一八. うき世の楽園①
閑静な枯山水が。
冬乃の眼前の空間に、小宇宙を成し。
「すごい・・きれい・・・」
沖田に後ろから抱きかかえられるようにして連れて来られた、この庭先で。冬乃は今、沖田の厚い胸板に頭を凭せ掛けたきり、眼前にひろがる幾何学的な砂のうねりに魅入っていた。
広い間取りとはいえ豪奢な内装を敢えて避けたこの家に、合わせるように小さな庭園で、広々と表現された世界の容。
ふたりだけの家の庭で、沖田とふたりきりで。こんな景色を見られるなんて。
冬乃は感動に瞳を潤わせ。
「冬乃なら気に入ると思った」
背に直に響く嬉しそうな沖田の声に、冬乃は庭から視線を外し、後ろへと顔を擡げる。
「総司さん・・」
額に口づけを受けて冬乃は、そのままうっとりと片頬を預けた。沖田の心の臓の鼓動が聴こえ。
目を瞑った。
冬乃を抱きくるめる腕が強まり。
「冬乃」
甘く冬乃の名を囁いてくれる、愛しい声。
幸せすぎて。
眩暈がやまない。
冬乃の幾度めかのふらつきに。沖田は、冬乃の体をいっそ腕に抱き上げてしまうべく、さっさと屈んで彼女の両脚を攫った。
「きゃ」
当然に驚いた声が起こるも、すぐに冬乃の細い腕は沖田の首へと回る。
冬乃も心得たものだと、沖田は内心笑ってしまいながら、
思い返してみれば、すでに数えきれぬほど冬乃を抱き上げているのだ、彼女のほうも慣れたものだろうと、思い直す。
そう、冬乃を初めてこの腕に抱いたのは彼女が此処の世に来た、まさに最初の日、
あの時からだったと。
「総司さん・・」
沖田の肩へと頬を寄せ、冬乃は安心しきったようにその身を沖田に預け、見上げてきて。
その見るからにうっとりと蕩けているまなざしを、間近に見下ろし。湧き起こる情のままに潤う唇に貪りつけば、
冬乃は小さく喘ぎながら、常のように懸命に沖田を受け入れてくれる。
「ン…」
冬乃の吐息が漏れ。腰奥で点る情慾を。沖田はそして、
今この時からは、もう抑えなくてよいのだと、
唇を離した沖田を追うように瞼を擡げ、覗いた艶をおびた瞳に。確信し。
部屋へと、冬乃を抱きかかえたまま振り返る。
刹那に冬乃に奔った緊張を感じた。
「・・冬乃」
どうほぐしてやればいいものか。
沖田は目下の冬乃の額へ、再び口づける。
「大丈夫・・・」
かけてやれる言葉を探りながら、
「・・優しくするから」
冬乃の揺れる瞳を見下ろす。
冬乃の顔が、見事なまでに紅く咲いた。
(総司さん)
彼の台詞のとおりに、すでに優しく冬乃を気遣うその眼を、それでも冬乃は見つめていられずに逸らした。
どんなに努めても。
緊張に息は上がって。
(ちがう・・)
これは緊張なのかすら、もう。
冬乃の体の奥から迫りくるように熱を感じる。むしろ、これは、
期待・・。
更に全身が火照った冬乃は、慌てて俯いた。
意図したわけでなくても、ほとんど自分から誘ったも同然なのに、この展開についていけていない。自分自身にすらも。
苦しいほど激しい心臓の音を胸に、きつく目を瞑った冬乃の。体が、そしてふわりと畳へ横たえられるのを感じた。
続いて瞼へと、掠めるような口づけ。
(え・・)
おもわず目を開けた冬乃を、
「少し待ってて」
見下ろす優しくて熱い眼。
射貫かれたように息を呑み固まる冬乃の、心内を知ってか知らでか沖田がひどく愛おしげに、そんな冬乃の唇にも口づけを掠めて、
おもむろに立ち上がった。
沖田の大きな背は、押し入れへ向かい。さらりと開けると、布団を取り出した。
(あ、・・)
軽々と布団を持ち上げたまま振り返る沖田から、冬乃は急いで顔を背ける。
畳に寝たままでいるのが恥ずかしくなって、起き上がりかけた冬乃の、
横に、静かに布団が下ろされ。
すぐ再び沖田は立ち上がると、開け放っていた庭隣の部屋との境界へ行き、面する襖をすっと閉めた。
部屋の中が、緩やかな隙間からの光を残して、薄暗くなる。
恥ずかしがる冬乃に気遣ってのことだろう。
(も・・もう)
心臓が・・・
こちらへ戻ってくる沖田に、目を合わせられるはずもない冬乃は。
胸の激しい鼓動の苦しさに、半ば起こしていた体の横へ、咄嗟に片腕をついて。
「冬乃・・」
すぐ傍まで来た沖田から、だがそっと呼びかける声が落とされ。
浅い呼吸に乱されながら。冬乃は観念し、沖田を見上げた。
同時に、シュッと擦れる音がして、
目を凝らす冬乃の前。立ったままの沖田が、自身の袴の紐を解き、
息を殺した冬乃の薄闇の視界で、
その場に袴を落とした着流しで一歩、冬乃の前へと更に近づいて。
ふたたび蛇の前の蛙のように、動くことができなくなった冬乃は。
肘で身を支え起こしただけの、危うい姿勢のまま、
全く沖田から視線を逸らせず、
まもなく冬乃の傍らで片膝をついた沖田の、
伸ばした手へ、どきりと慌てて視線を流し。
冬乃がなお固まったまま見守る先、沖田の手は冬乃の背へと向かい。帯の結びを捕らえた。
「緊張してるね・・」
