一六. 五蘊皆空④



 部屋へ入ってくるなり沖田が、あっというまに傍まで来て冬乃を抱き締めてくれた。

 そのうえ、冬乃の存在を確かめるように、体を撫でてくれたことに。

 

 冬乃はあいかわらず湧きおこる緊張と、あいかわらずの相反する安心感とで、心を震わす反面、

 せっかくこの時間に久々に部屋に戻って来られたなら、少しでも横になったほうがいいのではと、同時に胸内を埋め尽くす心配で戸惑って。

 

 言い出そうか如何か迷っていた時に。

 まさかの、冬乃の膝枕を望んでくれたことに、つまりは休んでくれることに。一気に感じた安堵と、

 沖田へ膝枕ができる、飛び上がりそうなほどの歓喜とで。

 

 「は、はい・・っ」

 冬乃の返事は。うわずった。

 

 

 沖田が、冬乃の腰に置いていた手を外し、そんな冬乃の片頬を包み撫でる。そして、

 「ありがとう」

 それだけで冬乃の心臓が跳ねるような笑顔でそう言って、冬乃に顔を寄せた。

 

 はっと目を瞑る冬乃に、一瞬だけ重なった唇がそっと離される。

 冬乃が、どきどきと目を開けると、沖田がもう恋仲になってから常の、その愛しげな眼で冬乃を見下ろし。

 一呼吸のち両刀を鞘ごと引き抜き、横の畳に置いた。

 

 

 (あ)

 冬乃は自分が姿勢を崩したままであったことに気付いて、急いで正座になろうとした時。

 「・・いや、脚は伸ばしたほうが」

 沖田が冬乃の位置に合わせるように仰向けになりながら、そんなふうに言い。

 そういえば確かに正座だとすぐに痺れてしまう気がする。冬乃は思い直して、言われたとおりに脚を伸ばしたところに、

 沖田が冬乃の太腿の上へ頭を乗せてきた。

 

 

 (きゃ、・・)

 

 その思ったよりも互いの顔が近い距離に、冬乃は途端に恥ずかしくなって目を合わせられずに、慌てて顔ごと逸らしてしまい。

 

 だが沖田が下から手を伸ばしてきて、冬乃の頬を撫でると沖田へと向かせ。

 そして、

 「痺れそうになったら起こして」

 ちょっとだけ悪戯な眼で、冬乃を見上げて。

 

 またも心臓が跳ねる冬乃をよそに、目を閉じた。

 

 

 (あ・・)

 

 “おやすみなさい。おつかれさまでした、総司さん”

 おもわず冬乃は胸内に呟く。そのまま、

 どきどきと沖田の顔を見下ろした。

 

 (こんな距離で)

 こんなふうに見つめていられるなんて

 

 頬が熱くなってくるのを感じながら冬乃は、沖田が今その目を閉じていることに、ほっとしてしまう。

 

 そうでなければ、彼を長く見つめていられるはずもない冬乃にとって。

 こんな機会は、あの一緒に布団を並べて寝ていた頃以来で。

 

 (もう・・)

 

 幸せ・・ッ

 冬乃は叫び出しそうになるのを慌てて抑えて。

 

 (ずっと見ていたい・・)

 

 すぐ間近で、あっというまに寝息をたてはじめた沖田の寝顔を冬乃はうっとりと見つめた。

 

 (やっぱり、大好きすぎる)

 頬の引き締まった、この精悍な男らしい顔立ちも、それなのに笑うと驚く程あどけなくなるところも、この褐色の肌も。今は隠れているその澄んだ綺麗な瞳も、それでいて、

 射すくめられそうになる程の、鋭い眼光も。

 

 彼の、魂も体も顔も、何もかも、全てが好きなのだと。

 改めて、思うまでもなく。



 冬乃は溜息をついた。

 もう何度めになるかも数えきれないほどの、幸せから零れるその溜息とともに、己の膝枕に眠る愛しい人を飽くことなく見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 夕の鐘が聞こえて。

 冬乃は顔を上げた。

 

