一六. 五蘊皆空⑮


 あれから沖田は、どこぞの男の服なぞさっさと己の手で最後まで脱がし、冬乃には代わりに、沖田の着物を着流しで着せたのだったが。

 

 余った裾を、女帯に比べると細い男帯で止めているため、冬乃の腹回りは異常にもたついている。もっとも、沖田の目にはそれもまた可愛い以外の何でもないものの。


 しかし冬乃は気づいていないが、寝かせていたせいで彼女の総髪は、うなじに幾すじもの毛を落として艶っぽく乱れており、

 しかもその頬はほんのりと紅潮し、どことなくとろんとした瞳はもうずっと直らぬままであり。


 この夕餉の広間で。

 見てはいけないものを見てしまったような表情で、顔を赤らめて目を逸らす者もいれば、

 先程から、ちらちらと盗み見を繰り返す者もいる。


 思いっきり。睨みつけるが如く凝視している者も、いる。

 当然それは、土方だが。

 

 

 「おい総司」

 そして土方は遂に沖田へと、その睥睨を移してきた。


 「おめえ、何した」

 “お仕置き”しろと言ったのは、土方だと。沖田は内心笑いながら、

 「何とは」

 けろりと見返せば。


 「・・・」

 変な仕置きでも本当にしたんじゃねえだろな

 と、激しく問いたげな剣呑な視線が、続いて飛んできた。

 とはいえ、この場ではさすがに声にまでは出せないのだろう、その形の良い口元を真一文字に結んだだけだ。



 沖田は目を細めてみせた。

 ええ、本当にしましたよと。

 

 「・・・ッ」

 しかと伝わったのだろう。

 土方は一瞬片手で額を抑え、それはそれは深い溜息をついた。


 「ん?どうした歳」

 近藤が、心配そうにそんな土方を覗き込むのを横目に。

 沖田は再び隣の冬乃を見遣る。


 視線を受けてすぐに沖田を見上げてきた冬乃の、艶やかに蕩けたさまを堪能しつつも、

 閨から抜け出たままの如きこんな艶姿には、他の男になぞ見せずに隠しておきたい想いと、見せつけてやりたい想いとが、胸内でせめぎ合って喧しい。


 (まあ、藤堂は・・居なくて良かっただろう)

 夕番からまだ戻っていないようだ。

 

 「ぁ」

 不意に冬乃が小さく声をあげた。

 彼女の視線の先を見れば、食事の前に沖田がまくっておいてやった袖が戻っていた。


 彼女には当然長すぎる袖だが、たすき掛けをさせるのもどうかなので、手首の位置まで数度折っておいたのだが、

 食事の動きを繰り返すうちに緩んでゆき、いま一気に落ちてしまったのだろう。

 

 椀と箸をそれぞれ持ったまま、突然ぶかぶかに戻った袖に困っている冬乃に、沖田は微笑って手を伸ばす。

 丁寧に元通り両袖を折ってやりながら、

 どうも周囲から強烈な視線を、とくに土方の方角から感じるが、もちろん沖田は素知らぬふりで続ける。

 

 「すみません。ありがとうございます」

 折り終わった時、照れた微笑で冬乃が見上げてきた。

 

 ついでだから。

 「冬乃」

 新たな命令を与えることにする。

 

 「これから敬語抜きね。今夜は、必ず守ってもらうよ」

 

 わかってるよな、“お仕置き”の一環だと

 眼に籠め、見つめれば。冬乃ははっとした顔になって、

 数回瞬き。小さく、吐息とともに頷いた。

 

 

 (さて・・・守れるかな)

 

 破っても構わないが、その分 “追加”するだけだ。

 

 

 二人の意味深長なやりとりを受け周囲がどよめく中、沖田はかわらず素知らぬふりで再び膳へと向き直った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敬語抜き。

 

 以前に棒読みでしか果たせなかった難題に。

 冬乃は内心、戦慄中である。

 

 そして例に漏れず緊張で煮物を喉に詰まらせかけた冬乃が、

 (そうだ話さなきゃいいんだ)