すぐ真上で沖田が気遣うように冬乃を覗き込む。冬乃は只々首を振って遂に俯いた。
帯に向かっていない沖田のもう片方の手が、そんな冬乃の髪を優しく撫でた。
「大丈夫・・・心配しないでいい」
もう一度、そうして沖田の低く穏やかな声で囁かれたその言葉は、冬乃を包み込むように優しく。
(総司さん)
冬乃は続くままの激しい鼓動のなかで、小さく頷いた。
背にあった帯結びが、ゆっくりと冬乃の胴で回され。結び目が胸の下まで来た時、
そして冬乃は、横の布団へそっと押し倒された。
布団の柔さを冬乃の背が感じた刹那、
冬乃の前の結びは、するりと沖田の慣れた手つきであっというまに解かれ。
続いて襦袢の紐を。
解かれるとともに流れるように肩先から、襦袢ごと両の襟がすべり落とされる。
大きく露わになった乳房を、沖田の両の手が優しく包み込み。
「ん…っ」
次には喰らいつかれるように、冬乃の唇は塞がれた。
「ン…ふ、…っ」
舌を絡められ。次第に息もつけないほどの、
激しさと。
相反して丁寧に繊細な、彼の指先での愛撫が、同時に冬乃の肌を辿り始め、
冬乃の、内の熱を殊さらに煽ってゆき。
早くも身の奥から痺れだす感に、浅く細かく乱れだす息に、喘いで、冬乃は咄嗟に沖田の太い肩へ手を遣った。
追いつけない。身の奥の熱が、彼を求め溢れ出てくる想いが。
どうしても震えてしまう冬乃の心を、待たずに急激に押し上げてゆくようで。
もうひとつの禁忌になってしまうかもしれない、そんなこと、
晴やかな迄に一度は覚悟したというのに。
いざその時が、目の前に迫ると。
「ンン…ッ」
内腿に沖田の指を感じ。冬乃は塞がれたままの唇で、声にならない声を漏らした。
(どうして)
こんなにも強く彼を求めているのに
同じ程いま心を覆ってゆく不安は。
(総司さ・・ん・・・)
「っ…」
内腿の、さらに奥へと、沖田の指が潜り入り。
つと沖田が唇を離した。
「今日は、まだやめておく?」
(・・・え?)
目を開けた冬乃を、見下ろす沖田の心配そうな眼と。かち合った。
目を開けた冬乃から一瞬こぼれた安堵の色。
沖田は。その無言の返答をみた直後、己に漲る情欲を抑え込むに転じた。
(冬乃・・)
いつもなら、もうこの時点で滴るほど濡れている彼女の場所が、
今日は唯しっとり湿っているだけのさまに、
これでも彼女の内を傷つけない程度には十分であろうとも、
これまでの彼女の状態を知っている沖田は、指先に触れたその違いに違和感をおぼえ。おもわず顔を上げていた。
いま沖田を見つめ返す不安げな彼女の様子は、
(これは・・)
初めて迎える経験に対しての不安というよりは。
「・・・まだ、怖いんだね・・?」
沖田の問いかけに。
ふるりと。今一度、冬乃の長い睫毛が揺れた。
時を超えたふたりが情を交わすのは怖いと、
そう言っていた冬乃は。
もう此処の世へ住むことになる彼女に、成るべくして成ると話して聞かせた内容を、恐らく理屈では納得しても、
元々そんな人の理知では説明のつかない事象ゆえに、心のほうがまだ漠然とした不安を拭い去れていないのだろう。
「ごめ・・なさい・・・」
弱々しい冬乃の声が零れてきた。
「冬乃、」
おもわず冬乃を抱きしめる。
「ただこうしているだけでも十分だ」
これは強がりだが。
「総司さ・・ん」
今にも泣きだしそうに冬乃の声が震えた。
きっと、すごく我慢してくれている。
こういう事には疎い冬乃にさえ、それが感じ取れた。
(総司さん・・)
返したい。
何か、今の冬乃にもできることがないかと。
「おしえてください・・・」
冬乃は、腕を擡げて。沖田の、引き締まったその片頬に手を添えて。
「総司さんに、私が・・してあげられること・・」
沖田の目が見開かれ、そして優しく細められるのを。冬乃の涙に翳んだ瞳が映した。
「有難う冬乃」
冬乃の手のひらへ、そっと口づけが返される。
その愛しげな眼差しが。
「いろいろ、あるよ」
次には悪戯な笑みを絡ませ。
「だが今の貴女にそれらを頼むのは、まだ時期尚早だから」
もう少ししてからお願いしようかな
冬乃の手をとり、己の首の後ろへと掛けさせながら沖田は、そう言って微笑った。
(・・時期尚早)
冬乃は目を瞬かせた。今まだ時期尚早な内容とはいったい、何をお願いされることになるのかと。
もちろん聞くのは憚られ。
「今日は、」
そんな、押し黙る冬乃を。
どきりとするほど再び愛おしげな眼が見下ろしてきた。
「俺のほうが、今の貴女にもしてあげられることは何か、探ってみるよ・・」
言うなり、
再び冬乃の胸元へ顔をうずめ、沖田は片手を伸ばしてきて冬乃の片頬をふわりと、先のお返しのように包んで。
冬乃が、それから夢うつつのまどろみの中、沖田の話し声を聞いたのは。夕の橙光が襖の隙間から煌めく頃だった。
(この声・・)
沖田の姿が見えず、顔を動かした先、隣の部屋から聞こえてきたのは沖田と、井上の声のようで。
(・・・急な隊務?)
