一五. 恋華繚乱⑩


 

 「おお・・おい・・」


 最初に沈黙を破ったのは、向かいに坐す原田と永倉だった。

 「何、お・・まえら、どういう事・・」


 あれから広間に来るまで彼らに会っていないので、当然まだ彼らにも、冬乃たちが恋仲のふりをすることは伝えていない。


 冬乃は冷や汗を感じながら、

 沖田から顎を離されたままに、おずおずと彼らを向く。


 「・・て・・嬢ちゃんのその首、よく見りゃ、痕・・」

 「あ?」

 目の良い原田の指摘に、永倉が身を乗り出した。


 「・・ほんとだわ、しかも二つも付けてるし!・・沖田やってくれるなあオイ!」

 

 二人が最早そのまま豪快に笑い出した声に重なって、

 

 「え?!」

 「二つ?!」

 先刻の隊士達のほうからは変な悲鳴がして。


 続いて広間じゅうで、変な呻き声がした。

 

 「彼女とは、先程、」

 

 沖田が。原田達へ返事をする。勿論、広間じゅうに聞こえるように。



 「想いを確かめ合ったので、その時に」

 

 

 付けたと。

 



 「「・・・・!」」

 

 

 “確かめ合う”の、意味を。


 深読みさせる意図が、明白な。

 

 

 悪怯れもせぬ沖田のそんな台詞を受けた、原田と永倉だけでなく、広間じゅうが、

 改めてごくりと、唾を飲み込み。



 ひとり純粋に、告白し合った事だと思った冬乃が、それでもそっと頬を染めて俯いた。

 

 

 

 




 居たたまれず広間から次々と去ってゆく隊士達の波から抜けて、山野が遠慮がちに冬乃へ近づいた。

 

 「沖田さん、すみません」

 

 山野を一瞥した沖田に、山野が小さく会釈する。

 「最後に彼女と一言、話させてください」

 

 (最後にって)

 山野の台詞に少し驚いた冬乃が、立ったままの彼を見上げれば。

 

 「良かったな・・」

 首元を凝視してくる山野から、そんな台詞が零れて。


 「俺、いさぎよく諦めるよ」

 そして山野の目は、冬乃を柔らかく、切なげに。見つめて微笑んだ。

 

 「幸せにな・・・!」


 

 

 山野の祝福に、冬乃は小さく微笑み返した。










 「なんだよもう、びっくりさせやがって!」

 

 幹部棟へ帰った沖田達は、永倉と原田に事情を話した。

 

 「しかし、あの“牽制”は凄かったぞ」

 「やるなあ、沖田」

 くひひ、と愉しそうに思い出し笑いをする永倉達に、廊下を通りかかった井上が「どうしたー」と話に入ってくる。

 

 「源さん、おかえり!」

 「聞いてくれよ、こいつら・・」

 

 冬乃は縮こまりながら、井上にも事情が伝わってゆくのを横で見守り。

 沖田がそんな冬乃をちらりと見て、いつもの余裕の笑みで、ふっと微笑った。

 

 (うう)

 

 広間から帰ってくる時も、沖田はまるで何事も無かったかのように世間話をしていて。

 あいかわらず舞い上がっているのは自分だけの様子に冬乃は、嬉しいんだか泣き出したいんだかわからない複雑な心情を持て余している。

 

 (く・・くちびる、舐めたのに・・)

 あの場面を想い出すだけで、冬乃は体じゅうから蒸気が出そうになる。対する沖田がここまで平然としていることを嘆いても、誰も冬乃を責めまい。

 

 

 「おまえら、どうせなら本当にくっついちまえばいい」

 

 (えっ)

 不意に落とされた永倉のその爆弾に、そして冬乃は飛び上がりそうになった。

 

 「あ、・・や、そいつはどうだろ」

 原田が急に、何か思い出したかのように目をぐるりと回して、言い淀み。

 

 

 「それはできませんよ」

 

 沖田が静かに答えた。

 

 

 一瞬で、胸内を奔り抜けた鋭い痛みに、冬乃は唯、俯いた。

 

 

 

 

 むりやり笑顔を保ちながら、まもなく沖田達と別れて幹部棟の玄関を出て。

 部屋へ向かう冬乃は、どうしても込み上げてくる涙で視界がぼやけたまま、ふらふらと歩んだ。

 

