二十五. 灯明の道しるべ⑩



 「冬乃さん、申し訳ない・・」

 

 京屋の中へ入っていた近藤が、いつのまにか戻ってきていて、

 そんなふうに横合いからふと声をかけられた冬乃は、驚いて顔を向けた。

 

 「できればずっと貴女が総司の傍に居てくれたら、このさき総司にとってどれ程の支えと援けになるかは計り知れない、」

 

 (え・・?)

 

 「だが・・一方で・・」

 

 「皆其々に、“傍に居てほしい者” との別れを済ませてきている。出来ずじまいだった者もいるだろう、」

 言い淀んだ近藤の前で、突如土方が継ぎ足した。

 

 「総司だけ特別扱いするわけにはいかねえ。・・それに何よりも、」


 「いや俺は・・それはいいんだ、ただ・・」

 近藤が何故か未だ言い淀む横で、

 

 「俺もちっとも気にしねえぜえ」

 近藤と共に出てきていた原田が割って入る。

 

 

 京を出る時、皆いつかは帰ってくるつもりでいた。

 それでも全面戦争開戦の可能性を前に、いくら常日頃から死と隣り合わせとはいえど、より一層に覚悟して臨んでいた。 

 それゆえ愛しい者との別れを済ませてきた者も多く。

 原田もまた、そんな一人なのだろう。

 

 「・・原田は黙っててくれ、話がこじれる」

 「うへい」

 溜息をついた土方に、原田が肩をすぼめた。

 

 

 「正直、おまえには医者と共に、本隊から離れてついてきてもらう手が無いわけではない」

 

 (・・え?)

 土方の振ってきた今の台詞は、聞き間違いかと、

 冬乃は驚いて彼をまじまじと見遣った。

 

 「賄いの心得があるおまえは、その点で大いに組の役にも立つ。加えて、戦地であろうが近藤さんには書状関連の仕事も当然、必要になる時がある。おまえがいれば助かるだろう」

 

 聞き間違いどころか、更にそんな台詞が重ねられる。

 

 「ああ、」

 近藤が大きく頷いた。

 

 「しかも冬乃さんには、何かあった際にも己の身を己で護れる腕がある。・・それでも、こればかりは冬乃さんがどんなに強くとも、総司の心配は尽きぬだろうが・・」

 

 おもわず沖田を見遣った冬乃へ、当然だと言うように沖田が眉尻を下げた。

 

 

 「どうであれ、だ」

 

 土方の遮るような物言いに、冬乃ははっと再び彼を向いた。

 

 「何があるか分からねえのが戦さだ。戦場の後方とはいえ、ついてきてもらう者達も、兵ではない身でありながら常に危険に曝されることは言うまでもない。・・これも、おまえは未来を知っている分、おまえなら事前に回避できる可能性はあるが、」

 

 「だがあくまで可能性だ。おまえは周りで何が起こるかを知っていても、おまえ自身に何が起こるかは、知らないだろう。つまりおまえがその危険を確かに回避できるかまでは、知らない。そうだろう」

 冬乃は、茫然と頷いて。

 

 「常の危険の中、安全の保障が不確かな状況におまえが居ることで、総司の力を鈍らせるわけには絶対にいかねえ」

 土方が沖田を一瞬見遣り。

 

 「総司は、近藤さんを護る“かなめ” だ。戦場に於いて常に最大の力を発揮していてもらわなきゃ困る」

 

 

 「成程・・冬乃さんは、沖田の両刃の剣ってところか・・?」

 寄ってきた永倉までも話に入って。

 

 (両刃の、剣?)