 導きだせた自己救済策は、無口を貫く。で。

 

 

 

 あえなく玉砕に至る。

 

 

 「そう、古着屋に行ったんだ?なら現在持ってる服は、全部で何着」

 

 先程からの沖田との会話。

 全てが、首の縦横振りだけでは答えられないものばかり。絶対わざとに決まっている。


 「ええと・・六、いえ、七着で・・・ある」

 

 七着です。

 今もまた、ですます調で答えかけた冬乃は咄嗟に、であるに変換してしまった。この際、冬乃の喋りとしてはキャラじゃない。だとかは言っていられぬ。

 

 「そう。次買うとしたら、どんな色で、ガラは」

 

 沖田が更に畳みかけてくる。

 

 「す・涼しげな青系とかで、でもガラについてはすみま、隅まで青々しているガラを」

 

 すみません、詳しくないのです

 危うく言いそうになってしまった台詞は、突如まったく違う台詞へと化した。

 隅まで青々しているガラとは何ぞ。そんなのは言ってる冬乃本人にももちろん謎である。

 

 「じゃ、次の俺の非番あたりに一緒に見に行こうか」

 

 「は、・・やく総司さ・・きに、私も準備しておきたいから、非番の日わかったらすぐおしえて」

 

 はい!と嬉々として即答しかけ、咄嗟に、はやく総司さんの非番の日が来ないかな、に変換、

 しようとして、

 現在『総司さん』も禁じられているため(そしてこれが一番冬乃には難しい。)

 総司、先に、とさらに変換し。そこへ何とか文を続けたところで、

 

 ついに冬乃の息は切れた。

 

 (むり・・・!もうむりっ)

 

 

 冬乃からは変な返答の連続なのに、普通に会話を続けてゆく愉快そうな沖田を横に、

 

 幹部棟へ帰る道すがら、

 真夏の夜の生ぬるい微風に纏われながらも冬乃は、背に酷くひんやりとしたものを感じている。

 

 (総司さんのいじわる・・っ)

 

 「フ」

 冬乃の息遣いだけで、冬乃の心の叫びをも読み取ったかの絶妙な時間差にて、沖田がその相好を崩すなりニヤリと哂った。

 

 案外よくここまでがんばっている。とでも思っているに違いなく。


 

 

 すっかり沖田の玩具状態な冬乃だが。

 

 難題を遂行すべく焦る反面、どうしても彼にこうして揶揄われることが嬉しい自分を想うに、どうやら、

 (私ってドMだったのか・・・)

 冬乃は溜息をつく。

 

 今夜はこの調子が続くであろうことに、

 幸せと同時に緊張で心拍がおかしなことになりつつも。冬乃はおそるおそる沖田を盗み見た。

 

 これから近藤が休息所へゆく護衛を兼ねて、共に紺屋町へ駕籠で向かうのだ。そして、その後に冬乃と沖田は・・・

 

 

 (・・きゃあああぁぁぁ)

 

 想像してはいけなかった。

 よけいに乱れた心拍で酸欠になった冬乃は、慌てて前へ向き直る。

 

 「冬乃」

 (きゃう)

 

 そこへ間髪置かず沖田から声を掛けられ、冬乃は跳ねた。

 

 「貴女は一度、部屋に戻って帷子に着替えておいて。先生の準備が整ったら迎えにいくから」

 

 「は、はい」

 

 (あ゛)

 

 沖田の目が細まった。

 冬乃は。黙り込んだ。

 

 はい、ではなく。うん、であるべきところだったのに。

 

 (や・・・やば)

 

 

 「冬乃」

 

 にっこりと沖田が微笑む。

 

 

 「どうやらもっと“お仕置き”されたいようだね」

 

 

 邪気溢れるドS笑顔の、愛しい彼は。

 

 「・・ならば、お望みの侭に」

 震える冬乃の、頬へと手を伸ばし。


 「たくさんしてあげるよ」

 

 優しく撫でながら。恐ろしい宣告を下した。

 

 

 

 