 先程までの天にも昇りそうな高揚から、こうして一気に墜とされると、さすがにこたえる。

 

 

 (わかってたのに)

 

 ただの振りなのに、勝手に舞い上がっていた己が愚かなのだ。それでも。

 

 

 

 

 「泣いて・・いるのですか?」

 

 不意のその声に、冬乃は吃驚して顔を上げた。

 

 「池田様・・」

 ぼやけた視界でずっと下を向いて歩いてきた冬乃は、部屋の前に立つ彼に全く気が付かなかった。

 

 冬乃は慌てて涙を払って、首を振った。

 「べつに、なんでもありません」

 

 

 「先程の夕餉の件での、貴女のご様子から察するに・・沖田先生が、」

 

 池田の発した沖田の名に、冬乃はびくりと瞬いた。

 

 「貴女の想い人だったのですね」

 冬乃の反応で確信したかのように、池田ははっきりと言い結び。

 

 「そして、今のそのご様子では、相思になったわけではなさそうですね」

 

 

 幹部棟と平隊士棟の合間に遠く点々と置かれる篝火が、冬乃の涙の跡を幽かに光らせる。

 

 「・・・いいえ、相思になりました」

 

 冬乃の揺れた瞳を、池田は見逃さなかった。

 

 「嘘が下手なお方ですね」

 

 

 「・・・」

 

 池田がそっと近づいてきて冬乃は。心持ち後退った。

 

 池田は冬乃の警戒を感じ取ったのか、すぐに立ち止まって。

 

 「貴女は、想い人の方には相手にされなかったと仰っていましたね。それでもあれほど、片恋でもいいと覚悟をされていた貴女なのに、先程の急な展開はおかしいと思いました」

 

 「・・それで確認するために此処にいらしたのですか」

 

 「またも待ち伏せするかたちになって申し訳ない。ただ、どうしても確かめておきたかったのです」

 来てみてよかった、

 と池田が呟いた。

 

 「さしずめ、沖田先生は貴女を隊士達から護るため、恋仲を装うことになさったのでしょうね。賢明なご判断です。僕があの方の地位ならばやはりそうしようとするでしょう。しかし、」

 

 

 「貴女は本気で沖田先生を好いている。沖田先生はそれをもしご存知なのだとしたら、あまりにも」

 

 「それ以上は言わないでください、」

 遮った冬乃に。

 

 「聞きたくありません」

 

 池田は従い。口を噤んだ。

 

 

 

 ・・・己を恋慕ってくる女を

 

 己もまた周囲の男達から護るほどの、想いがありながら。


 こうして泣かすほど、本人に対しては突き放したのならば。

 

 

 ――――あまりにも

 

 

 酷な、強い理性と精神力で、

 

 沖田には、何か己の情欲なり恋情なりを抑圧しなくてはならない理由がある、

 

 

 ということだ。

 

 

 それが、何なのか。

 

 

 池田は、横を向いて哀しみに耐える冬乃を見つめた。

 

 

 彼女は当然、そんな沖田の側の想いに気づいてはいないだろう。

 

 

 

 「どうか」

 

 冬乃が囁いた。

 

 「他の人には今の話をしないでください」

 

 

 池田は小さく溜息をついた。

 「勿論です。お二人は、相思。そういうことにしておきます」

 

 冬乃が、不安げに長い睫毛を揺らして池田を見た。

 

 池田より少し背の低い彼女の瞳は、池田を上目に見上げるような位置で。

 涙に濡れたその瞳から、池田はおもわず目を逸らした。

 

 「押しかけてすみませんでした。おやすみなさい」

 

 背を返し、冬乃が小さく「おやすみなさい」と返してくれるのを耳に。己もまた何かを振り切るべく歩み出した。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の無駄に爽やかな光のなかで。

 

 (どうしよう)

 

 酷い瞼の重みに。冬乃は再び泣きたくなっていた。

 

 

 これだけ腫れていれば、泣きながら寝たことなど明らかだ。

 あと少しすれば、近藤のところに朝の挨拶に行かなくてはならないというのに。

 

 

 (とりあえず時間ぎりぎりまで水で冷やすしかない・・)

 

 とはいえ、井戸場でも幹部の誰かしらに遭遇しそうで。冬乃は嘆息しつつ部屋を出た。いつもどおりに風呂の井戸場へ向かっていく。

 