 

 「古来からの決まりだわな」

 原田が真顔で頷いた。

 

 「その存在は、大いなる力の源にも成り、大いなる弱さの源にも成る、まさに両刃の剣の如し」

 

 その存在――愛しい者を、指して言っているのだと。

 

 

 (・・私が総司さんの・・弱さ・・・)

 

 

 

 「それとも今、ここで誓えるか総司。近藤さんと、こいつ、もしどちらか一人しかその場で救えぬ状況になった時、近藤さんを迷わず救うと」

 

 

 瞠目した冬乃の前で。珍しく近藤が、険しめに眉間を狭めた。

 

 「歳、やめろ」

 

 「いや、誓ってもらう。でなければ、万一にもこいつを戦地へ連れてゆくことは俺が断じて許可できねえ」

 

 

 沖田が、冬乃の目を見た。

 

 深く籠められたその眼差しを、冬乃は見つめ返して。

 

 

 冬乃は、次には。そっと、微笑み返していた。

 

 

 (総司さん・・私は大丈夫です)

 

 

 

 冬乃の想いを汲んだように、沖田はやがてその眼を逸らした。

 

 

 

 

 「俺にとって近藤先生は主君です。誓うに決まってるでしょう」

 

 

 

 「総司・・・」

 

 「同様に最愛の妻である冬乃も、当然救います」

 

 

 (・・え?!)

 

 「おい、」

 

 「いま誓ったのは、そうなったら近藤さんを救うという意味だろう」

 「そうですよ」

 「ならこいつも救うとはどういうことだ」

 「そのままの意味ですよ」

 

 「・・・どちらも救うと言いたいのか」

 

 「そうだ、総司の腕ならばそれも可能だ、歳」

 沖田のまさかの答えに相好を崩した近藤が、土方の肩をぽんと叩いた。

 

 「腕の良し悪しの話をしてるんじゃねえっ、どちらか一方しかその場で救えない状況になった時の選択を聞いているんだ!」

 

 「俺にとっては、詰まるところ同じ事です」

 沖田が至極真面目な顔で答えた。

 

 「闘いの場で採るべき最善の判断など一寸毎に変わる、結果その判断次第で状況も変えていけるという事です。

 俺がこの剣で其れを尽くしても、未だ一方しかその場で救えぬ状況になど、然う然う陥りませんよ」

 

 

 絶句した土方に、

 「もし近藤先生と冬乃が、怪我等なく」

 沖田がけろりと継ぎ足す。

 

 「二人もまた剣を振るうに万全である場合には、尚更です」

 

 

 始終嬉しそうな近藤の隣で。土方が最早、唸った。

 

 「・・詭弁・・というわけではなさそうだな」

 

 「俺を誰だと思ってるんです、土方さん」

 沖田が飄々と返す。

 

 「最愛の妻なんて人前で平然と言える奴は、原田だけじゃなかったんだな・・」

 横では永倉がひとり別の意味でしみじみと感動していた。

 

 

 「それと、もう一つ」

 更に沖田はにんまりと不敵に哂った。

 

 「俺は“新選組の剣” として此れ迄、まさに剣と一心同体でやってきた身です。その俺が“両刃の剣” でこの身を誤って斬るとでも・・?」

 

 (・・あ・・)

 

 沖田が再び冬乃を見て。

 

 謎かけのような、その戯れた物言いの中に、

 冬乃は刹那、彼の冬乃へ向けた言葉を聞いた気がした。

 

 大丈夫、心配しなくていいと。

 

 

 冬乃が、きっとどんなに沖田の弱さの源であっても、それでも。

 

 心身とも剣に擬える鋼の強さを持つ彼が、

 採るべき道を、惑い誤ることは無い。

 

 またそうして変わらずこの先も努めてゆく意志をも、伝えているかのように。

 

 

 「こりゃあ一本取られたか、歳さん」

 永倉が愉快そうに、つい昔の呼び方になって笑った。

 

 「総司のこの度量と、腕をもってすれば“特別扱い” だろうが構わないじゃないか、」

 近藤が安堵の面持ちすら滲ませ、再び土方の肩を叩いた。

 

 「いいだろう、歳。特別扱いとは言ってみても、先の話の通り、冬乃さんが居てくれるなら、総司だけでなく組にとっても大いに有難いことであるわけだし」

 

 「総司が近藤さんを護るに於いて支障は出ないと“誓っている” 以上、あとは近藤さんがいいなら俺はいいさ」

 土方が、フンと鼻を鳴らした。

 

 「よし。皆も異論のある者はいるか」

 近藤が場を見渡す。

 

 「俺は勿論、あるわけねえぜ、おむすび食いてえ」

 それかよ、と土方がげんなりと原田を見遣る。

 

 「俺も無いよ」

 永倉がつるりと頬を撫でた。

 

 「つうか大体、冬乃さんが居なくなりゃ、真っ先に困るのは近藤さんじゃねえかと思ってたしよ。実際どうするつもりだったんだ?