 低い穏やかな彼の声に、冬乃を揶揄う音が混ざって、冬乃だけに向けられる愛しげな声音と成る。

 

 そんな声も当然大好きな冬乃は、まさにその声で下された先程の宣告に、

 沖田の着物を脱ぎながら、ぶるりと、いまいちど身を震わせた。

 

 (いったい何が待ってるんだろ・・・)

 

 どこかで、この後を期待している己の心に、冬乃はもはや失笑する。

 もう確実に沖田に、着々と“調教”されている気がしてならない。

 

 (めざめたらどうしよ)

 想像もしていなかったSMの官能の世界・・だとかが、待っているのだろうか。

 

 (て、もう何考えてんの・・っ)

 

 冬乃は。大慌てで首を振った。

 狂った心拍が。直りそうにない。

 

 沖田の着物を脱ぎきり、畳にするりと落としながら。息が乱れたままに、

 冬乃は、つと襦袢の下の湯文字を見下ろした。

 

 先程濡れてしまったこの湯文字も、替えたほうがいいだろう。

 (っ・・)

 想い出せば、

 それだけでまた、息があがる。

 

 

 沖田になら、何をされても受け入れて。歓んでさえ、いて。

 

 だから今夜も。沖田にだけは、もうずっと以前に冬乃が認めざるをえなかったように、

 

 (“好色”・・・てコト、だよね・・)

 

 体が、なのか。

 冬乃にはよくわからない。

 

 心が、なのか。魂なのか。

 

 

 何による希求であっても。

 

 

 

 冬乃は、襦袢と湯文字も畳に落として。行李から新しい湯文字を手に取った。

 全裸となった己の体に目をやる。行灯の揺れる橙光のなかで、先程沖田が付けた跡が、乳房の脇に見えた。

 

 浅いままの吐息をひとつ零し、冬乃は、湯文字を着けると再び屈んで新しい襦袢も手に取った。とくとくと速い鼓動を耳に、襦袢に袖を通し、前の紐を結ぶ。

 

 またすぐ脱がされる、・・または命じられて脱がさせられる、だけなのに。いちいち全てを着込んでゆく自分は、きっと隠そうとしているのだろう。彼を求めてやまない、体なり、心なり或いは魂を。冬乃は小さく苦笑し。

 

 (不思議・・)

 一方で、冬乃は己の理解の及ばない領域につい想いを馳せる。

 

 なぜにも沖田が話してくれたように、体も意識の心も、現の世で生きるための器なのかもしれないのに、こんなにも囚われているのだから。

 そもそも生きているということが、そのままこうして魂が器に囚われていることなのだろう。

 

 (でも私の体は、本来の世にある)

 此処の世に冬乃が属せない、帰属を許されていない、冬乃を苛み続けるその感覚は、

 (そういうことなのかもしれない・・)

 

 この魂は、平成に在る自分の体に囚われているままで。

 どんなに此処で、こうして肉体を持ち、あらゆる五感を備えていても、仮のもの。

 

 「・・・」

 強い寂寥感に、冬乃は一瞬目を瞑った。

 

 

 (それでも、・・同じこと)

 

 冬乃は帷子を拾い上げ、慣れた要領で体に纏っていった。

 

 (どちらにしても、)

 

 どの世であっても。

 もし体は、魂がその世で生きるための仮のもの、いや、借りのものであるのなら。平成に存在する本来の肉体であろうと、此処に何らかの方法で存在するこの肉体であろうと、借りのものという点では変わらないのだ。

 

 その肉体の、五感に。

 囚われ。

 溺れて、意識の心も凌駕するほどに。

 

 沖田のおかげで冬乃は、そんなひとときを知ることができた。

 難しいことは分からない。冬乃は只、その奇跡の幸せを、いつかに心に決めたように、まっすぐに受け止めて、

 そして沖田の言ってくれたように“享受”しよう、と。

 

 思い直し。

 冬乃はそっと大きく息を吸って。まだ震えるままの息を吐いた。

 沖田に、今夜、この体を愛される時を前に。

 











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