 

 

 残念ながら、やはり人は居た。

 

 原田だ。

 

 「お、嬢ちゃんおは・・・・、て・・・ど・・した、それ・・・」

 

 原田の気遣いに溢れんばかりの狼狽えぶりに、冬乃は恐縮するも返事に詰まる。

 

 これが、平成だったら咄嗟に『夜中に感動の超大作映画を観てて』だとか言えるものの。それができない此処で一体、他にどんな理由が出せるのだろうかと。

 

 (あとは忠犬ハチ公なみの切ないハナシ読んでたとか・・江戸時代版で何かないかな)

 いやそもそも、未だ字がきちんと読めないのだった。

 

 このところの沖田の特訓のおかげで、以前に比べれば格段に読めるようにはなっているものの。未だ近藤の書状関係の手伝いをすることは敵わずにいるというのに。

 

 

 駆け巡った思考の果てに、そして冬乃は。

 

 

 「怖い夢みました」

 

 その浮かんだ最終手段的な理由を、述べていた。

 

 

 しかし幼稚園児じゃあるまいに。

 いや、幼稚園児だって怖い夢みた程度でもう泣かないような。

 

 

 「・・・・」

 

 原田が、暫しの間をおいて。

 

 噴いた。

 

 「そおか、そおか!怖かったな~!!」

 そのままヨシヨシと頭まで撫でられ、冬乃はやはりもう一度泣きたくなって腫れた瞼を閉じる。

 

 

 「あ、おはよ沖田」

 

 原田のその挨拶に、だがまたすぐに、冬乃は瞼を持ち上げた。

 

 「嬢ちゃん、昨夜、怖い夢みて泣いちゃったんだってよー」

 

 「怖い夢・・?」

 

 明らかに不審げな沖田の声が背後からするも、冬乃は振り向けるはずもなく。

 

 

 ・・・胸が痛い。

 顔を見られたくないのと同時に、

 顔を、見れない。

 

 

 「あ、・・忘れ物してました!」

 

 

 沖田を振り返らぬまま冬乃は、井戸場を逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 (いつになったら、もう惑わなくなれるんだろう)

 

 沖田の最期の時まで傍にずっと居られるのなら、もう彼に嫌われていてさえ構わないと、本気で思っているくせに、

 

 一方で、何度も何度も、こうして沖田の言動に一喜一憂を繰り返しているさまに。

 

 

 (なさけない)

 

 深い溜息をつき。戻ってきてしまった部屋の入口で冬乃は座り込んだ。

 

 

 (水も持ってこれなかった)

 直りそうにないこの瞼については、近藤にもやはり、怖い夢をみた、で通すしかあるまい。

 

 

 

 

 

 「冬乃さん」

 

 そろそろ沖田が井戸場から去ったであろう時を見計らって立ち上がった冬乃は、

 障子越しに聞こえた、その当の沖田の声に、びくりと動きを止めた。

 

 (うそ)

 

 「開けてもらえる」

 

 「・・・」

 

 有無を言わせないその言葉に、冬乃は意を決して顔を伏せたまま障子を開けた。

 

 と同時に、

 ぴたりと冬乃の目を、冷たい布の感触が襲って。

 


 急に閉ざされた視界で、冬乃は片手をそっと取られ、顔へと導かれる。

 (っ・・)

 冬乃の目を覆う布を上から押さえている、沖田の大きな手の甲に、

 冬乃の導かれた手は重ねられて。

 

 冬乃の手を導いたほうの沖田の手が、少し強く、冬乃の手の甲を押さえつけて、

 冬乃の手の下の沖田の手は、その間にすっと引き抜かれていった。

 冬乃の手の下には冷たい布が残って。

 

 同時に冬乃の手の上からも、沖田の温かい手が離れ。

 

 「貴女の朝餉を取ってくるから、」

 直に冷たい布の感触を手に冬乃は、沖田の声を聞いた。

 「そのまま冷やしているように」

 

 「先生への挨拶も今朝は俺のほうからしとく」

 

 次々と発される言葉に、

 冬乃は返事もできないまま茫然と布を押さえて。

 

 

 まもなく障子が閉められた音がして、冬乃は、へたんとその場に崩れ落ちた。

 

