ばして切っていく作り方だったから乾燥を防ぐ油は不要だったみたい」

「なるほどねぇ。蕎麦とかうどんと同じ作り方が冷や麦だったんだね。あれ、でもさっき、美晴さんは今の作り方、って言っていたよね? となると、今は冷や麦もそうめんと同じように、引き伸ばして作っているということかい?」

「そういうところもある、が正解かしら」

「なるほど」


 そう言って、冬貴がまた氷水の中のそうめんに手を伸ばす。もう少し茹でたほうが良かったかも知れない、と思いつつも、まあまだ大丈夫かな、とスルスルとそうめんを食べていく彼を見ながら考える。


「ああ、それと」

「それと?」

「断面でそうめんと冷や麦は違いがあるの」

「断面?」


 麺つゆの中に残っていた麺を見ながら、冬貴が不思議そうな声をこぼす。


「そうめんの断面は丸、冷や麦の断面は四角。そうめんはさっき言ったように、作る時に棒状に伸ばして、麺を細くしていくから丸になるのだけれど。冷や麦は生地を打ち伸ばして切るから四角になるの」

「本当だ。確かに丸いね」

「ええ。ただ、関東では、というよりは西と東、の差なのだけれど。機械で作る麺が多い東日本だと、冷や麦もそうめんと同じ作り方をするから断面は丸いの。だからこちらの地域では断面で見分けるのは難しい。けれど西日本では、そうめんといえば手延べ麺、といわれるくらいに手延べ麺が流通しているから、西日本では断面での見分けができるはずよ」


 そう言って、さきほどの冬貴と同じように、磨りガラスの器で泳ぐそうめんを箸ですくった。



「あ、ねぇ、美晴さん」

「何かしら?」

「流しそうめんの発祥の地って結局どこなんだい?」

「ああ、それは…。そうだ、ねぇ日本神話で、天界にいた神様の中から、天照大神アマテラスオオミカミの孫である瓊瓊杵命ニニギノミコトを中心とした神様たちが、降り立った土地といえば?」

「宮崎県の高千穂だね! え、高千穂が流しそうめん発祥の地なの?」

「ええ。昭和三十年に商業化したのが高千穂峡だったそうよ」

「案外、新しいんだね」

「そうみたいね」

「高千穂かぁ……。じゃあ今年の夏は、高千穂町に流しそうめん食べに行こうか?」

「あら、私は冗談で言ってみたのに」

「せっかくだし、ね?」


 そう言って、またそうめんをすくい出した冬貴を見て、私は小さく笑った。











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