二十五. 灯明の道しるべ⑧



 答えになど。何夜、思考を重ね続けても結局当然のように、辿りつけずに終わり。

 

 その時が来たら、その時の沖田にとって最善であろう選択肢を採るしかないと。

 そんな、答えにもなっていない先送りの結論にだけ辿りついてから、冬乃の思考は停滞している。

 

 

 (ばか私・・)

 

 全てが未だ不確かだった頃ならいざしらず、

 

 元の歴史で沖田が発病した時期を、確かに越したその時からは、

 思えば戦地に赴く沖田と離れ離れになる未来など想像できてもよかったものを。

 

 そんなふうに思い至ってのち冬乃は、己に呆れて嘆息してばかりだった。

 

 尤も、早くに想像できていようと、導き出せる結論には、かわりなかったのかもしれないけども。

 

 

 第一、この先の事を考えたくもない。

 

 それは此処に来た時から、そして今この瞬間も変わらず。

 できるかぎり考えないように、

 

 冬乃はそうしてずっと、この先に向かう未来に向き合うことから逃げて、思考を閉ざしてきたのだ。

 

 向き合うべき時は、

 もうとっくに来ているというのに。

 

 

 

 「本日もこれで失礼させていただきますが、御用の節はいつでもお呼びつけくださいませ」

 

 「ありがとうございます・・おやすみなさい」

 「ごゆるりとおやすみなさいませ、姫様」

 

 閉められてゆく襖を見守り、冬乃は横の火鉢に手をかざした。

 

 

 去る三日に開戦を迎え。

 やがてまもなく討幕側に翻った錦の御旗により、諸藩が続々と『官軍』に与し、戦況は一気に悪化し。

 六日の今夜にかけて、旧幕府軍は続々と大阪へ退却してきている。

 

 今頃、新選組も近くまで来ているはず。

 

 いま城内は、先日とは別の喧噪で満ちていて、

 治療中の兵の絶叫が、此処まで聞こえてくるたび侍女が不安げに外を見遣っていた。

 

 入城してくる負傷兵の数は増え続けており、本丸から派遣された御殿医や市中から動員された医師達が、昨夜から寝ずの対応にあたっているも、西側屋敷に収容しきれなくなるのは時間の問題だろう。

 

 

 明日になれば新選組も、入城してくる。

 

 そしてその前――今夜遅くに、

 慶喜は城を、つまり旧幕府軍の兵達を、捨てて、江戸へ帰ってしまう。

 

 のちにそれを知った彼らの失意を想うと、冬乃の心は締め付けられた。

 

 

 でも同時に一方で、沖田との再逢を待ち望んできた日が、明日漸く来ることにどうしても浮き立ってしまう心も抱え。

 

 今夜も簡単には寝付けそうにないと。冬乃は早くも諦めの溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 凍てついた乾風の吹き荒れる、曇天の下。

 

 真っ先に、逢いたかった存在を見とめて、冬乃は駆け寄りたくなる衝動を必死に抑え、

 

 冬乃の居る屋敷の前に居並んだ新選組の面々を、広い玄関口で出迎えた。

 

 

 侍女は、すでに今朝早く本丸へ呼び戻されている。

 併せて冬乃の部屋と隣の重要書類を納めてある部屋以外、全て荷物も出されて空になっているはずだ。

 

 入れ替わるようにして今朝から、西側屋敷を遂に溢れ出た兵士達で、此処の屋敷一帯も徐々に埋まりつつあった。

 

 

 「それでは皆の方々、何時でも召集に応じられるよう準備は怠りなさらずも、今のうちにしかと休んで英気を養ってください。では一時解散」

 

 (あ・・)

 近藤の合図を皮切りに、皆が玄関を入ってきて適当に空部屋を求めて廊下を行き出すなか、

 沖田がまっすぐに冬乃へ向かってきてくれるのを、冬乃の目は一寸も離せずに追う。

 

 まもなく冬乃の前に立った沖田を、冬乃はかける言葉も忘れて見上げた。

 

 遠目で見ても怪我一つ無い様子で既に安堵してはいたものの、こうして近くで見ても確かに無事なさまに、深く息をつく。

 「・・お、おかえりなさ」

 何か言葉をと咄嗟に思い出して口奔った冬乃の、片頬へ大きな手が添えられる。

 

 「ただいま」

 おかえりなさいの挨拶は適切なのか、口にしてから分からなくなったけれど、

 沖田が合わせて返してくれたので、冬乃は思わず微笑み返した。

 

 「おい」

 そこへ急に、横から土方の声がして。

 冬乃はぎょっとして声の主を向いた。

 

 「書類の部屋は何処だ」

 (・・あ)

 

 見れば土方の背後には近藤たち幹部も居た。目が合うと近藤が、邪魔してすまないと言うかのような表情で、冬乃を見返してきて。

 