 

 目を腫らしていることを原田から聞いたのだろう、こうしてわざわざ布を濡らして持ってきてくれただけでも、冬乃の心奥はいま甘い痛みで締め付けられて苦しいのに、

 たしか朝餉まで持ってくるとさえ言っていなかったか。

 

 

 確かにこんなに腫らした状態で、衆目に曝されたくはなかった。

 ただでさえ昨日の『めでたい』ことがあって注目されてしまうだろうに、朝になっていきなり泣き腫らした顔でいたら、いくらなんでも変だろう。

 

 好奇の目に耐えるくらいなら、朝餉に行くのをやめようかと。考えていたところだった。

 

 

 (ひどいです・・沖田様は、)

 

 一瞬にして冬乃を天から突き落としては、こうしてまた地の底からさっと攫いあげてゆく。

 

 もちろん沖田は何も悪くない。

 悪いというのなら、勝手に沖田のことを好きで一喜一憂している冬乃が悪いだけで。

 

 彼は、いつだって冬乃をこんなにも面倒をみて優しく護っていてくれるのに。

 

 

 (沖田様・・)

 

 冷たい布のはずが、冬乃の心をゆっくり温めてゆく。

 再び涙が滲みそうになって。冬乃は慌てて布を押さえる力を強めた。

 

 

 そういえば彼は、冬乃の拙い言い訳を信じたのだろうか。

 

 疑われたとして、本当の理由を気づかれるとも、思えないものの。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 彼女が泣いた理由を。

 

 

 己が直接に癒すすべなど持たないだろう。

 

 

 

 昨夜、永倉に答えたあの返事を境に、冬乃の纏う雰囲気が変わった。

 

 無理に笑って、そんな辛そうにされても、何かしてやる事も言葉をかけてやる事も。叶わぬのに。

 

 

 (泣くなら何故、)

 

 此処に来るのか。散々こちらの心を乱しておき、

 何故また、いつのまにか本来の世へと帰っていってしまうのか。

 

 

 いつかは永久に帰ってしまうと端から諦めながらも、

 毎朝彼女の姿を見留めて、どれだけ安堵に息をついているかなど、彼女は想像もしないだろう。

 

 

 

 

 「沖田、冬乃さんどうしたよ?まだ寝てるの」

 

 朝餉の膳を二つ手に、すぐに出て行こうとする沖田に、

 にやにやした永倉が坐したまま声を上げる。

 

 「想い通じ合ったばかりで、気持ちは分かるがよ、加減してやれよ?冬乃さんの体がもたねえぜ」


 いかにもわざとらしいが、必死に聞き耳をたてる周りの男達がそれに気づく様子もない。

 

 

 「忠告、有難く聞いておきます」

 

 永倉に合わせ沖田は笑み一つで返答すると、広間を出た。

 

 

 

 しかし、あまり房事に耽る様子を出すのも、此処は仮にも屯所であるのに、如何なものか。

 

 茶番につきあってくれるのは有難いが、永倉達とはその辺りの口裏合わせをもう少し詰めておいたほうが良さそうだ。

 

 歩きながらふとそんな事を考えたものの。


 風紀の鬼が東下中の今くらい、まあいいか

 と結局、沖田は一蹴した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖田が部屋の入口へ置いていってくれた朝餉の膳を、部屋の奥へと運び入れた冬乃は、

 幾分かは腫れの引いた目を開けて黙々と食べながら、

 

 先程沖田が障子越しに、今日は昼番から戻った後に、また読みの特訓をすると告げてきたことを想い起こす。

 

 

 (その前に、沖田様の部屋の掃除もしておこ)

 

 冷たい布と朝餉の礼も兼ねて、また張り切ろうと。

 もっとも礼なんていうならば、これまでのぶんからして、永遠に返しきれたものではないのだが。

 

 

 (それに次からこそは、もう惑わないでいたい)

 ・・・と誓いたくても、これもきっと永遠に叶わないだろう。

 

 だけど、少しでもそうなれるように。

 

 

 箸を持たないほうの手で時々、沖田が新たに持ってきてくれた布を瞼へ押さえる。まるで瞼の重みがとれるに合わせるように心も軽くなってゆく中で、冬乃は祈りをこめた。

 

 

 

 

 

 