起き上がろうとして、冬乃は体の奥の重い気だるさに、深く息をつく。
先ほどまでの時間を想い出し。冬乃はひとり薄闇で頬を赤らめた。
沖田はかわらずその心の冷静を保ったままに。
冬乃のこわばりを和らげ、ほぐすように愛してくれた。
(総司さん・・)
いつかは彼と最後まで近づきたい、その想いはむしろ増すばかりで。
それなのに、この底の無い惧れを消し去るには最早どうすればいいのか、もう冬乃には答えが出なかった。一度はあれほど己自身を説き伏せて、心晴れやかになれたはずが。
(もう・・いや)
此処の世に来た最初の日、蔵で夕陽のなか沖田達を扉の外に見て、あの時に受けた強烈な疎外感を今でも体感で想い出せる。どころか冬乃はもう、あの時のように視覚から体感することすらなく、
ふとした不意の瞬間に、これまで幾度も『観てきた』。
それはその瞬間にまるで、透明な薄氷の被膜が、肉体をするりと通り越し冬乃の心をひやりと直に覆うかのような。
そしてその冷たさは、
此処で時を重ねるごとに強くなっている感がしてならない。
(だけど・・これまでは)
沖田に触れられて抱きしめられている、その時だけは。
そんな心が凍える疎外感に覆われても、それは一瞬で温められるように解け落ちて。
彼に抱きしめられ温められて熱をもつのは、肉体だけではないということが、
肉体が、心を凌駕する、
その、沖田との触れあいによってすでに幾度となく経験してきたことが。
(さっきは、・・なのに)
禁忌
冬乃が懼れてきたその行為を直前にしたあの時。
起こることは、無かった。
(・・・ねえ、お千代さん・・)
私はどうすれば、いい
(やっぱり本当に・・・これは決して許される事じゃない、ってことなの・・?)
「冬乃」
つと襖が開き、橙光がすべりこみ。
光を背に沖田が入ってくるなり声を掛けてきた。冬乃が目覚めたことを分かっていたようだ。
冬乃はあまりの眩しさに目を細めて。
そして半ば体を起こしただけの姿勢で、着物を寄せて胸元を隠しながら、細めた視界に井上の姿が映らなくて内心ほっとした。冬乃を気遣ってどこか離れた所に居るのだろうか。
「これから先生の急用で祇園へ行くことになった。貴女は・・」
ここにいる?
と沖田が聞きながら、いつのまに着込んで刀を差したのか、すっかり外出できる姿で懐手に佇んで。
「此処は、幹部しか場所を知らない。来る時に誰かにつけられていない事も確認している。心配は要らない」
来るとしても泥棒だ
と、沖田はそして笑った。
(どろぼう・・)
たしかに泥棒なら、冬乃でも十分に対処できそうである。
「貴女の護身用に木刀を」
同じことを考えたのか、沖田がそんなふうに言うと押し入れを指した。
「あの中に入れてある」
「はい・・」
冬乃は微笑ってしまって。
「俺は深夜になるかもしれないが、此処へ帰ってくるよ」
(・・・あ)
その響きにとくりと、冬乃の鼓動が波打った。
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【補足おしらせ】
いつもご閲覧ありがとうございます^^。
こちらのサイトでは、どうしてもR15までの範囲となりますため、
今回のお話の直前の部分で、
もうすこし踏み込んだ内容の閲覧をご希望される大人のかたは
前回の『五蘊皆空』のときのように、今回もお手数ですが、
エブリスタ(下記URL)のサポーター特典を覗いてみてください。
https://estar.jp/_novel_view?w=24930622
(今回の該当話は、『小説 * 本編連動 章 ”うき世の楽園” P.1126つづき * 【大人向け】☆15』になります)
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