 「・・・こちらです」

 沖田が自然に冬乃から手を離す前で、冬乃は残念な気持ちに見舞われるのを急いで隠し、皆を案内し始めた。

 

 

 

 

 「あの、・・山崎様と井上様は・・」

 

 書類を納めている部屋に、幹部達がひとまず腰を下ろしてゆくのを見守りながら、

 冬乃は誰に対してともなしに、問いを投げた。

 

 真っ先に土方が冬乃を向く。

 

 「山崎さんは重傷を負って、動くのは厳しいため、京屋で安静にしてもらっている」

 (あ・・)

 

 京屋とは、大阪淀川の船着場にある新選組の定宿だ。

 

 冬乃は少しばかりほっとした。

 生きていてくれるならまだ、会える機会も残っている。

 

 「井上さんは銃弾を受けて死んだ」

 

 だが続けられた土方のその回答に、冬乃は肩を落とした。

 

 「おまえなら知ってるんじゃねえのか」

 投げ返された問いに、

 冬乃はどきりと顔を上げる。

 

 「はい・・、でも後世に遺されている記録が、不正確な時も無いわけではありませんので・・」

 

 「なあ、俺の命日っていつなんだ?」

 突如、横合いから原田が世間話のように聞いてきて、冬乃は目を見開く。

 

 「やめておけ」

 土方がすぐに制した。

 「今日、と言われたら、おまえどうする気だ」

 

 「は、どうせ今日はもう戦さに出ねえだろ?だったらおまさのところへ帰る!おまさの膝枕で死ぬ!」

 原田がすぐに胸を張った。

 

 「・・だろうよ、だからやめとけ。慌ただしくなるだろが」

 土方の返しに場の皆が失笑する中、冬乃はもう何も言えない。

 

 

 此処に居る誰もが、かわらず死をあたりまえのようにして生きている武士。

 

 (だから、・・)

 

 戦場で散ることは、その最たる栄誉の死だと。

 それが彼らの望みと、

 わかっているつもりでも。

 

 

 「もし・・戦さで鉄砲なんて使われなかったら、井上様は・・。鉄砲なんて、ずるいです、正々堂々と闘わないで、遠くから撃つなんて」

 

 (井上様・・・)

 胸につかえていた想いが、おもわず溢れ出て。

 

 

 「嬢ちゃん、そりゃ違うぜえ」

 

 (え?)

 原田の遮りに、だから冬乃は驚いて彼を見返していた。

 

 

 「もちろんよ、井上さんほどの力量の人が、刀で戦うことなく死んじまったのは、俺達にとっちゃ悔しいけどよ、井上さんを撃った奴だって、戦さの中で正々堂々と闘ったことに変わりはねえ」

 

 (・・あ・・・)

 

 

 戦場に出て命を張っていることに、

 刀で戦う人も、銃火器で戦う人も、違いはないのだと。

 

 (そう・・だ・・)

 

 

 「まあたしかに、」

 土方が溜息をついた。

 

 「それでも刀同士でやりあうのとはわけが違う。大砲やら鉄砲やらはどいつも、扱うまでに刀ほどの長い鍛錬は要らねえ、その点じゃずりいっちゃその通りかもしれねえがな」

 

 「まあな。・・ま、なにも戦さで撃ってくんのは今に始まった事じゃねえし、」

 原田が継ぎ足した。

 

 「とっくに元亀天正の時代からよ。今更もろもろ文句言ってもしかたねえってこった」

 

 (・・あ・・・)

 戦国時代、

 言われてみればその頃から、とっくに銃火器は使われてきた。

 彼らにすれば、端から承知の事でしかないのか。

 

 

 「それに大砲や銃がどれだけ改良されようが、しょせん間合いの内じゃ、刀に勝るものはねえ。それぞれの得意とする範囲が異なる、それだけの違いさ」

 

 土方の言葉に、はっと冬乃は再び土方を見遣る。

 

 「・・ただし刀を腰のお飾りにしてきただけの、なんの鍛錬も積んでいねえ奴じゃ、勝手はどうだか知らねえが」

 

 続いた棘のあるその物言いに、冬乃は目を瞬かせた。

 

 もしかしたら、戦さで役に立たなかった『ぬるま湯育ち』の一部の旗本などを、暗に責めて言ったのだろうか。

 

 

 「ようするによ、」

 原田が締めくくった。

 

 「俺達の場合は、刀の得意とする接近戦にまで、どう持ち込むか、そこが練りどころって事よ」

 

 

 「ちゃんと分かってんじゃねえか」

 (え)

 

 土方から何故か、新たに棘のある物言いが飛んだ。

 