 沖田の部屋の掃除を終えて、彼の帰りを待つ。

 瞼の腫れもすっかり引いている。

 

 

 冬乃はふと視界に入った、このところは此処に置きっぱなしの文机を見つめた。

 

 

 (普通の机なのにな・・)

 

 なにか四次元空間への引き出しだとかが付いている・・わけでもない、もちろん。

 

 年季の入った古い、この時代によくある文机だ。

 

 (でも何かこの机に仕組みがあるんだよね絶対)

 

 

 冬乃は机へ近づいて、畳に手をついて屈むと裏を覗き込んでみた。

 一瞬、お札でも貼ってあったらどうしようと思ったが、何も無かった。裏側も至って普通で。

 

 (不思議・・)

 

 

 そもそも、この机がたとえば壊れたりしたら、どうなるのだろうか。

 

 冬乃はそうなれば二度と此処へ戻って来られないのか。

 

 (・・・・)

 

 土方にどうか大事に使ってほしい、と一瞬に願ったものの。

 考えてみたら、一番この机を壊しそうな人は毎回ここに着地している冬乃ではないか。

 

 (怖っ・・)

 

 

 ぶるりとおもわず身震いした時。

 沖田が帰ってきた。

 

 「冬乃さん、」

 

 帰ってくるなり、沖田はどこか困った様子で微笑った。

 

 「今から、露梅に会いに行けるかな」

 

 「え・・」

 

 「一緒に」

 

 

 見れば沖田の片手には、開かれた文があり。

 

 「露梅から」

 冬乃の視線に応えるように沖田が伝えてくる。

 遊女が客へ送る、いわゆる艶文だろう。

 

 「冬乃さんも来てと書いてある」

 

 「どうして・・」

 

 冬乃は目を瞬かせた。

 

 「さあ」

 

 沖田が部屋を横切り、押し入れを開けた。

 文を適当に置いて隊服を脱ぐ沖田から、冬乃は目を逸らした。

 

 近藤の話では、沖田は今夜ちょうど非番だ。

 このまま今から行くのだろう。

 

 

 「勿論、嫌でなければでいいよ」

 

 (嫌に決まってます・・)

 どういう物好きだと、好きな男と遊女の逢瀬に同行するというのだ。

 

 

 だが、沖田は振り返った。

 

 「貴女が行かないなら、俺も行かないけど」

 どうする?

 

 向けられた眼に。

 

 (え・・?)

 

 冬乃は驚いて、沖田を見つめ返していた。

 

 

 「貴女にも来てほしいと言ってくる以上、俺達に何か面と向かって話したい事でもあるんだろうとは思うよ」

 

 

 冬乃は頷いた。

 

 「わかりました。ご一緒させてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「着く時でいいが、忘れずに」

 

 駕籠を出る前までには頭巾を着用するよう冬乃に念を押し、呼んだ駕籠に彼女を乗せ、沖田は自らももう一つの駕籠へと乗り込んだ。

 

 

 

 第二次長州征伐に向け、ついに幕府が将軍自ら陣頭となるを世に知らしめてからというもの、

 将軍上洛を前に、京阪の町は治安維持にあたって一層警戒を強めていた。

 

 新選組が、見廻組と共にその任を負う、京の筆頭部隊であることは当然に周知の事、

 

 

 その新選組の闊歩する京に、なお必死の想いで潜伏する反幕府浪士達が、

 窮鼠猫を噛むが如く、少人数の隊士を狙っては斬りつけてくる事件がこのところ増えており。

 先日には、隊士の一人歩きを禁止する触れを臨時で出したばかりだ。

 

 こちらが徒党を組んで巡察に廻っている間は、彼らは死人さながら息を潜めて隠れていながら、一人二人で歩いている非番の隊士を見つけては襲うのである。

 

 今のところ、大怪我をした者はおらず、負傷したとて、いずれも向こう傷で済んで事なきを得ているが。

 

 

 

 (馬鹿げている)

 

 新選組の隊士をそうして、いつか一人二人葬ることに成功したとて、だから何が変わるというのか。

 

 まさか着眼大局、着手小局でも気取っているわけではなかろうが。

 

 

 

 

 

 露梅の置屋の前で駕籠を降り、沖田達は出てきた女将に添われて露梅の部屋へ向かう。

 