 近藤さん自身も、土方さんも島田さんも沖田も、皆して戦場出てりゃ、もう誰も書状仕事やっておいてくれる奴いねえぜ。よしんば持ち回りにしようが・・いっとくけど俺はむりだぜ近藤さん」

 

 「俺もむり」

 原田がすかさず同調し。

 

 この場にじつは長らく静かに佇んでいた斎藤にも、皆の視線が回った。

 

 「・・俺もできません」

 むしろ言わされたように彼がぼそりと返す。

 

 「ああ全くだな、俺が困るところだった」

 近藤が笑って締めくくり。

 

 そして、沖田に向き直った。

 

 

 「総司すまなかった、さっきは、冬乃さんを江戸に残してゆくよう言ってしまい」

 

 (え・・)

 

 命じたのは土方だろうと思っていた冬乃は、息を呑んだ。

 

 「・・俺は、冬乃さんが江戸ではなく戦地でおまえの傍に居ることで、却って万一にでも・・まさに両刃の剣の如き事態が起きやしないかと、つまりは、冬乃さんが江戸に居れば起きずに済むかもしれぬ何かの危険が、おまえの身に及ぶ事態を・・、案じてしまった」

 

 「おまえであればこそ、それは杞憂だと信じてもよかったものを」

 近藤が溜息とともに弱く微笑んで継ぎ足した。

 

 「そうですね。一番弟子を見くびってもらっちゃ困りますよ先生」

 沖田が再び、敢えて戯れた物言いで返す。

 

 「ああ、すまなかった」

 近藤が笑った。

 

 「・・だが最後に確認させてくれ。正直なところおまえ自身はどうなんだ。冬乃さんには一緒に来てもらいたいと、やはり心根では思っているのか?・・案じてもいるんだろう」

 

 

 冬乃ははっと沖田を見上げた。

 

 応えて見返してきた彼の眼差しは、冬乃を大切に想ってくれている、あの常のもので。けれどその中に、冬乃も知りたい彼の本音は、見つけられず。

 

 「歳が言うように、」

 冬乃の前で近藤が、答えを促すように続ける。

 

 「いくら後方では銃弾こそ飛び交わずとも、何があるかは分からぬ。冬乃さんが危険な目に遭う危険性は、江戸に留まっていてもらうより遥かに高いかもしれない。それでも望むか」

 

 

 「・・正直、江戸に居てほしい思いが半分、だがそれは、冬乃にも辛い思いをさせると分かりきった事」

 沖田は息を吐き出した。

 

 「一緒に来てほしい思いが残り半分・・俺は、先生が許可下さる以上は、喜んでその半分を採ります」

 

 (あ・・)

 

 

 「心配は勿論尽きませんが、来てもらうからには護り抜くつもりでいますから、・・今生の別れが早まるより少しでも最期まで傍に居てもらえるほうこそ、心根で望む事です」

 

 

 (・・総司・・さん・・・)

 

 

 「そうか」

 

 近藤が大きく頷いた。

 そして沖田と冬乃を交互に見て、なんと頭を下げてきた。

 

 「やはり辛い選択をさせるところだった。二人とも許してくれ」

 

 「そんな」

 慌てる冬乃に、やがて頭を上げた近藤が顔を向ける。

 

 「冬乃さん、改めて、我々と来ていただけないだろうか」

 

 

 冬乃は。心から溢れ出す想いのままに、

 

 「はいっ・・・!」

 

 近藤へ大きく笑顔で返した。






 

 

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