 「そのわりに、随分と銃弾の中を走ってくれたもんだな?迂回しろと何度言わせんだてめえ」

 

 「だ、だってよお・・時間かかってめんどくせえじゃねえか・・」

 原田が急に及び腰になる。

 

 「めんどくせえで無駄に命落とす気かッ」

 

 遂に真剣極まりない土方からの叱責に。

 

 「わるかったよ・・次から気をつけるよ・・」

 そして原田は項垂れた。

 

 猪突猛進に突っ込んでゆく原田の姿をありありと想像してしまった冬乃は、原田の今後の無事をおもわず祈る。

 とはいえ史実では、彼は近藤よりも後まで生きているから、まだ今はもう少し安心してはいるけども。

 

 「でもよ」

 よしよしと原田の肩を叩いた永倉が、つと息を吐いた。

 「源さんの名誉のために言っておくと、源さんはしっかり土手を回り込んだ先で、対向に潜んでやがった奴に撃たれたんだよ」

 

 「ああ、そう聞いている」

 土方が一瞬悲痛の表情を浮かべ、頷いた。

 

 「畜生・・」

 原田が悔しげに顔を歪め。

 「源さんたち喪っちまった犠牲を、無駄にはしねえくれえ、結果はどこでだって俺達の勝利だったのによお、畜生・・」

 

 どこでだって、と原田が言ったのを受け、冬乃は顔を上げた。

 

 (それって)

 

 新選組は、犠牲を払いながらも、

 元の歴史以上に、各戦場での闘いを結果全て勝利に導いたということではないか。

 

 (・・じゃあ、なのに)

 それでも孤立するわけにはいかないために、敗走する旧幕府軍に引っ張られるかたちで、大阪への撤退を余儀なくされたのだろう。

 

 それでは却って悔しさを募らせながら退却してきたであろう彼らを想うと、冬乃は胸が痛くなった。

 

 「やってらんねえよな・・」

 永倉が吐き捨てた。

 

 「ああ・・こっちの軍の動きはどうも始終無駄が多くていけねえ。向こうは敵ながら統率の良くとれた動きをしてやがるってのに」

 土方も大きく嘆息した。

 

 「あれじゃ、せっかくの最新装備も一々宝の持ち腐れさ。結局、捨て置いていきやがって、随分と向こうにくれてやったことだろうよ」

 

 「全くだな」

 近藤が哀しげに頷いた。

 

 こっちとは、諸藩を合わせた旧幕府軍の事だろう。

 新選組単体でいえば、近藤土方を軸に当然、統率がとれていたはず。だが、

 

 旧幕府軍全体では、効果的な軍略や指揮の欠如によって寄せ集めの状況を免れ得なかったという事だろうか。

 

 それらは、装備と軍規模の圧倒的な差をもって、勝てるに決まっていると端から高を括っていた旧幕府軍の、その驕った意識が招いた事態だったのかもしれない。

 

 

 「数で圧してる内は、それでもまだ何とかなっちゃいたが、“偽旗” が出た今となっちゃそれも無え有様だ」

 

 諸藩や、多くの幕兵が、錦旗を前に剣を下ろし、味方の数が激減したのち、

 

 尚の事、入念な戦略と統率が絶対不可欠にもかかわらず、

 それが無いままで来たのならば、大きな敗因に結んでしまったことだろう。

 

 

 「ああ・・これまでと同じでは到底持ち直せまい」

 近藤が継いで。

 

 「これより急ぎ御老中板倉様に是が非でもお目通り願い、軍略構想を上申しようぞ」

 「そうだな」

 

 

 (でも、もう・・)

 冬乃は膝上の拳を握り締めた。

 

 板倉も、既に此処には居ないはずで。

 

 それどころか、慶喜が、昨夜に城を出て江戸へ帰ってしまったことも、もうまもなく知れ渡るだろう。

 

 そこから全軍の士気は、地に落ち。

 

 難攻不落の此処、大阪城での立て直しを望んできた兵士達は、落胆に打ち拉がれ、

 

 自刃してしまう者も出て。

 

 (・・いま、私の口からはとても・・)

 

 いま冬乃が伝えれば、彼らにより早くそんな苦しみを招いてしまうだけ。彼らが知る時は一寸でも遅くあってほしいと思ってしまう。

 

 

 やがては、慶喜を追って江戸の地での再起を切望し、その士気を再び持ち直せた兵士達だけは、

 船に乗り込み、江戸へと向かうことになる。

 

 新選組も、その中にいうまでもなく在る。

 

 

 だが彼らがそうして不屈の精神で、その士気を持ち直すまでには、どれほどの惨苦と葛藤に苛まれることか。

 

 (そして・・)

 

 慶喜は戦うを放棄し、恭順を選んだ以上、

 

 

 恐らく近藤は、いずれ――――






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る