 「もう取っていいよ」

 未だ律儀に頭巾を着けている冬乃に囁いてやれば、冬乃がはっとしたように会釈を返して、頭巾を取った。

 

 

 

 

 

 その浪士達は。

 隊士を襲っては、斬り結ばれるや否や走り去ってゆくという。

 その脱兎にも勝りそうな逃げ足の速さは、もはや隊士達の間で笑い種にすらなっている。

 

 もっとも、これまで襲われた隊士達が揃いも揃って、浪士達を追いかけても追いつけなかった事を、もう少しは恥じてもいいものだが。

 

 

 

 その浪士達は毎回、顔を布で巻いて隠しているとはいえ、その共通した足の速さといい、手口といい、明らかに同一の人間による犯行だと組では結論付けた。

 

 話を聞く限りたいした腕では無いようだが、懸念すべきは、こうまで正確に、隊士の顔を何人も何人も覚えている、ということだ。



 つまりは、そういった特技を持つ者が、彼らの中にいる。

 

 

 

 浪士達の間に、沖田の顔が知れ渡っている事もまた自明。

 沖田と共にいれば冬乃の顔を、明るいうちは遠くからでも確認できてしまう。

 故に沖田は今回、念のため駕籠を呼び、冬乃に頭巾を被せた。

 

 冬乃が町に出る時がある以上は、決して彼女の顔を浪士達に知られるわけにはいかない。

 

 

 

 

 「お呼びたてして、えろうすんまへんなあ」

 甘だるい声で露梅が二人の前に手をつく。

 

 「最近ちいっともお逢いできしまへんどしたやろ・・“御無沙汰”されてこのままお婆ちゃんになってもうたら、どないしよ思うて」

 色街特有の台詞を零して拗ねた顔を上げた露梅に、沖田はつい微笑った。

 

 「ごめん、屯所の引越しやらで忙しくてね」

 

 「で、用件は何」

 沖田の間を空けぬ問いに、露梅は小さく息を吐いた。

 

 「沖田センセと初めて逢うた時の町、覚えてはります?」

 

 「ああ」

 最初に露梅に会ったのは、大阪の新町だった。

 その後、島原へ移籍した露梅に偶然出会ってから、関係が続いた。

 

 

 「センセとは此処で偶然、再逢しましたけど・・ほかにそん時からのお客はんがいてはりましてなあ。このたび、そのお方に身請けしていただく事に決まりましたんどす」

 

 「それはおめでとう」

 「へえ、おおきに」

 沖田の祝いに寂しそうな顔ひとつしない露梅に、何故か驚いた顔をしたのは隣の冬乃のほうだった。

 

 

 沖田は露梅の、己への想いを薄々感じてはいたものの。客と遊女の関係以上を彼女に求めてはおらず。

 

 (すまなかったな)

 いつまでも彼女の身請け先が決まらなければ、己が立つことも考えたかもしれないが、幸いにして彼女は売れっ子だ。いずれ、こういう日が来ることは想定していた。

 

 

 「これで・・お逢いするのは最後になります。これまでほんにお世話になりました。・・冬乃はんにも、」

 はっと目を瞬かせた冬乃に、露梅は綺麗に微笑んだ。

 

 「もう一度、最後にお逢いしとう思うて、御足労いただいてしまいました。堪忍え」

 

 沖田の横で冬乃がふるふると首を振る。

 

 「沖田センセのこと、よろしゅう御頼み申し上げます」

 

 露梅のその台詞に。冬乃がどこか泣きそうな表情になって頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 (お幸せに、と言えなかった・・)

 

 冬乃は頭巾を被りながら、胸奥を締め付ける想いに息を震わせた。

 

 露梅の気持ちが痛いほどわかる。

 好きな男に想いを伝えることも叶わぬまま、別れなくてはならないこと。

 

 攫って。

 どんなにか喉を出掛かっただろう。最後まで綺麗な微笑を張りつけたままだった露梅を、冬乃はきっとこの先も忘れることは無いだろう。

 

 

 

 女将に再び添われて廊下を歩み、階段を降りてゆくと、表口に先程の駕籠かき達が未だ控えていた。

 

 沖田に促されるようにして再び乗り込む。

 

 日没前のぼんやりと明るい曇空の下を、二つの駕籠は走り出した。

 

     

 






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