 沖田は痺れそうになったら起こせと言ったが、痺れようとも固まろうとも冬乃は、起こす気になど到底なれないので、

 時々静かに己の身を支える腕の位置を変えたりしながら、沖田を休ませることへ今や全力を注いでいた。

 

 

 やがて廊下を永倉達が談笑しながら行き来する音が続いたが、沖田は寝ているままの様子だった。

 冬乃はほっと胸を撫でおろす。

 

 きっと沖田や永倉、斎藤など超一流の剣客は、寝ていてさえも感覚の一部は研ぎ澄まされたままに、馴染みのない気配や物音にならば瞬時に覚醒してしまうことだろう。

 

 今のところ幸いに、そういった事態にはならずに済んでいるが。しかしそれも、此処が幹部棟だからこそなのではないか、とふと冬乃は思った。

 何処か他の場所で寝るよりもずっと安心感は強いはずと。

 

 

 壬生の時以上に、今なら幹部全員が同じ屋根の下に集えているのだ。腕に信頼をおける仲間が揃って居て、互いに護りあっているも同然で。

 

 だからこそ、沖田も近藤が此処にいる間は、安心して巡察に向かえるのではないか。

 

 

 (あれ、そう考えると)

 

 近藤は休息所を外に構えていて、仕事が落ち着いている時期には顔を出しに行っているようだが。

 

 休息所のほうでは、近藤の身を護れるのは近藤自身でしかない。

 勿論、近藤がいくら剣豪であろうと、誰かと護り合っている幹部棟の状況とは程遠く。

 

 

 (総司さん、心配なんじゃ・・)

 

 とはいえ、さすがに護衛したくとも、妾との逢瀬の時間に、傍で控えているわけにはいかない。

 近藤が妾宅に居る間は、沖田は内心、気が気でないのでは。

 

 (そもそも、近藤様の休息所って、どこだったっけ・・)

 

 

 紺屋町。

 

 つと思い出した冬乃は。

 そして次の瞬間、すとんと腑に落ちて声が出そうになった。

 

 

 (七条・・!)

 

 まさに、沖田が選んだ冬乃との家は、どれも七条に在り、つまり近藤の休息所の目と鼻の先。

 

 (そ・・ういうことなの)

 

 土方が外に休息所を作れと言った時、沖田があれほどあっさり承諾したのも、

 これで近藤に気遣うことも気遣わせることもなく、近藤の休息所のすぐ近くで彼の警護が出来ると。瞬時に考えたから、なのだとしたら。

 

 いや、それ以外に考えられないような。

 土方に従って本当に休息所を作らなくとも、冬乃と沖田が健全な関係であることを組内に知らしめる方法なら、他に全く無いわけではないはず。

 果たして沖田は、家の用意などという面倒事を、近藤の事が無くても遂行していたのかもはや謎になってくる。

 あれこれそして考え出すうち。

 

 おもわず唸っていたのだろう。

 

 

 突然ぱちりと沖田が目を開けて、冬乃は飛び上がりかけた。

 

 尤も、沖田の頭で留め置かれている体なので、今回もまた飛び上がってはいないものの。

 

 

 「どうしたの」

 

 目を覚ますなり笑っている沖田を、

 見下ろしながら冬乃は、もちろん答えられずに恒例の赤面で返してしまう。

 

 「・・日が沈んだようだが」

 

 沖田が起き上がりながら、つと障子に透ける薄青を見やって呟く。

 「もしかして俺、相当寝た?」

 

 冬乃は沖田が太腿から去ってしまったのを、名残惜しく想いながら、

 「あ、と・・夕の鐘が先程鳴りました」

 急いで答えれば。

 

 驚いた顔が冬乃を見返してきた。

 

 「痺れてる、どころじゃないよな、もはや」

 沖田が冬乃の脚を心配そうに見下ろし。

 

 冬乃は、

 「いえ、大丈夫だとおもいます・・っ」

 気軽に答えた。

 

 

 まもなく冬乃を煩悶させる事態など。未だ想像もせずに。

 






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